関西学院4-1育英:兵庫大会決勝
江嵜企画代表・Ken
明石球場で開かれた夏の全国高校野球選手権大会兵庫大会で関西学院が強豪育英を4-1で倒し、70年ぶりに優勝した。70年前の昭和14年[1939]といえば、5月11日にノモハン事件、9月1日には第二次世界大戦がはじまった年である。日本は日独伊三国同盟を結び、ずるずると悪夢の太平洋戦争に巻き込まれていった。
関西学院(当時は中等学校)は、選手権第二回大会(16年)に出場、第三回(17年)に準優勝、第六回大会(20年)には全国制覇した知る人ぞ知る名門校である。
今年の兵庫大会では強豪の報徳学園(5-4)を破って波に乗り、神戸広陵(3-2)、滝川二(2-0)を連破しての優勝である。胸を張って、甲子園では無心で闘って欲しい。
明石球場は明石城の中にある。最寄駅のJR住吉から約45分で試合開始の30分前に球場に着いた。試合は1時5分に始まったが、内野席はその時点ですでにほぼ満員、場内アナウンスが外野席へ回ってくださいと繰り返していた。外野は芝生席である。明石城は桜の名所でもあるが、桜の木の木陰で大勢のひとが観戦しているのが見えた。関西学院の応援席に座って、球場の様子をいつものようにスケッチした。
育英が7回に1点を入れ均衡を破った。センターが、風で目測を誤り、入れられた点である。観覧席になんとなくいやなムードが流れた。ところがその裏に同点に追い付いた。入れられた直後に追いついた。これが最初の勝因である。
8回の勝ち越し打はなんと先の回でミスしたセンターが打った一塁手後方にふらふらと上がった打球が風に押し戻されてのヒットだった。勝利の女神はなかなか味なことをして下さる。しかし、先発投手が5回まで育英打線をゼロに抑え、ゲームを作ったことが最大の勝因かもしれない。
屋根がない球場、炎天下だったので低い鼻の先も真っ赤になった。ただ、選手を悩ませた風も、観客席には涼風となり幸いした。負けた育英の選手の多くは、まさかの敗戦だったのかもしれない。声を上げて泣いていたのが聞こえた。育英のエースは二年生である。関西学院を倒して、来年の夏は、甲子園に是非駒を進めて欲しい。(了)