:最寄喫茶店談義から(学校で教えてくれない経済学)
「地震が起きたら。。。」と題するポスターが最寄りの住吉地区防災福祉コミュニティ―から昨日3月30日の日曜日に地域住民各戸に配布された。「地震が発生したら住吉公園・住吉小学校へ!余裕があれば国道2号線より北へ!」と書いてありました。皆さんお読みになりましたか。」と喫茶店のマスターが話を出した。朝一番、最寄り喫茶店に集まった馴染客は、先週末行われたジャイアンツ相手の3連戦での地元チームのふがいない戦い振りを評論家きどりで酷評、雰囲気が重苦しくなって来たところで、空気を変えようと声を出した。
「津波警報が出たら、まず、山に逃げることや。何、考えとるんや。住吉小学校なんかに逃げたら水浸しになるだけや。わかっとらへんなあ。」と客のひとりが噛みついた。いまのところ住吉地区は、幸い津波の経験はない。しかし、76年前,昭和13年7月に、神戸を大洪水が襲った。住吉川だけでなく石屋川、都賀川、西青木の天上川まで全て川が氾濫した。「住吉公園や住吉小学校は真っ先に水没したと母親から聞いた。」と話しが続いた。津波になれば大阪湾に流れる川を津波が逆行する。そして溢れる。もともと海だった地域だから必ず水没する。「とにかく山へ逃げることしかない。」で話が落ち着いた。
最近特に近々、大地震が起こるということがまことしやかに当の喫茶店でも話題になるようになった。「昨日も深海魚のダイオウイカが上がったとテレビに出ていた。海底に異変が起こっているのだろう。」と別の客人が話した。そこへ件のポスターが当局から配布された。31日朝放送の米CNN二ュ―スで、ロサンゼルスで震度4の地震が発生した。余震が収まらないので不安だと住民が話していた。米ワシントン州では土砂崩れで今も200人近い人が行方不明だと地震のニュ-スのあと報じていた。
こちら日本では、十年一昔という言葉がある。石の上にも三年とことわざにある。我慢も3年が限界。少なくとも3年間は辛抱しろと奉公人にも教えた。忘れっぽい国民性は、日本人の天性でもある。しかし、こと命に関わる地震、津波、洪水にどう対応するかは、他人事ではない。それでも、どうするかと具体的な話しになると、当局も当りさわりなく、「津波の時は住吉公園・住吉小へ! 余裕があれば国道2号線より北へ!」ととぼけた告示を住民に配ることを繰り返してきている。店の手伝いをしているマスターの女将さんがポツリ、「津波が来たら、余裕なんかないでしょ。私ら年寄りは、歩くのも大変。走って逃げることなんか出来ない。」と話を納めた。先日、さる講演で「釜石の奇跡」と「釜石の悲劇」の話を聞いた。「小学校の生徒は、津波と聞いてとにかく高台へと逃げた。全員助かった。住民の大部分は日頃訓練していた防災センターへ逃げた。ほとんどの方がなくなった。
31日朝放送のドイツZDF、英BBC、フランスF2、米CNN、ロシアRTRが揃って、ウクライナ情勢を巡り、米ケリ―国務長官とロシア、ラブロフ外相がパリで急遽会談をしたと伝えた。欧州は概ね好意的だった。アメリカは懐疑的だった。成り行きを注目したい。(了)
「地震が起きたら。。。」と題するポスターが最寄りの住吉地区防災福祉コミュニティ―から昨日3月30日の日曜日に地域住民各戸に配布された。「地震が発生したら住吉公園・住吉小学校へ!余裕があれば国道2号線より北へ!」と書いてありました。皆さんお読みになりましたか。」と喫茶店のマスターが話を出した。朝一番、最寄り喫茶店に集まった馴染客は、先週末行われたジャイアンツ相手の3連戦での地元チームのふがいない戦い振りを評論家きどりで酷評、雰囲気が重苦しくなって来たところで、空気を変えようと声を出した。
「津波警報が出たら、まず、山に逃げることや。何、考えとるんや。住吉小学校なんかに逃げたら水浸しになるだけや。わかっとらへんなあ。」と客のひとりが噛みついた。いまのところ住吉地区は、幸い津波の経験はない。しかし、76年前,昭和13年7月に、神戸を大洪水が襲った。住吉川だけでなく石屋川、都賀川、西青木の天上川まで全て川が氾濫した。「住吉公園や住吉小学校は真っ先に水没したと母親から聞いた。」と話しが続いた。津波になれば大阪湾に流れる川を津波が逆行する。そして溢れる。もともと海だった地域だから必ず水没する。「とにかく山へ逃げることしかない。」で話が落ち着いた。
最近特に近々、大地震が起こるということがまことしやかに当の喫茶店でも話題になるようになった。「昨日も深海魚のダイオウイカが上がったとテレビに出ていた。海底に異変が起こっているのだろう。」と別の客人が話した。そこへ件のポスターが当局から配布された。31日朝放送の米CNN二ュ―スで、ロサンゼルスで震度4の地震が発生した。余震が収まらないので不安だと住民が話していた。米ワシントン州では土砂崩れで今も200人近い人が行方不明だと地震のニュ-スのあと報じていた。
こちら日本では、十年一昔という言葉がある。石の上にも三年とことわざにある。我慢も3年が限界。少なくとも3年間は辛抱しろと奉公人にも教えた。忘れっぽい国民性は、日本人の天性でもある。しかし、こと命に関わる地震、津波、洪水にどう対応するかは、他人事ではない。それでも、どうするかと具体的な話しになると、当局も当りさわりなく、「津波の時は住吉公園・住吉小へ! 余裕があれば国道2号線より北へ!」ととぼけた告示を住民に配ることを繰り返してきている。店の手伝いをしているマスターの女将さんがポツリ、「津波が来たら、余裕なんかないでしょ。私ら年寄りは、歩くのも大変。走って逃げることなんか出来ない。」と話を納めた。先日、さる講演で「釜石の奇跡」と「釜石の悲劇」の話を聞いた。「小学校の生徒は、津波と聞いてとにかく高台へと逃げた。全員助かった。住民の大部分は日頃訓練していた防災センターへ逃げた。ほとんどの方がなくなった。
31日朝放送のドイツZDF、英BBC、フランスF2、米CNN、ロシアRTRが揃って、ウクライナ情勢を巡り、米ケリ―国務長官とロシア、ラブロフ外相がパリで急遽会談をしたと伝えた。欧州は概ね好意的だった。アメリカは懐疑的だった。成り行きを注目したい。(了)