団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

必要、便利、快適へと移り変わってきたが

2008-07-09 08:58:22 | Weblog
 景況感が悪くなっている、と新聞が伝えている。モノみな値上げでも所得は増えず、先行きの不安感が拍車をかけている。
 これまでにもそんな状況は多くあったが、ひとつの流れを見てみると、我々の周りにあるいろいろなモノは、最初は必要によって生まれる。
 家電品の走りである電気洗濯機は、家庭の主婦にとっては待ち焦がれた必要度の高い製品だった。つまり必要から生まれた。
 その電気洗濯機も改良が重ねられ、より便利になっていった。例えば、二槽式になり、さらに全自動になっていった。必要から便利になり、次は快適性に移っていった。モーター音が小さくなり、デザインも洒落たものになった。
 つまり、多くのモノは必要、便利、快適、という変遷を辿っている。その上に最近は、省エネも加わり、快適性と低コストという矛盾する二面性を追う状況になっている。
 快適でなければならないが、ランニングコストにお金がかかっては困る、という贅沢な要求を満たさなければならない。
 しかし、実際考えてみれば、また洗濯機の話ではあるが、乾燥機もついて全自動でやってくれる機械が省エネになるはずがない。それは同じレベルの製品と比べて、という前提だ。
 エネルギーコストが高くなり省エネを追えば、いずれは快適性を維持できなくなってくる。快適性が犠牲になり、便利のレベルに逆戻りし、さらにぎりぎりの必要性に立ち戻っていく可能性がある。
 となれば、社会の一部とはいえ、逆行現象が起こり得る可能性は否定できない。原油や食糧の高騰が、社会の快適性を奪いつつある。ただ快適性がほんとうに現在の社会の中で必要であったのか、という検証は行われていない。ただ人々の欲求に応えてきた結果が、そうなってしまった。
 快適から便利へ、さらに必要にと戻ることは不可能かもしれないが、いちどそのプロセスを再検証して、無用なものをチェックし無駄を省く社会が実現できれば、本当の意味の快適な社会になり得るきっかけになるかもしれない。それが、モノみな値上げの恩恵なのだろうか。
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 筆者の約60年間の人生を振り返りその思いを綴ったエッセー本「団塊の世代の世間話」(これで検索もできます)のホームページはhttp://www2.ocn.ne.jp/~danseken/です。アクセスをお願い申し上げます。