団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

1000円タバコ論議の不毛

2008-07-26 08:59:26 | Weblog
 1000円タバコがなにやら現実味を帯びてきた。私はすでに禁煙してして久しいが、いまでもタバコを喫いたいと思う。他人が喫っているのを見ても、なんとも思わないが、脳裡にタバコのことを思い浮かべると、肺の辺りがうずくような気がする。きっとタバコが身体に合っているのだろう。
 タバコについての論議は、基本的に二元論に分けられる。喫う人間と喫わない人間との平行線だ。喫わない人は、タバコを忌み嫌う。そこを発想点にするから、冷静な論議にならない。
 喫う人間の多くは、本当はやめたいと思っている。周りの人間にすまない、とも思っており、後ろめたい。その気持ちによって、やはり本気の論議に乗りづらい。
 正義は喫わない人間にあり、結局は喫わない人間の思いのままになってしまう。タスポもそうだろう。だから、喫煙する人間は、どんどん肩身の狭いところに追い込まれていく。
 1000円タバコなどは論外で、取りやすいところから取る安易な増税対策にすぎず、フェアではない。また間接喫煙の害は、たいしたことはない、との学説が定着しつつあり、喫う人間もちょっと胸を撫で下ろしている。
 私はタバコの問題は、あくまで個人の自由に属することだと思っている。だからタバコによって不健康になろうが知ったことではない。いまの社会は健康にいいことに敏感すぎ、反対に健康に悪いことに過剰反応しすぎだ。
 確かに不健康で、医療費を過剰に使うことはよくないことだが、反対に不健康なら早死にして財政は助かるわけだ。
 むろん、そんな心配を一般人がする必要はない。値上げで悲鳴、といっているのに、多くの人の買い物かごをみると、お茶やミネラルウォーターのペットボトルが入っている。無駄でしかない。
 水は水道水で十分で、うまいまずいで判断が分かれるだけだ。健康を心配するなら、よほどペットボトルの方が怖い。開栓して3~4日すれば雑菌が増殖する。お茶は麦茶を作っておけば足りる。
 タバコから話がそれたが、タバコが便利な紙巻になって堕落した。いつでもどこでも喫えるようになって、喫いすぎるようになった。実際は紙巻タバコの歴史は浅く、日本なら煙管の刻みタバコ、ヨーロッパならパイプが主流で、どちらもいつでもどこでも喫えるわけでもなく、それなりのマナーがあって、害を問う理由もなかった。
 便利さだけの紙巻偏重により、結局タバコは自分の首を絞める結果になった。私は70歳を過ぎたら、パイプをやろうと思っている。かつて火をつけて1時間ぐらいはくゆらすことができたが、また初歩から始めなければならない。いまからそれが楽しみだが、そのときになってパイプタバコを売っているのかが心配だ。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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