ご近所のOさんから誘われて昨年も行った日本橋公会堂に行きました。
今日は地下鉄茅場町下車。私はスマホを持って
いないので茅場町の駅員に
「日本橋公会堂はどちら?」と聞いたら
「出口6を出たらすぐに道路を渡って
行ってください」と地図を出してくれ
親切に赤いペンで記しをつけてくれた。
婆さんには親切にしてくれる駅員さんが多い。
茅場町には会社の研究所があったのでよく来たことが
あるのに、今ではどこが何処やらまったく分からない。
地図を見たら「すぐに渡れ」と言われた道路に
横断歩道も信号もない。一番近い信号を見つけて
渡り、高速道路が見えたのでそちらに進んで
行くも高速道路の下は川(水)がない。
高速道路の下をくぐると地下鉄「日本橋」が
見えてきた。
「日本橋?おかしいじゃない?」私はそっちに
行く筈じゃない。道間違った!と気づき近くの
コンビニで地図を見せて聞いたら
「逆方向ですね。ここをまっすぐ行って
大きな交差点を左に曲がってください」と
コンビニの優しいお姉さん。
ここで往復10分のロス。
交差点を左に曲がると高速道路が見えてきた
高速道路の下には川が流れていた。
やれやれこれで行けると思ったけど、これからが
またおかしくなった。公会堂の近くまで来て
いるのにどの辺か?もう一度車の運転手に
聞いてみたら
「あの交差点の角ですよ」という。
何かおかしい?今歩いて来たところには
そのような公会堂はなかったが、もう一度
戻ってみた。やっぱりなかった。
「あの運ちゃんに騙された」ともう一度
今度は自転車に乗った男の人に聞いてみた
「あそこ(さっきの所)の少し先」
という事でさっき来た道をまた逆戻りで
ようやく辿り着いた。
「日本橋公会堂」と書いてある看板目印は
ちょっと引っ込んでいるので近くに行くまで
見えない。やれやれどうにか到着した。
ホールに上がっていくと丁度midoriさんと
出くわして「やれやれ会えて良かった」
踊りを一幕見て
「お弁当にしましょう」とランチタイム
若柳吉芳鏡さんが用意してくれたお弁当を
頂きました。天一のてんぷら弁当です。
MさんやKご夫妻も来ていて華やかな日本舞踊に
どっぷりと浸かりました。途中でチャリティの
寄付金贈呈式(全国重症心身障害児者)が
行われ、障害者を伴った母親が
「生まれた時から心臓を患い脳にも
障害が残った子供が24歳に
なりました。ありがとう
ございます」と挨拶。
障害者を持つ親は大変です。
こうしたチャリティーを若柳流は50回も
続けている。
midoriさんとMさんは次の予定があるので
少し早めに退場。私は一人で4時近くまで
踊りを拝見して吉芳鏡さんにお礼の挨拶を
して帰って来ました。
会場を出ようとしたら、ガードマンの
おじさんがいたので
「地下鉄水天宮はどちらですか?」と聞いたら
「説明するの面倒だから途中まで
一緒に行ってやるよ」といってくれた。
「この辺りも随分変わりましたね。
50年前とは随分違う」
「そりゃあ50年も経つと建物が関わって
違う街になっちゃう」
「水天宮さんだってあんなにきれいじゃなかった」
「そうそう、昔はあんなんじゃなかったね」と
変わってしまった東京の街を歩きながら話した。
「ほら、あそこに水天宮が見えるから
すぐそばに地下鉄があるよ。気をつけてね」
「ありがとう」と親切なガードマンのおじさんに
助けられて帰って来ました。
いやはや東京の変わりようは本当に激しい。
滅多に行かない東京にキョロキョロするばかり。
どんどん変化する街で浦島婆さんになった気分でした。
今日は地下鉄茅場町下車。私はスマホを持って
いないので茅場町の駅員に
「日本橋公会堂はどちら?」と聞いたら
「出口6を出たらすぐに道路を渡って
行ってください」と地図を出してくれ
親切に赤いペンで記しをつけてくれた。
婆さんには親切にしてくれる駅員さんが多い。
茅場町には会社の研究所があったのでよく来たことが
あるのに、今ではどこが何処やらまったく分からない。
地図を見たら「すぐに渡れ」と言われた道路に
横断歩道も信号もない。一番近い信号を見つけて
渡り、高速道路が見えたのでそちらに進んで
行くも高速道路の下は川(水)がない。
高速道路の下をくぐると地下鉄「日本橋」が
見えてきた。
「日本橋?おかしいじゃない?」私はそっちに
行く筈じゃない。道間違った!と気づき近くの
コンビニで地図を見せて聞いたら
「逆方向ですね。ここをまっすぐ行って
大きな交差点を左に曲がってください」と
コンビニの優しいお姉さん。
ここで往復10分のロス。
交差点を左に曲がると高速道路が見えてきた
高速道路の下には川が流れていた。
やれやれこれで行けると思ったけど、これからが
またおかしくなった。公会堂の近くまで来て
いるのにどの辺か?もう一度車の運転手に
聞いてみたら
「あの交差点の角ですよ」という。
何かおかしい?今歩いて来たところには
そのような公会堂はなかったが、もう一度
戻ってみた。やっぱりなかった。
「あの運ちゃんに騙された」ともう一度
今度は自転車に乗った男の人に聞いてみた
「あそこ(さっきの所)の少し先」
という事でさっき来た道をまた逆戻りで
ようやく辿り着いた。
「日本橋公会堂」と書いてある看板目印は
ちょっと引っ込んでいるので近くに行くまで
見えない。やれやれどうにか到着した。
ホールに上がっていくと丁度midoriさんと
出くわして「やれやれ会えて良かった」
踊りを一幕見て
「お弁当にしましょう」とランチタイム
若柳吉芳鏡さんが用意してくれたお弁当を
頂きました。天一のてんぷら弁当です。
MさんやKご夫妻も来ていて華やかな日本舞踊に
どっぷりと浸かりました。途中でチャリティの
寄付金贈呈式(全国重症心身障害児者)が
行われ、障害者を伴った母親が
「生まれた時から心臓を患い脳にも
障害が残った子供が24歳に
なりました。ありがとう
ございます」と挨拶。
障害者を持つ親は大変です。
こうしたチャリティーを若柳流は50回も
続けている。
midoriさんとMさんは次の予定があるので
少し早めに退場。私は一人で4時近くまで
踊りを拝見して吉芳鏡さんにお礼の挨拶を
して帰って来ました。
会場を出ようとしたら、ガードマンの
おじさんがいたので
「地下鉄水天宮はどちらですか?」と聞いたら
「説明するの面倒だから途中まで
一緒に行ってやるよ」といってくれた。
「この辺りも随分変わりましたね。
50年前とは随分違う」
「そりゃあ50年も経つと建物が関わって
違う街になっちゃう」
「水天宮さんだってあんなにきれいじゃなかった」
「そうそう、昔はあんなんじゃなかったね」と
変わってしまった東京の街を歩きながら話した。
「ほら、あそこに水天宮が見えるから
すぐそばに地下鉄があるよ。気をつけてね」
「ありがとう」と親切なガードマンのおじさんに
助けられて帰って来ました。
いやはや東京の変わりようは本当に激しい。
滅多に行かない東京にキョロキョロするばかり。
どんどん変化する街で浦島婆さんになった気分でした。