今日は町会の「いきいきサロン」の集まりで
ムクロジを使ってアクササリー作りをしてきました。
ムクロジのストラップやアクセサリーの材料を
用意してくれたのは信ちゃんです。
ムクロジの実は信ちゃんの故郷(福島)の友達が
たくさん届けてくれる。
ムクロジの実↓
ムクロジの実の穴に息を吹き込むとピーと笛の様な
音がします。皮から取り出した実は生毛が生えている。
他にセンダンの実もあります。
白いセンダンの実を柿渋で染めると茶色になる↓
信ちゃんが作ったストラップ ビーズいろいろ。
ムクロジの実と好みのビーズを選んで作ります。
途中、お昼をたべます。おにぎりとしじみ汁
常連さんが漬物を持ち寄ります。
Osさんが持ってきてくれたお菓子類たくさん。
美味しい奈良漬けとデザートは沖縄の紫芋
私が作ったムクロジ(黒い実)のブレスレットと
ネックレス。なかなかいい感じに仕上がりました。
ブレスレットも出来上がり。
途中、信ちゃんの故郷福島を、お得意の
「相撲甚句」に乗せて歌い、福島原発を嘆いた
「福島慕情」(作詞作曲、信ちゃん)を
歌ってくれました。
信ちゃんは、なかなかいい声です。
信ちゃんは8年前の東日本大震災で被害を受けた
福島原発の帰宅困難地域に住んでいました。
原発が建設されるにあたって、周りの住民に
説明されたのは
「原発は安全、30年で廃炉にする」という約束
だったそうな。それも高い場所に建設するはずが
10m削って(低くして)建設した。
「津波の影響を受けることは分かっていた」という。
地震の後、原発事故を知らされ、避難所に向かう時
自動車が渋滞で動かず、また、近所の人たちに
助けの話しかけをする余裕はなく、夜遅くに
避難所に到着。
すぐに「ヨウ素剤(放射線障害予防薬)」を
飲まされたそうな。
「原発は安全だ、安全だというのは
全て嘘だった」と信ちゃん。
信ちゃんはその後、千葉県の奥様の実家に
避難してきた。
「実家はありがたいものです。でも殆どの
人が(長期滞在は)嫌がる。15人の
多所帯になり、実家の嫁さんのストレスは
相当だったと思うが、双葉(福島県)には
帰れない。出て行くところがない。
2年半お世話になりました。これでは
いけないと思い住まい探しをしました。
30件ほど住まい探しをして、ようやく
落ち着いたものの、愚痴一つ言わない
我慢強い妻が病に倒れる。
12月26日ガンで亡くなりました」と
明るい信ちゃんが涙しながらの辛い話を聞いた。
「原発の事故が元に戻るのは100年
かかるでしょう。年寄りは戻っても
若い人は戻ってこない。福島双葉に
大熊インターが出来ましたが、あれは
ゴミ捨て(原発廃棄物)インターです。
廃棄物を持ち出すインターです」と
信ちゃん。いつまで続くか原発事故処理。
こうして作ったストラップやアクセサリーの
売り上げは全て寄付しているそうな。
信ちゃんの故郷は原発事故で住めなくなり
帰りたくても帰れない、故郷を想い作った
「福島慕情」は切ない。
でも、福島訛りの明るい信ちゃん。
「またね〜」とみんなで送りました。
ムクロジを使ってアクササリー作りをしてきました。
ムクロジのストラップやアクセサリーの材料を
用意してくれたのは信ちゃんです。
ムクロジの実は信ちゃんの故郷(福島)の友達が
たくさん届けてくれる。
ムクロジの実↓
ムクロジの実の穴に息を吹き込むとピーと笛の様な
音がします。皮から取り出した実は生毛が生えている。
他にセンダンの実もあります。
白いセンダンの実を柿渋で染めると茶色になる↓
信ちゃんが作ったストラップ ビーズいろいろ。
ムクロジの実と好みのビーズを選んで作ります。
途中、お昼をたべます。おにぎりとしじみ汁
常連さんが漬物を持ち寄ります。
Osさんが持ってきてくれたお菓子類たくさん。
美味しい奈良漬けとデザートは沖縄の紫芋
私が作ったムクロジ(黒い実)のブレスレットと
ネックレス。なかなかいい感じに仕上がりました。
ブレスレットも出来上がり。
途中、信ちゃんの故郷福島を、お得意の
「相撲甚句」に乗せて歌い、福島原発を嘆いた
「福島慕情」(作詞作曲、信ちゃん)を
歌ってくれました。
信ちゃんは、なかなかいい声です。
信ちゃんは8年前の東日本大震災で被害を受けた
福島原発の帰宅困難地域に住んでいました。
原発が建設されるにあたって、周りの住民に
説明されたのは
「原発は安全、30年で廃炉にする」という約束
だったそうな。それも高い場所に建設するはずが
10m削って(低くして)建設した。
「津波の影響を受けることは分かっていた」という。
地震の後、原発事故を知らされ、避難所に向かう時
自動車が渋滞で動かず、また、近所の人たちに
助けの話しかけをする余裕はなく、夜遅くに
避難所に到着。
すぐに「ヨウ素剤(放射線障害予防薬)」を
飲まされたそうな。
「原発は安全だ、安全だというのは
全て嘘だった」と信ちゃん。
信ちゃんはその後、千葉県の奥様の実家に
避難してきた。
「実家はありがたいものです。でも殆どの
人が(長期滞在は)嫌がる。15人の
多所帯になり、実家の嫁さんのストレスは
相当だったと思うが、双葉(福島県)には
帰れない。出て行くところがない。
2年半お世話になりました。これでは
いけないと思い住まい探しをしました。
30件ほど住まい探しをして、ようやく
落ち着いたものの、愚痴一つ言わない
我慢強い妻が病に倒れる。
12月26日ガンで亡くなりました」と
明るい信ちゃんが涙しながらの辛い話を聞いた。
「原発の事故が元に戻るのは100年
かかるでしょう。年寄りは戻っても
若い人は戻ってこない。福島双葉に
大熊インターが出来ましたが、あれは
ゴミ捨て(原発廃棄物)インターです。
廃棄物を持ち出すインターです」と
信ちゃん。いつまで続くか原発事故処理。
こうして作ったストラップやアクセサリーの
売り上げは全て寄付しているそうな。
信ちゃんの故郷は原発事故で住めなくなり
帰りたくても帰れない、故郷を想い作った
「福島慕情」は切ない。
でも、福島訛りの明るい信ちゃん。
「またね〜」とみんなで送りました。