そう書くと、なんともほのぼのとした楽しそうな光景が思い浮かびます。
先日、ヴィオラ奏者と雑談をしていたときに出た話です。
彼女のお母さんはピアノ教師、お父さんは音楽の教師としてお仕事をしているそうです。
「音楽やっている人って、やっぱりご両親も音楽家って家庭が多いんだね」、と私が言うと、彼女は「自分の果たせなかった夢を子どもに託してるってことですよ」と教えてくれました。
最初から教師を目指している人ももちろんいると思うんですが、彼女が言うには「両親は、奏者としては食べていけないから教師になった」そうなんです。
その結果、自分はまさに「英才教育」を受けて育ったと。
彼女の場合は「物心つく前から」そういう状態で、それはそれは厳しい毎日だったそうです。
長時間の練習、コンクールへの挑戦。
何度もやめたいと思ったけれど、幸か不幸か、結果を出し続けた(つまり才能があった)ために、やめることもできず、今までやってきているそうです。
もちろんご両親はとても喜んで、ピアノ教室の発表会や何かにつけて、人前で親子3人(お父さんはフルート専攻だったそうです)のアンサンブルをやらされたとか。
私の感覚では、いいなぁ素敵だなぁ、と思うんですが、彼女は本当に嫌だったらしい。
なんでかというと、子ども心にもレベルの差がはっきりわかって、一緒に弾いてもおもしろくなかったそうです。
英才教育とはすごいものですね。
ご両親ももちろん音大を出て、その後も教師とはいえ音楽の仕事をしているのに、それでも、まだ子どもの彼女のほうが明らかにレベルが上とは。
そんな彼女に、「自分の子どもにも音楽をやらせる?」と聞いたら、「大変なのがわかってるから強制するつもりは全然無い」と言ってました。
音楽教師の子どもは奏者になり、奏者の子どもは奏者にはならない、というパターンがあるのかもしれません。
先日、ヴィオラ奏者と雑談をしていたときに出た話です。
彼女のお母さんはピアノ教師、お父さんは音楽の教師としてお仕事をしているそうです。
「音楽やっている人って、やっぱりご両親も音楽家って家庭が多いんだね」、と私が言うと、彼女は「自分の果たせなかった夢を子どもに託してるってことですよ」と教えてくれました。
最初から教師を目指している人ももちろんいると思うんですが、彼女が言うには「両親は、奏者としては食べていけないから教師になった」そうなんです。
その結果、自分はまさに「英才教育」を受けて育ったと。
彼女の場合は「物心つく前から」そういう状態で、それはそれは厳しい毎日だったそうです。
長時間の練習、コンクールへの挑戦。
何度もやめたいと思ったけれど、幸か不幸か、結果を出し続けた(つまり才能があった)ために、やめることもできず、今までやってきているそうです。
もちろんご両親はとても喜んで、ピアノ教室の発表会や何かにつけて、人前で親子3人(お父さんはフルート専攻だったそうです)のアンサンブルをやらされたとか。
私の感覚では、いいなぁ素敵だなぁ、と思うんですが、彼女は本当に嫌だったらしい。
なんでかというと、子ども心にもレベルの差がはっきりわかって、一緒に弾いてもおもしろくなかったそうです。
英才教育とはすごいものですね。
ご両親ももちろん音大を出て、その後も教師とはいえ音楽の仕事をしているのに、それでも、まだ子どもの彼女のほうが明らかにレベルが上とは。
そんな彼女に、「自分の子どもにも音楽をやらせる?」と聞いたら、「大変なのがわかってるから強制するつもりは全然無い」と言ってました。
音楽教師の子どもは奏者になり、奏者の子どもは奏者にはならない、というパターンがあるのかもしれません。