南関町の御茶屋跡でバラ展を催すこと、近くの施設では文化祭も開催されている旨の案内ハガキが来た。
先日、大津山阿蘇神社に詣でた後御茶屋跡を訪ねたとき記帳をしたのでその住所でハガキガ出されたのだろう。
入場料は200円だし、親切な館内説明や近くの史跡の現地案内までしてもらって好印象だったので誘いにのった。
ただし今回の主たる目的は、神社の裏手にある大津山に登ってみることだった。
(大津山)
大津山阿蘇神社の裏手にあって、標高は230メートルちょっとの低い山。
とまあ、そういう印象だったのだが、恐るべし急勾配の階段の連続の山だった。
(延々と階段の登山道がつづく)
何というか、歩幅と段差と土が侵蝕されて階段と云うより、障害物の連続といった感じの場所が多かった。
元気な若人なら、例えばNHKのグレートトラバースの出演者なら走っても登るかも知れないが・・・。
相方との、年寄り二人組には相当に応えた。
たかだか250m以下の山に1時間近く掛かってしまった。
(大津山頂上付近)
頂上付近は平らな部分が多く、木はあるもののちゃんと見晴らしは開けている。
記帳する場所があったので、記帳していたら本日すでに午前6時過ぎに登って記帳をしていた人がいた。
(南関の町と遠くは雲仙が見える)
雲仙が見えると云うことは、その手前には有明海があるはずだが、霞んで陸と海とが判然としなかった。
ならば場所を移動すればどうなのかと東の方向のみえる場所に移動する。
(鞍岳とその先に微かに阿蘇山)
手前の稜線の先に薄く見えるのが鞍岳でどんなに霞んでいても山の形で直ぐ分かる。
なにしろ生まれ故郷の山だから・・・・。
その先は更に薄くかすむ阿蘇山が見える。
(ツワブキ)
斜面にはツワブキの花が一杯咲いていた。
我が家のツワブキも、もうそろそろ咲き始める頃だが・・。
(山頂の広場)
山頂は比較的広く平坦になっている。
北側の部分は更に一段高くなっていて、台上は平坦になっている。
(城址の案内板)
「藟嶽城址」と記されていて、14世紀~16世紀頃の山城らしい。
関ヶ原の戦い頃には廃城になっている。
大津山城という呼び名は聞いたことがあるが、「つづらたけ城」というのは登って初めて知った名だった。
この城は、これから行く予定の「御茶屋跡」の直ぐ近くにある平山城の方に移ってしまうのである。
その移った後の城も、一国一城令のあとは廃城と成り、国境の砦としての役割を担うことになる。
御茶屋で催されていたバラ展では、好きなバラ3点を選んで投票して欲しいと云われてシールを渡されたので、バラのことはあまり判らないが、凝った形やあまりに改良しすぎて花らしくない色をしているものを避けて投票した。
例によってお茶を頂いた後、上り階段・下り階段の階段ずくしでガクガクする膝をかかえながら帰宅した。
帰りついてお互いに湿布薬を貼りながら「さて、五家庄の紅葉と、菊池の菊祭。どっちを先にする?」と相方に問われ、即答に窮した。
行けるときに、行けるうちにという意欲はなかなかよろしい。
んが、休憩を入れながらにしようや、ととりあえず応えた。
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先日、大津山阿蘇神社に詣でた後御茶屋跡を訪ねたとき記帳をしたのでその住所でハガキガ出されたのだろう。
入場料は200円だし、親切な館内説明や近くの史跡の現地案内までしてもらって好印象だったので誘いにのった。
ただし今回の主たる目的は、神社の裏手にある大津山に登ってみることだった。
(大津山)
大津山阿蘇神社の裏手にあって、標高は230メートルちょっとの低い山。
とまあ、そういう印象だったのだが、恐るべし急勾配の階段の連続の山だった。
(延々と階段の登山道がつづく)
何というか、歩幅と段差と土が侵蝕されて階段と云うより、障害物の連続といった感じの場所が多かった。
元気な若人なら、例えばNHKのグレートトラバースの出演者なら走っても登るかも知れないが・・・。
相方との、年寄り二人組には相当に応えた。
たかだか250m以下の山に1時間近く掛かってしまった。
(大津山頂上付近)
頂上付近は平らな部分が多く、木はあるもののちゃんと見晴らしは開けている。
記帳する場所があったので、記帳していたら本日すでに午前6時過ぎに登って記帳をしていた人がいた。
(南関の町と遠くは雲仙が見える)
雲仙が見えると云うことは、その手前には有明海があるはずだが、霞んで陸と海とが判然としなかった。
ならば場所を移動すればどうなのかと東の方向のみえる場所に移動する。
(鞍岳とその先に微かに阿蘇山)
手前の稜線の先に薄く見えるのが鞍岳でどんなに霞んでいても山の形で直ぐ分かる。
なにしろ生まれ故郷の山だから・・・・。
その先は更に薄くかすむ阿蘇山が見える。
(ツワブキ)
斜面にはツワブキの花が一杯咲いていた。
我が家のツワブキも、もうそろそろ咲き始める頃だが・・。
(山頂の広場)
山頂は比較的広く平坦になっている。
北側の部分は更に一段高くなっていて、台上は平坦になっている。
(城址の案内板)
「藟嶽城址」と記されていて、14世紀~16世紀頃の山城らしい。
関ヶ原の戦い頃には廃城になっている。
大津山城という呼び名は聞いたことがあるが、「つづらたけ城」というのは登って初めて知った名だった。
この城は、これから行く予定の「御茶屋跡」の直ぐ近くにある平山城の方に移ってしまうのである。
その移った後の城も、一国一城令のあとは廃城と成り、国境の砦としての役割を担うことになる。
御茶屋で催されていたバラ展では、好きなバラ3点を選んで投票して欲しいと云われてシールを渡されたので、バラのことはあまり判らないが、凝った形やあまりに改良しすぎて花らしくない色をしているものを避けて投票した。
例によってお茶を頂いた後、上り階段・下り階段の階段ずくしでガクガクする膝をかかえながら帰宅した。
帰りついてお互いに湿布薬を貼りながら「さて、五家庄の紅葉と、菊池の菊祭。どっちを先にする?」と相方に問われ、即答に窮した。
行けるときに、行けるうちにという意欲はなかなかよろしい。
んが、休憩を入れながらにしようや、ととりあえず応えた。
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