定期的に図書館に行く。
貸出期限が2週間だが、最近2~3冊しか借りないので一週間に一度くらいのペース。
この頃は、詩・短歌・俳句など、短詩型文芸ものを借りることがが多い。
先日、地域の文化協会が催す新春のカルタ大会に参加して欲しいと誘われた。
カルタなど犬棒カルタを子供の頃、やった程度でまったく経験がないので断ったら、枯れ木も山の賑わいとして参加して欲しいような雰囲気が漂って来たので、都合がつけば~・・・となかり語尾にビブラートをかけた答えをしておいた。
で、今回本を借りるにあたり、百人一首なるものを探してみた。
『百人一首』久木田恵子(著) 二星天(絵)2012.12岩崎書店(刊)
百人一首を紹介・解説してあるのかなと思ったら、ストーリーで楽しむ日本の古典のシリーズものの3刊目。
”百の恋は一つの宇宙・・永遠にきらめいて”などと副題があって、王朝絵巻風の挿絵が所々に。
児童文庫コーナーの棚から借りてきた読みやすい本。
ストーリー展開は、選者の藤原定家が500年に及ぶ和歌の作品の中から百人を選ぶあたりから始まって、それぞれの時代の作者の中から8名を抽出して、人となり人間関係などが著者の豊かな想像力(というか空想力)で、フィクションとして描かれていくもの。
とても物語として面白く読むことが出来た。
一番最後に、一覧表的に「百人一首」が表記され、「平安時代の女流作家関係図」が付記されていて興味深い。
あと一冊は・・。
『一日の言葉、一生の言葉(旧暦でめぐる美しい日本語)』白井明大(著)2018.5草思社(刊)
いわゆる格言めいた言葉がずらずら出てくるのかと思ったら、違っていて良かった。
基本的には時間の流れに応じた、一日の或いは一月の或いは一年のそして一生の事象・現象などにどういう言葉が割り当てられたかという話である。
一日の言葉の中に「夜さり」という言葉があって、「さり」は去るで夜が去るから明け方の事ではなく、「さり」は「来る・近づく」という意味もあって、夕方や夜が近づく頃とあった。
子供の頃、祖父母から「夜さるまでにゃ帰ってこい」などと声をかけられたことを思いだした。
中央(都)で使われていた言葉が地方に伝わり、都では廃れたのに地方では残った言葉というのは少なくないようだ。
そう言えば当地では、「そっちに〇〇頃に行くから・・・」と言わずに「そっちに〇〇頃来るから・・」と言う場合が多い。
相手の立場に立っての会話と自分では解釈していたが、「いく」と「くる」の関係もひょっとすると「さり」と「くる」の意味合いと近いものがあるのでは??・・・などと、急に今になって思いついた。
「明るさの違いで時を呼び分ける」
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貸出期限が2週間だが、最近2~3冊しか借りないので一週間に一度くらいのペース。
この頃は、詩・短歌・俳句など、短詩型文芸ものを借りることがが多い。
先日、地域の文化協会が催す新春のカルタ大会に参加して欲しいと誘われた。
カルタなど犬棒カルタを子供の頃、やった程度でまったく経験がないので断ったら、枯れ木も山の賑わいとして参加して欲しいような雰囲気が漂って来たので、都合がつけば~・・・となかり語尾にビブラートをかけた答えをしておいた。
で、今回本を借りるにあたり、百人一首なるものを探してみた。
『百人一首』久木田恵子(著) 二星天(絵)2012.12岩崎書店(刊)
百人一首を紹介・解説してあるのかなと思ったら、ストーリーで楽しむ日本の古典のシリーズものの3刊目。
”百の恋は一つの宇宙・・永遠にきらめいて”などと副題があって、王朝絵巻風の挿絵が所々に。
児童文庫コーナーの棚から借りてきた読みやすい本。
ストーリー展開は、選者の藤原定家が500年に及ぶ和歌の作品の中から百人を選ぶあたりから始まって、それぞれの時代の作者の中から8名を抽出して、人となり人間関係などが著者の豊かな想像力(というか空想力)で、フィクションとして描かれていくもの。
とても物語として面白く読むことが出来た。
一番最後に、一覧表的に「百人一首」が表記され、「平安時代の女流作家関係図」が付記されていて興味深い。
あと一冊は・・。
『一日の言葉、一生の言葉(旧暦でめぐる美しい日本語)』白井明大(著)2018.5草思社(刊)
いわゆる格言めいた言葉がずらずら出てくるのかと思ったら、違っていて良かった。
基本的には時間の流れに応じた、一日の或いは一月の或いは一年のそして一生の事象・現象などにどういう言葉が割り当てられたかという話である。
一日の言葉の中に「夜さり」という言葉があって、「さり」は去るで夜が去るから明け方の事ではなく、「さり」は「来る・近づく」という意味もあって、夕方や夜が近づく頃とあった。
子供の頃、祖父母から「夜さるまでにゃ帰ってこい」などと声をかけられたことを思いだした。
中央(都)で使われていた言葉が地方に伝わり、都では廃れたのに地方では残った言葉というのは少なくないようだ。
そう言えば当地では、「そっちに〇〇頃に行くから・・・」と言わずに「そっちに〇〇頃来るから・・」と言う場合が多い。
相手の立場に立っての会話と自分では解釈していたが、「いく」と「くる」の関係もひょっとすると「さり」と「くる」の意味合いと近いものがあるのでは??・・・などと、急に今になって思いついた。
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