1941年12月8日は太平洋戦争への突入を宣言した日である。
日本人にとっては忘れてはならない日である筈なのだが、メディアで取り上げられることも珍しくなってしまった。
そして取り上げる場合も、日本がこの日を境に悲惨な戦争に突入し多くの犠牲を払うことになったのだという論調である。
この辺りにメディアの幼稚ともいえる無自覚さが見て取れる。
当時の日米双方の白黒戦闘映像を流しながら淡々と歴史年表風に展開してみせて、「はい、今日は何の日?の一丁上がり!」なのである。
里山に登るにしても、幾つもの分岐点がある、紹介するにしても確かめてみて迷いそうな分岐点はちゃんと示す必要がある。
そして、往々にして狭い方や悪路の方が登山道であったりするのだ。
当地では名前の知られた山でも道標が建っていることはまれである。
その重要な分岐点の認識があまりにも現在のメディアには希薄ではないのか。
運命の日は開戦のその日にあるのではない。
その日を許容したというよりも、威勢の良い世論形成でむしろ積極的に協力したという後ろめたさが以前のメディアには確かにあった。
その自責の念のようなものが今に継承されているとは思えない。
如実な例は、衆参両院のねじれ批判の先頭に立つ事ことへの疑問が感じられなかったこと。
ねじれ解消の結果、一気に多数決原理が機能するようになった今国会で多数の法案が成立し、決められる政治へと転換が図られた頃、成立した法案に批判の真似事をはじめたこと。
里山への登り口も、歴史の転換点も突然には現れない。
分岐点に立ってミスリードしないようにという、緊張感や重大な役割への誇りといったものを持てないようなら、いさぎよく旗を降ろしパパラッチにでも専念した方がよい。
歴史を軽ずるものは、いつかの迷い道であったことすら安直に見逃し、そして・・・また迷う。
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