かつて私が大調和協会の在り方に対して命位様に不満をもらした時、このように言われたことがありました。
「あなたには、絶対に他の何ものにも代えることの出来ない、すべてが調和に充たされているような世界が映し出されているようね。それに悖るようなことは、毛筋ほどでも絶対に許そうとしない、妥協しようとしないあなたが居るようね。でもね、この見える現実はそのように出来上がったものばかりじゃないでしょ。至らないこと、欠陥、許せないようなこと...それはあなたにもあるものじゃないの? どうしてそのことを許すことが出来ないの?」
この言葉は、私の内面にあるものを"スパッ"と言い表されたもので、否定しようのないものなのでした。
私は最善、最愛のものが内面に霞めるのを認めるや、あたかもそれが現前したかの如く、かくあるかの如く思いがそちらに向けられます。
ある面では、それは現存するもの、いや常に現存しているものとも言えるものです。
それは思いを超えて何時、どこに発現するか分からないものですが、実際にリアルにその現存を認識したこともあります。
それはその現存に捉えられる意識の変容によって知られるのです。
ここで私が述べているのは、個的に預かるような、シンプルな"精神的目覚め、エンライトメント"のことではありません。
人と人の間に、共同的な場において有機的な調和意識をもたらすものについてのことです。
もっともこの二つの領域のことは、切り離すことの出来ないものではあります。(そのことは私の"目覚め"そのものが、何よりも物語っていたのです)
しかし、いつも我々はそうしたものに意識が根差されている訳じゃありません。
やがてそこに覆いが被さるようになり、それが段々と重ねられ、思いのガンジガラメが始まる...その現存と共にあることなど、夢の如く、無かったかの如く真逆の様態になってしまうのです。
あの有機的調和意識に全く悖るような分離意識も生まれてきます。
"ドイツも、コイツも、救いようの無いバカばっかりでねーかi こーゆーところに居たんでは、私の中の理想天国には中々たどり着けないから、さっさとお先に失礼しまっさi "
私がスブドをヤメようと決心した時、それを言ったらメンバーから蜂の巣にされかねない、こういう暗い、狡猾な思いが過っていたのでした。
そして諸々のスブドに纏わる思いからも解放され、自由になれるものと思っていたが...
本当の精神的苦境、思いのガンジガラメ地獄はその後にやって来たのでしたi
主としてとっくに切れたはずと思っていた人間関係に起因する、ネガティブな思いに支配され勝ちな期間がほぼ二、三年は続いたと思います。その時の私を客観的に観たならば...
"コイツは救いようの無いバカだなi" というものでしょう。
かつて私は所属していた、スブドの支部で出していた自由投稿誌でこういう文章を綴ったことがあります。
「私は周りのものがみなバカに見えて仕方ありません」
「そう。だからお前はいつもバカを見ているのだi」
これは全く私の運命、サガのことを何ものかによって書かされていたに違いありません。
「あなたには、絶対に他の何ものにも代えることの出来ない、すべてが調和に充たされているような世界が映し出されているようね。それに悖るようなことは、毛筋ほどでも絶対に許そうとしない、妥協しようとしないあなたが居るようね。でもね、この見える現実はそのように出来上がったものばかりじゃないでしょ。至らないこと、欠陥、許せないようなこと...それはあなたにもあるものじゃないの? どうしてそのことを許すことが出来ないの?」
この言葉は、私の内面にあるものを"スパッ"と言い表されたもので、否定しようのないものなのでした。
私は最善、最愛のものが内面に霞めるのを認めるや、あたかもそれが現前したかの如く、かくあるかの如く思いがそちらに向けられます。
ある面では、それは現存するもの、いや常に現存しているものとも言えるものです。
それは思いを超えて何時、どこに発現するか分からないものですが、実際にリアルにその現存を認識したこともあります。
それはその現存に捉えられる意識の変容によって知られるのです。
ここで私が述べているのは、個的に預かるような、シンプルな"精神的目覚め、エンライトメント"のことではありません。
人と人の間に、共同的な場において有機的な調和意識をもたらすものについてのことです。
もっともこの二つの領域のことは、切り離すことの出来ないものではあります。(そのことは私の"目覚め"そのものが、何よりも物語っていたのです)
しかし、いつも我々はそうしたものに意識が根差されている訳じゃありません。
やがてそこに覆いが被さるようになり、それが段々と重ねられ、思いのガンジガラメが始まる...その現存と共にあることなど、夢の如く、無かったかの如く真逆の様態になってしまうのです。
あの有機的調和意識に全く悖るような分離意識も生まれてきます。
"ドイツも、コイツも、救いようの無いバカばっかりでねーかi こーゆーところに居たんでは、私の中の理想天国には中々たどり着けないから、さっさとお先に失礼しまっさi "
私がスブドをヤメようと決心した時、それを言ったらメンバーから蜂の巣にされかねない、こういう暗い、狡猾な思いが過っていたのでした。
そして諸々のスブドに纏わる思いからも解放され、自由になれるものと思っていたが...
本当の精神的苦境、思いのガンジガラメ地獄はその後にやって来たのでしたi
主としてとっくに切れたはずと思っていた人間関係に起因する、ネガティブな思いに支配され勝ちな期間がほぼ二、三年は続いたと思います。その時の私を客観的に観たならば...
"コイツは救いようの無いバカだなi" というものでしょう。
かつて私は所属していた、スブドの支部で出していた自由投稿誌でこういう文章を綴ったことがあります。
「私は周りのものがみなバカに見えて仕方ありません」
「そう。だからお前はいつもバカを見ているのだi」
これは全く私の運命、サガのことを何ものかによって書かされていたに違いありません。