人生は、楽しいこともあり、、つらいこともある。…私に初めてこの世の重みというものを実感したのは、小学校に入って初めて団体行動らしき事に接した時だったと思います。(私は家庭の事情で保育園にも幼稚園にも行ってなかったのです)
”規律正しくあること”らしき事を担任の先生から教えられたのですが、私は本当に何をどうしていいかわからなくなってしまったのです。
多分、心因性からくるのでしょうが、授業中しばしばお漏らしをしてしまいました。
身も心もコントロールが出来なかったのです。早くこの牢屋から逃げ出したいとばかり思っていました。
おそらく、それが私の最初のこの世の仕組みとの遭遇と言っていいかも知れません。
私が人生、この世に生きる上で重圧と感じているものとは、主として機構と呼ばれる無機質なこの世の仕組みかと思います。
大は世界的なもの、小は家族制度に至るまで我々はその具体的な仕組みや制度について、”ああ、そういうものか…”と普通に理解することが出来るでしょう…
だが…この機構なるものが、我々が考えられるもの以上に我々の精神を暴力的に支配している、という事には到底理解など及ばないでしょう。
もし、理解出来るのであれば、我々は働くためだけに、生活のためだけに生きてなどいません!
金や権力の奴隷になど成り下がってなど居ません!
毎年、数万人に及ぶと言われる自殺者など出してません!
これらは全て我々が社会機構に屈服していることを物語っているのです。
機構とは具体的には、ほとんどの場合この社会機構と言っていいでしょう。
これは誰もがこの物質世界に具象的にハタラいているものと思っているようですが、もっと我々の意識の有り様に根差したものだと思います。我々のほとんどが無意識のうちに管理されている…どこにもその中枢など見当たらないのに…。
”それに従わないと生きていけない…何故ってそういうものだから…”といった言葉を多くの人から聞いてきました。
確かにその通りですね…でも、何で多くの人は自分の本当にしたいこと(これは生業に限ったことではありません)を犠牲にするばかりか、身も心もボロボロになるまで”見えない主人”に捧げて生きて行かなければならないのでしょうか?
そして誰もが諸々の”決まり事、約束事、掟、常識”に支配されているのです。
その支配者のホントの実体は誰も知りません。これが”何かの黒幕が居るに違いない…”と我々に思わされているものの”実体”なのでしょう。
所謂陰謀論などのことを問題にする以前に、おそらくは人類の創成以来から我々の意識に巣食っているこの魔術的仕組みにこそ、諸々の重圧の淵源を見るべきではないでしょうか?
と言って、私にはこのこの世仕組みという巨大な壁を駆遂しようにも為す術などありません。
だからと言って、このままこの壁に屈服され続ける気もありません。
そうですね…それに飲まれてしまうでもなく、反抗するでも無くソツなく生きてたらいいですかね。
だって、この世は楽しいことで一杯ですから!
この世に生を享けたのなら、この世でしか味わえないことを楽しみたい!
想像してごらんなさい!…この世の仕組みというものの無い世界というものを…
それこそ、この世の天国じゃありませんか?
いや待てよ…みんなやりたいように生きてたら…たちまち地獄を現出させてしまうだろうか?
だから、我々はこの世の仕組みに管理されているワケ?
小学一年の時、教室はどうにか平和は保たれていました。
ルール・ブレーカーの私は廊下に立たされてました。いやジッとしてられなくて走り回ってましたけど…
”規律正しくあること”らしき事を担任の先生から教えられたのですが、私は本当に何をどうしていいかわからなくなってしまったのです。
多分、心因性からくるのでしょうが、授業中しばしばお漏らしをしてしまいました。
身も心もコントロールが出来なかったのです。早くこの牢屋から逃げ出したいとばかり思っていました。
おそらく、それが私の最初のこの世の仕組みとの遭遇と言っていいかも知れません。
私が人生、この世に生きる上で重圧と感じているものとは、主として機構と呼ばれる無機質なこの世の仕組みかと思います。
大は世界的なもの、小は家族制度に至るまで我々はその具体的な仕組みや制度について、”ああ、そういうものか…”と普通に理解することが出来るでしょう…
だが…この機構なるものが、我々が考えられるもの以上に我々の精神を暴力的に支配している、という事には到底理解など及ばないでしょう。
もし、理解出来るのであれば、我々は働くためだけに、生活のためだけに生きてなどいません!
金や権力の奴隷になど成り下がってなど居ません!
毎年、数万人に及ぶと言われる自殺者など出してません!
これらは全て我々が社会機構に屈服していることを物語っているのです。
機構とは具体的には、ほとんどの場合この社会機構と言っていいでしょう。
これは誰もがこの物質世界に具象的にハタラいているものと思っているようですが、もっと我々の意識の有り様に根差したものだと思います。我々のほとんどが無意識のうちに管理されている…どこにもその中枢など見当たらないのに…。
”それに従わないと生きていけない…何故ってそういうものだから…”といった言葉を多くの人から聞いてきました。
確かにその通りですね…でも、何で多くの人は自分の本当にしたいこと(これは生業に限ったことではありません)を犠牲にするばかりか、身も心もボロボロになるまで”見えない主人”に捧げて生きて行かなければならないのでしょうか?
そして誰もが諸々の”決まり事、約束事、掟、常識”に支配されているのです。
その支配者のホントの実体は誰も知りません。これが”何かの黒幕が居るに違いない…”と我々に思わされているものの”実体”なのでしょう。
所謂陰謀論などのことを問題にする以前に、おそらくは人類の創成以来から我々の意識に巣食っているこの魔術的仕組みにこそ、諸々の重圧の淵源を見るべきではないでしょうか?
と言って、私にはこのこの世仕組みという巨大な壁を駆遂しようにも為す術などありません。
だからと言って、このままこの壁に屈服され続ける気もありません。
そうですね…それに飲まれてしまうでもなく、反抗するでも無くソツなく生きてたらいいですかね。
だって、この世は楽しいことで一杯ですから!
この世に生を享けたのなら、この世でしか味わえないことを楽しみたい!
想像してごらんなさい!…この世の仕組みというものの無い世界というものを…
それこそ、この世の天国じゃありませんか?
いや待てよ…みんなやりたいように生きてたら…たちまち地獄を現出させてしまうだろうか?
だから、我々はこの世の仕組みに管理されているワケ?
小学一年の時、教室はどうにか平和は保たれていました。
ルール・ブレーカーの私は廊下に立たされてました。いやジッとしてられなくて走り回ってましたけど…