人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

この世の仕組み

2016-03-31 16:27:21 | 雑感
人生は、楽しいこともあり、、つらいこともある。…私に初めてこの世の重みというものを実感したのは、小学校に入って初めて団体行動らしき事に接した時だったと思います。(私は家庭の事情で保育園にも幼稚園にも行ってなかったのです)
”規律正しくあること”らしき事を担任の先生から教えられたのですが、私は本当に何をどうしていいかわからなくなってしまったのです。
多分、心因性からくるのでしょうが、授業中しばしばお漏らしをしてしまいました。
身も心もコントロールが出来なかったのです。早くこの牢屋から逃げ出したいとばかり思っていました。
おそらく、それが私の最初のこの世の仕組みとの遭遇と言っていいかも知れません。

私が人生、この世に生きる上で重圧と感じているものとは、主として機構と呼ばれる無機質なこの世の仕組みかと思います。
大は世界的なもの、小は家族制度に至るまで我々はその具体的な仕組みや制度について、”ああ、そういうものか…”と普通に理解することが出来るでしょう…
だが…この機構なるものが、我々が考えられるもの以上に我々の精神を暴力的に支配している、という事には到底理解など及ばないでしょう。
もし、理解出来るのであれば、我々は働くためだけに、生活のためだけに生きてなどいません!
金や権力の奴隷になど成り下がってなど居ません!
毎年、数万人に及ぶと言われる自殺者など出してません!
これらは全て我々が社会機構に屈服していることを物語っているのです。
機構とは具体的には、ほとんどの場合この社会機構と言っていいでしょう。
これは誰もがこの物質世界に具象的にハタラいているものと思っているようですが、もっと我々の意識の有り様に根差したものだと思います。我々のほとんどが無意識のうちに管理されている…どこにもその中枢など見当たらないのに…。
”それに従わないと生きていけない…何故ってそういうものだから…”といった言葉を多くの人から聞いてきました。
確かにその通りですね…でも、何で多くの人は自分の本当にしたいこと(これは生業に限ったことではありません)を犠牲にするばかりか、身も心もボロボロになるまで”見えない主人”に捧げて生きて行かなければならないのでしょうか?
そして誰もが諸々の”決まり事、約束事、掟、常識”に支配されているのです。
その支配者のホントの実体は誰も知りません。これが”何かの黒幕が居るに違いない…”と我々に思わされているものの”実体”なのでしょう。
所謂陰謀論などのことを問題にする以前に、おそらくは人類の創成以来から我々の意識に巣食っているこの魔術的仕組みにこそ、諸々の重圧の淵源を見るべきではないでしょうか?
と言って、私にはこのこの世仕組みという巨大な壁を駆遂しようにも為す術などありません。
だからと言って、このままこの壁に屈服され続ける気もありません。
そうですね…それに飲まれてしまうでもなく、反抗するでも無くソツなく生きてたらいいですかね。
だって、この世は楽しいことで一杯ですから!
この世に生を享けたのなら、この世でしか味わえないことを楽しみたい!
想像してごらんなさい!…この世の仕組みというものの無い世界というものを…
それこそ、この世の天国じゃありませんか?
いや待てよ…みんなやりたいように生きてたら…たちまち地獄を現出させてしまうだろうか?
だから、我々はこの世の仕組みに管理されているワケ?
小学一年の時、教室はどうにか平和は保たれていました。
ルール・ブレーカーの私は廊下に立たされてました。いやジッとしてられなくて走り回ってましたけど…


















コメント (2)
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この現実からは逃れられない

2016-03-27 18:04:39 | 現臨、ハタラキ
アセンション、救世主の出現…
夢見がちの人たちは、来ない先の未来や確証の無い空想ごとに何時まで逃避しているのですか?
又、過去の輝かしい日々の想い出に浸り続けていても、非常な時報を告げるチャイムが否応なくあなたを現実に連れ戻すだろう…
どんなに現実逃避しようとしても、この現実からは誰も逃れられません!
情け容赦なく、あなたの現前に立ちはだかる…
そしていよいよ、この現実にあなたが追い詰められたなら、その無常の手に捉えられてしまったら…
あなたには最早為す術は無い!
あなたは観念して人生を終わりにしますか?、それとも…あなたの歴史に積み重ねられた苦悩を終わりにしますか?…エッ…
私はいまいささか無情な気分で心が無いようです。
そう…心に無いようなことを呟いてます。
”スピとか何とかなど卒業して、この重たい現実を受け入れて、社会人としてマットウに生きましょう…”
何て事私が言うとでも思いますか…この世捨て人みたいな身で…
そんな事言う資格も、義理もおまへんわ!
大真面目で私がそんな事言ったとしたら、あなたの人生が終わる前に、世界が終わってしまうことでしょう…
現実逃避?…観方に依れば私の人生はその繰り返しだったかもしれません!
物心ついてから私はこの無機質な、プラスチックで出来てるような現実を拒否していたところがありました。
”私以外の人間はみんな私を騙しているんだ…このハリボテのような世界をホントの世界だと思わせているんだろう…どいつもこいつもグルに違いない”
そうしたことが脳裏をよぎった時は、決まって現実感の喪失、現実に生きていることの稀薄さを感じていました。
そう、現実感を失ってたんです!…このことの裏表のことがずっと大きくなってから、電撃的に私の内面に切り込んできました。
”私はこの見える無慈悲な現実の向こうにある、もっとリアルな現実をどっかで知っているんだ!”…
私には、見える現実から逃避して、来ない先の未来や、過ぎ去った過去に夢を抱き続ける人の気持ちも分かります。
そもそも浮世の人間というのものは、絶えず何かから逃避し続け、何かに依存し続けるものです。宗教やスピばかりじゃない…
クスリはヤバイが、酒、たばこ、人間関係、娯楽、ショッピング…そして精神世界とは対極なものとしての生業、社会生活…もうあらゆるものが逃避の場…と言ってもいいくらいじゃありませんか?この浮世はつらいですもんね…。
それでも…これは一つの生き方の提示なんかじゃない、人間全ての宿命みたいなものです。
誰もこの現実からは逃がれられない、のです。
その足音は、病気、経済破綻、人間関係の縺れなどの契機を通して知らされるかもしれません。
必ずしも不幸、苦難の道を辿るものとは限らない、とは思いますが、フリーパスの利く人にしても、この世に生れ落ちたことの不幸、悲哀というものをその人生に背負わされている、と思います。
この現実は、見たままの現実、思われたままの現実の壁の向こうから開かれます。
一度開かれたら、否応なしに向き合わなければなりません。夢想に耽ったり、逃避してる余地などありません。
向き合うとは難しいことじゃありません。ただ自分で居たらいいんです。他人事、誰かさんのことじゃない…だから向き合うしかありません。
もっと言えば、自分自身であらしめてくれるもの、リアルな現実に向き合わせてくれるものがある!
それは大本の自分自身のことだからこそ、無条件に、否応なしに従うしかないのです。
そしてその裏側の現実が開かれたら、見える、見たままの現実は幻のように消えるのでしょうか?
いいや…無機質な、プラスチックの世界に、命が灯されるだろう…枯れた木にも花が咲くだろう…
人生の、人類歴史の暗く、不確かな断面にも光が当たるだろう…
見えるものも見えないものも一つになる…
だから…誰もこの現実から逃れられないのです…。



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マイ・ジェネレーション

2016-03-26 17:20:24 | 独語
さるカラオケ店で…定番の曲を歌う…
オープニング曲…”ウイチタ・ラインマン”(グレン・キャンベル)
次…”太陽は燃えている”(エンゲルベルト・フンパーディンク)
”ほお…バラード…AORか…モテてるつもりなのか?…”
で…オッ!”サティスファクション”…”ペイント・イット・ブラック!”んで何…”マイ・ジェネレーション”…
”ストーンズだ!、フーだ!…突然豹変しちまった!…それにしても古い、そんなにトシを食っているのか…”
ここまではいいとして…
次…”チャオ・チャオ・バンビーナ”(ドメニコ・モドューニョ)、
”グリーン・アイズ”(トリオ・ロス・パンチョス)
ダメだ!サッパリ分からん!英語じゃない!一体何時の曲なんだ…
ンで、今度は…”見つめていたい”(ポリス)、”アイ・イン・ザ・スカイ”(アラン・パーソンズ・プロジェクト)
”これは、ストライクだ!…それにしても洋楽ばっかりなのは分かったけど、一体アンタは何時の世代の人なんだ?”

何時の世代?…僕の世代?…
ンー…分からん!
そんなことほとんど考えて生きてこなかったんで…
”歌は世につれ…”何て言うけど、
あの時、あんな切ない思いをして、この時あんな楽しいことがあって、
その時あんな曲、こんな曲が流れていた…
そりゃ確かにそういうのはあるけどね…
でもね…僕はどうしてもメモリーにレコードを刻むことは出来ないな…
それにね、そのメモリーにしたって、”終わったこと”だなんて誰が決めたんだ!
中古レコードを買ってきてあの頃の音楽聴いてたら、たった今僕は胸をときめかすんだ!
時の霊を召喚する魔術の儀式の手順を知ってるかい…
フリスビーにして遊ぶんじゃないぞ!
ビニールの年輪は、針を落とせば何かが鳴り起こる…
何で終わったことになど出来ようか!
音楽を通じて過ぎた筈の過去が別の様相で蘇ることも有る…
これがホントのリバイバルだとは思わないか!
僕はホントは生まれる前の曲を歌いたいんだ…
スクラップブックなんかに収まりたくない…
僕の世代?、時代?…どの時代にも出没してみたい!
僕は世代の無い世代を生きている…
これがマイ・ジェネレーション…ロスト・ジェネレーション…ラブ・ジェネレーション…
あの世代、この世代なんかに付き合ってたら、歳食って、ボケちゃうだけだ!
”歳食う前に死んじまいたい…”
おお、危うくマイク振り回してぶっ壊すとこだった!

物は大切にしないといけないよ!…ピート…
メハー・ババって、ピンボールのマスターなのか?
スクラップの世代など時のアバターに明け渡しだ…















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正直な人

2016-03-22 12:37:57 | 雑感
スプリング・ハズ・カム…
心ときめく春ですね…
しかし、メディア、芸能関係の皆さん! 気を付けてください!…
”センテンス・スプリング”がすぐそこに!…

コメンテーターのKさんが経歴詐称を公表して、活動自粛を決意したとか…
(ところで、最近までKというのは、”草刈”のことかと思っていたのは私だけですか?…親子?親戚?似てない?)
ついぞ一度も聴く機会も無く、私にとり幻に終わった、ご自分がパーソナリティのラジオ放送はさぞかし、生きがいだったのでしょうね。その謝罪コメントからすごーく伝わってきました。
偽りの経歴をビジネスに利用したことの是非(これは多くは本業に関するものだろう)はともかく、視聴者に何か伝えられるもの、共感できるもの、楽しませるものがあれば、何でもいいじゃん…と私は思いますが…テレビの世界なんて特に虚構の上でなり立っているんだし…
”如何にもハーバード大みたいなこと言ってるけど、実はボク、高卒なのでした…”とか開き直って出てきたら、それはそれで、すごく面白いんじゃないですか? 例えば”ボクは悟った!”とか言う人が…”しかし実はホームレスなんです!…人を殺してきました!”(居てもおかしくありません!)とか言い出すみたいに…
次は俳優か、バラエティか、サンジャポ(壇三つさん以外は黙っていて欲しい…)か…ほとぼりが冷めたころお目にかかるのでしょう。(本人もそう仄めかしてました)

私は常々、正直な人というのは、けっしてウソをつかない人の事じゃない、と思っています。
逆にそういう人こそがウソツキなんじゃないですか?(昔、”私は決してウソは申しません!”と言っていた総理大臣が居ましたが…)
全くウソつかない人間なんているんですかね?このウソッパチだらけの世の中で…
人間誰しも、何かヘマとかヤバイことしちゃった時、つい保身に走るものです。防衛本能みたいなものです。(正直に自分自身に聞いてみなされ!)
また特に劣等感の無い人でも、つい”エヘン!”と自分を通常より大きく人に見せたく、人に認められようと自分を飾ったりするものです。
(女性の化粧にゃ何度、騙されたことか!)
宗教、スピ界なんか見てごらんなさい! 人間を超えた究極のマスター、生き神様だらけじゃありませんか?(誰にも確かめられないような権威、これぞ究極のウソ!)
それが公的場で明らかに偽りとみなされた時、詐称とかって問題になるのです。でも詐欺よりずっとマシですね。
私が本当に感じる正直な人というのは、ウソが発覚し、それを突っ込まれた時”ハイ…ウソをついてました!”とハッキリ言える人です。
それだけで実に勇気のある、尊敬に値する人だと分かります。
正直な人というのは二度目はウソはつかないのです。
こういう人というのは、このウソばかりの世の中に有って、ウソの無い現実に立ち返ることが出来ます。
それを良心深いという言い方もできるかもしれませんが、自分自身を誤魔化せなくなるんじゃないでしょうか?
自分を誤魔化す、自分にウソをつくこと、それが他人を欺くことよりも耐え難いことなんです!
あの全てを見通す観照する目にあっては…でも、それに自分をすべてさらけ出した時の、喩えようのない、この世の終わりとパラダイス、裁きと愛が一緒にくるような現臨感は身に覚えています。
とは言っても…こういうことは何でもかんでも隠さないで全部ぶちまけちゃう、という事を言っている訳じゃないですよ…
あくまで、のっぴきならない事態に陥った時です。アレがめっかっちゃったとか…
私は勿論、正直者…じゃないです!
何にも、問題が無い時は、ウマく、ソツなくやるだけです…。ネコのように狡猾にね…ニャハハッ…
それがウソ渡世の生き方ってもんでしょう…

”もうすぐエイプリル・フールかあ…”


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春の便り

2016-03-21 20:07:12 | 覚醒
”悟りとか覚醒ってのは、特別な事なの? あるエラそうな人は体験の無いヤツはダメだ!とか言っている。又あるニターッとした人は特別な事なんて無いんですよ~実はね、人は皆最初から悟っているんですよ~なんて言ってる、一体どっちが本当なの?”

この辺の観方の違いというのは、畢竟、目覚めをもたらすものが、我々の表面意識に伝わっているか、どうかということではないですか?
到達したり、獲得しなければならないというものではありません。
誰もが意識の深いところでは、大本の命とつながっている…それが表面意識を貫いて顕わになる事かとも言えると思います。
まあ、こういうことはスピ界では、よく語られていることなのでしょうけど…
私は日常の意識に伝わっていなくとも、サッパリ分からないという事は無い…その人なりに何がしかのことは知らさているだろう、と思っています。
私の場合はもう疑いようが無いです。あの体験以前から知らされていました。
キリスト教に触れていたという事もあり、確かにそれらが機縁になっていたのでしょうが、ただそうしたことを観念的に信じていただけで、リアルに心身に衝迫してくるものは感じなかったでしょう。
そして洪水のようにそのあるものが押し寄せて、防壁を決壊させるのは時間の問題だったと思います。
このあるものは、おそらく誰もが意識のどっかでは分かってるハズなんじゃないですか?
表面意識に対して、深層意識、潜在意識とか言いますが、それは硬い扉みたいなものでセパレートしているようなもんじゃないでしょう。
岩よりも鉄よりも硬いものは、その扉じゃなくて思いなんです。
ある人たちはとてもその覚醒などに預かることを熱望してます。
多分、それが如何に喜ばしきものであるかという事を本などで知っているのでしょう。
でも、元々そう感じさせる下地というものが自分に無ければ、共鳴も、熱望も生まれないものでしょう。
しかし、いつも言うように、その体験というものは個人の力でどうなるものでは無い…でも体験が有ろうが、無かろうが喜ばしき下地を感じられるという事が、どれだけ宿縁に恵まれていることか…と思います。体験そのものに捉われる事は薬物依存と隣り合わせのものです。
薬物に頼っている時は、歓喜に耽たれても、無ければ禁断地獄…
本当に魂が求めているものは既に有るものだし、無くなりません。
我々の意識の深層に通底しているものは、喜ばしきものと分かち難くあるという事なのです。
それはある節目に表に顕れる…いやそもそもが表に顕れるものなのだ…とも感じられます。
何故ならば、我々には表面意識と言われるものを背負っているから…
地下水は泉を通して地表に表れます。
地中に隠れている根は幹や枝となって実を結びます。
これは隠されているものは、表れる事になっているという仕組みのような事を言っています。
見えないものこそが真実で、見えるものは幻想という事は多分無いと思います。
本が有って末が有る、そのすべてが真実ということなのでしょう。
そして根というものには、出よう出ようというハタラキが有るものです。
その自然の発露に任せておけばいいのです。

春分も過ぎ、あちこちから春の便りが…。






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