人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

和解の力

2016-12-30 16:45:36 | 雑感
「寛容の心、和解の力を今こそ、世界は必要としているのではないでしょうか…」

これは今年最後の、最大の…いや後世に残されるであろうビッグニュースではないだろうか?
かつて我が国の総理大臣でこんなことを世界に向けて表明した人が居たでしょうか…
これは単に日米同盟を守るために発せられたもの以上に、この混迷する世界に向けられたものであった、と私には感じられました。
外交には様々な利権を巡った思惑、イデオロギーなどが絡むものであり、ポーズ、ジェスチャーといった趣もあったかもしれません。
”真珠湾は和解の象徴?な、何で?…”と首をかしげたくなる言葉もありました。
それに来年、トランプが大統領に就任したら、この事など全く顧みられなくなるかも知れません。
いや、来年の正月にも我が国でも忘れられてしまうかも知れません。
それでも私は素直にこの言葉を喜びたいし、阿部首相には敬意を表したいと思います。
少なくとも、私にはずっと残るであろう、ビッグニュースであることに変わりはありません。

真の寛容、和解のあるところ、あらゆる思惑、企て、主義主張などありません。
全ては自分自身が許されている、愛されている、という事から始まります。
そうして自分自身を受け入れることが出来ます。
そうなっているという自分、こうであるという自分も許されている…
そして、思われたものでない、まだ見ぬ自分…
自分との和解…自分の表と裏の和解…自分の中と外との和解…
その光の中で違う自分、人生を見出したならば、今までと違う眼差しで世界が、歴史が見えてくるでしょう…
そして…その光は現実のあらゆる分野に浸透し始めるでしょう…

オオッと…
何だかスピ教師みたいな口調になってしまいました。
今日の私はドリーマーなのかもわかりません。(一年に一度くらいはいいでしょう?)
綺麗ごと言ってはみても…人も自分も許せない時もあるし、そういう感情を表に出してしまう時もあります。
いつも寛容の心、和解の心でいられるわけじゃありません。
けれど…我等に力は無くとも、日は又上る…
この国を代表して、日(霊)の本からの音信のような言葉が世界に投げかけられたのです!
一市民の言葉であれば、一笑に伏されるような戯言みたいなものでも、知られざる神意がハタラくかも知れないのです!
あのスピーチを巡って数々の議論も湧いて出てくることでしょう…
でも…私は知っています!…それは和解の力…
どんな喧しい思惑も主義主張も、その前では、その光に照らされれば…黙すしかありません!
その力は確かに日の本から来るのです!
和解の力…光は東方より
あのスピーチこそ、希望の光が弥増しに照らし出すことの象徴に思えてなりません…
世界は日の出を待っている…












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ふるさとのない女

2016-12-29 17:50:33 | 映画・音楽など
私は ふるさとのない女
灰いろの 霞飛路の
雨に濡れながら
私のこころが 呼んでいる
ふるさとを ふるさとを

恋人よ
私はあなたを待っていた
あなたがそっと
私のこころに しのびいる夜を
あなたのもえるような くちづけを
ああ ただじっと ただじっと
切なく待っていた

恋人よ
私はあなたを待っていた
ふるさとに似た
あなたの匂いに 抱かれる夜を
あなたの髪の中で 眠る夜を
ああ 恋だけは 恋だけは
嘘をつかないで

「ふるさとのない女」
(岩谷時子作詞、團 伊玖磨作曲・編曲)

私は普段洋楽ばかり聴いているせいか、あまり歌詞に対する思い入れというのは有りません。
音楽、歌というのは、旋律が第一だと思いますが、両方良いに越したことはありません。
こんなにも両方で胸をしめ付けられる思いにさせられる曲はそうは無いです。という訳でここでは初めての邦楽の紹介。
歌手は、李香蘭こと山口淑子さん。二年ほど前に亡くなられましたね。
母がよく代表曲の「蘇州夜曲」などを歌っていて、古い映画を観た記憶もあります。
何十年か前、ワイドショー「3時のあなた」の司会でおなじみになりましたが、彼女の数奇な半生のことは全く知りませんでした。
中国生まれながらレッキとした日本人にも拘らず、昭和13年、満州で国策の一環として中国人歌手、女優としてデビューし、人気を博しますが、日中の国民感情が徐々に悪化していく中、祖国日本と生まれ育った母国中国の狭間に立たされ、言い知れぬ苦悩を味わったとのこと…
この曲は20年ほど前、ビデオで観た、主演映画「上海の女」(昭和52年東宝〉の挿入歌です。
この歌には彼女のその数奇な運命が反映されているのでしょう。
望郷の思いと恋しさ、愛おしさの思いとが実に分かち難く重なっていることが伝わってきます。

ふるさととは、理由なく恋しいもの…恋しいものは懐かしいもの…
たとえこの世に真実というものが見つからないとしても
無性に惹かれてやまない、という事以外に真実は無い
愛する人は裏切ることは有っても
何も信じられなくなったとしても
この湧き上がる、胸に募る思いは嘘をつかない
愛は裏切らない…



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商店街の灯

2016-12-28 17:14:50 | 雑感
師走も押し迫り、一年で最も各地の商店街が活気づく頃合いを迎えている頃?…でしょうか…
私はとにかく、物心付く頃から商店街には愛着が有ります。
よく母に連れて行かれたものでしたが、あの電柱などに設えたうらぶれた飾りにとても郷愁を憶えます。昔も今もウキウキとした気持ちが自然と湧いてくるのは、色々な店をゆったりと歩きながら眺める事で、心身にある種のリズム感が生まれることにあるようです。
考えてみれば、私用で外出する時は必ずと言っていいほど、勝手にどっかの商店街に足が赴いてしまうようです…ホッと一息つきたいのでしょう。
デパートにもよく連れて行かれましたが、こちらの方は人混み、空気の悪さ、迷子になって二度と家に帰れなくなる恐怖(ここに居ない恐怖?)を味わったことなど、ほとんどいい想い出は残っていません。
どうもビル型のものは、経済は流通するのかもしれませんが、私的には、”気”の通りはその閉鎖された空間のためか良く感じません。
品が安けりゃ良いってもんじゃなーい…でも…バカ安だと買っちゃうかも…このサガが一番悲しいことでしょうか?

2001年の頃、仕事で大阪を中心にあちこちの商店街を回っていたのですが、数年ぶりに訪れた郊外の商店街など閉店が目立ち、まるでゴーストタウンのようでした。21世紀になって一気に衰退化が始まったようです。
天神橋商店街とか有名なデカイ商店街(長い!…東京の武蔵小山商店街は”東洋一長い”、なんてフレコミがありましたが、大阪の人が聞いたら、”アホか!何言うてまんねん!”どころじゃ済まないでしょう…)は別として、ローカル色が強くなるにつれ、その影響を深刻に受けている様でした。
その時分は、寒風吹きすさぶ頃でしたので、人通りもまばらで、野良猫の鳴き声ばかりが聞こえ、より一層さびれた感じを強く抱いたものです。
いつしかこうしたさびれた商店街を指してシャッター街などと呼ばれるようになりました。
こうなった大きな原因は、駅前に巨大ショッピング・センターなどの商業施設が次々設けられたことにあります。
これが、私が初めて欧米型グローバル経済のひずみというものを如実に感じたことです。
駅前の巨大ビルは見かけは超近代的で、多様性に富んでいるように見えますが、各店の色とりどりの個性というものは、一つのビルの内に括られ、組み入れられ、霞んでしまうように見えます。
そして何よりその周囲…とりわけ死んだような商店街は取り残されて、巨大ビルばかりが分離して突出してしまい、実に不自然なアンバランスな風景です。
こんな奇形な街並みが21世紀の商業都市の在り方なのだろうか…
巨大ビルに遮られて街全体に光が差さないではありませんか…
商店街というものは、昭和の象徴とも言えますが、昭和のモニュメントで終わってしまうのでしょうか?

しか―し、東京にはまだまだ時間が停まったままのような、レトロな商店街も元気に残っています。十条銀座とか砂町銀座とか(”高い銀座”以外に安い銀座がいくつもある)
古き良き時代、とか言いますが、ただ昔を懐かしむだけじゃありません。昔から残されているものというのは、良いものだからこそ伝えられてきているのでしょう。
いつも商店街をブラついていて思うのは、その生き生きした気持ちにさせるものというのは、人間の営みばかりでなく、その周囲の自然もその足元の土地も生きたもので、そうしたものとのつながりあってこそのもの、という当たり前のことです。そしてそこには又多く生きた歴史があるのです。
町興し、地域興しは、こうしたものに根差したものでなければ、目先の合理化、進歩などに眩惑されては空洞化してしまうでしょう。
そうした調和と共にあることに楽しみを見出すことは、昔も今も変わりは無いでしょう。

暗い夜を寂寥感を覚えながら彷徨っている時、商店街の灯を見つけてどれだけ慰められたことか…
商店街の灯よ、永遠に…








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見える世界、見えない世界

2016-12-25 18:18:16 | スピリチュアル
宗教、精神世界では見えない世界について言及されます。精神、心というもの自体見えないものですね。
霊界、死後の世界、天国や地獄なども、見えない世界として扱われています。
しかし、そういう世界の説明にはしばしば”例えば霊界にはこんな黄金色の宮殿が有り、霊人たちは何色の霊衣をまとい…”といった風に、さも見てきた様に語られたりします。”前世はOOだった…”という言辞でもそうですね。
これはあくまでも私個人の観方なのですが、こういう世界というのは、見える世界の延長のように感じているのです。何故かと言えば、正しく見てきた様に語ることが出来るから…想像の世界で思い描くことが出来るから…その話を聞いて、”ああ、そうなんだあ”と納得できるから…
私は霊能者でないので、詳しくは分かりませんが、霊視にせよ、透視にせよ、それは見ていることに変わりがないのではありませんか?
つまりこのように語られる見えない世界とは”見える見えない世界”(ヘンな造語)なのです。
これが宗教、精神世界には強固な信仰を生み出し、先入観念、固定観念に捉われてしまう事態に陥りがちになるのです。
この現実世界が何時かアセンションするとか、見える地上天国に眩惑されてしまうのです。
私はしばしば”普遍的な世界を垣間見た…”などとうかつなことを言ったりしますが、勿論ヴィジョナリーにそんな世界を見た訳ではありません。
これは、遮るもの、隔てるものが無い、という意識の奥で感じたある実感を言い表しているのです。
それは、しかしただ、どこまでも、限りなくワンネス、一なるものがある、という事とは違って、自己以外の無数の他己的なものも認められるのです。それでいて自と他は離れていません。
どうして遮るもの、隔てるものが無いと感じられるのか、と言ったら、そうであるからこそ、だから…なのです! 一なるものしか無かったら、そういう実感は生まれないハズです。
同様に愛そのものというのもそこから感じられるのです。
何にせよ、何度も言うように、こういう事を言葉で言い表すことはとても困難です。見てきた様に語ることが出来ない、私的にはこれがホントの見えない世界という感じなのです。
こういう事は、私のオツムの限界もあって大概にしなければならないのですが、別の観点で無暗に語るべきでない、とも感じています。
というのも私以外の人の知ったこっちゃないことでしょうから…”ここに愛が有るんですよ!魂の平安が有るんですよ!…自分が垣間見たものを信じて下さーい”などと触れ回ったところで、余計なお世話にしかならないでしょう…
それでも、私はどうしても、こうしても言いたい!…あらゆる人が愛を平安を求めて欲しい…それが一瞥体験だろうが、エンライトメントだろうが、無かろうが、終わりなき日常のホンの束の間の一コマ(ある、ある…ホラ、そこに)だろうが…(というか、そうしたものを求めていない人など居ないハズ)
それらは他からの借り物などで充足出来るものでしょうか?
私が言いたいのは、それらを求め、感じ、味わうのはあなた自身を置いて他に居ない、という事なのです。(ただ他人の言葉を聞いているうち、あなた自身の内から共感、共鳴する何かが呼び覚まされるということはあり得ることですが)、”見える見えない世界”に蔓延しているデキアイの信仰などに安易に迎合しても無意味だという事です。
自分自身で直接目の当たりにする以前に、予め信じられるべきものとして設えた定見を背負いこむことというのは、実に”あなた自身の現実を見えなくさせてしまう”ものです!(別にそうしたものに触れていて、トラワレの身にならなければいいのですが…)
思い込みから自由でなければ、あなた自身の愛も平安も”見えてきません!”
何処までも自分の魂の目で”見なければならない”ものなのです!
こうあってこそ、我々の現実に”見えない神の国も見えてくる”ことでしょう…。(話見えますか?)

出口王仁三郎聖師が映し出していた、反キリスト的見える地上天国の型も、弾圧の嵐の中に消えて行きました。
それらは見えるものを通して、見えないものを洞察するために備えられ、演じられたものだったのでしょう。
反キリストはキリストの先駆け…
キリストの神の国は我々のただなかにある…





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生き神様現る!

2016-12-23 10:35:02 | 人生の教師
出口王仁三郎聖師は、しばしばキリストの再臨と目されていました。
今でも聖師を救世主、神の化身と観ている人も少なくないでしょう。
私はちょっと観方が違います。どちらかというと反キリスト!を映し出していたように感じています。
ちなみにベルジャーエフは、「反キリストは、地上に神の国を、社会的幸福を実現すると誘惑する」と述べ、それは我々を”見える”神の国へと駆り立て、キリストは”見えない”神の国の開示について説いたことと対比させているのです。
出口聖師の神の国実現に関する言辞、行動も悉く、こうした反キリスト的側面を表していたのではないでしょうか?…いや、聖師に限らず、こうした地上天国の実現の予言というもの自体、こうした思念と結びつくものなのでしょう。
聖師の正体は果たして悪魔の化身、反キリストなのか、大山師なのか?…それとも…

昭和初期、月の家なるペンネームで「東北日記」という全8刊もの、聖師一行の東北巡教のあらましを描いた、日記、随想、和歌などが入り混じった書物が大本・天声社から出ていました。(あいぜん出版から復刊)
これが実に貴重なのは、当時の新聞記者たちの感想が載っていることです。(記者…鳴く子も黙るジャーナリスト…今日もどこかで芸能タレントたちは、その存在に怯えていることでしょう…私はジャーナリストこそ歴史の証人であり、真のこの世の審判者である、と思っています。彼らはしかしその媒体を使って如何様にも情報を操作することも可能な、世界の真の黒幕でもあるのですが…)
大正十年の第一次大本教事件で、世間では大本を邪教視し、出口聖師をその首魁である山師、ペテン師といった風に見る向きも多かった一方、聖師の満蒙を股にかけての超人的冒険談なども伝わり、快男児、英雄視する向きもあるなど、”この男の正体は何なのか掴みかねる…”という印象に映っていたようです。それは何より、この新聞記者たちの書き出しの記事から伺われますが、皆一様に当初は”生き神様”などと揶揄しています。
そして、一体、どんなご託宣に預かれるのか、一言たりとも書き漏らさずになるものか、という意気込みなのですが、取り巻きの幹部の者たちの堅いガードにより、この”御本尊様”に容易に拝謁出来ない、という不満をもらしています。
大体の取材場所は大本教に関する講演会がもたれる会館などですが、”御本尊”はあいにく登壇なされず、ややこしい大本教義のことなどは”カタい”幹部たちに任せて、やっと現れた巨体漢…異様な風袋…どんな言葉が発せられるかと思いきや…
「お暑うおまんな…」
記者は完全に拍子抜けしてしまいました。そして全く気負いや飾りの無い、聖師の受け答えに接しているうち、記者の目に覆われていたベールも徐々にはがされていく様子が伝わってきます。
「これが数年前かく迄天下を騒がした大本教の本尊とはどうしても受け取れない、だがそれは我らの彼に臨む出発点が全然誤っていたことをやがて発見した」と、予め相手がどういう人間で、どういう事を聞いてやろうか、という胸算用も挫かれてしまった様子です。そして…ついにキリストか反キリストか…王仁師の人間的魅力に陥落してしまうのです。
「僕はますます彼の野生というか素朴というか…大自然を見るような偽らざる美にほれ込んでしまった…」
こう述べているのは、鳴く子も黙る、天下の審判人新聞記者なのです。やたらと人間を神格化したり、美化して語ったりする自派の信者でも、自派の正統性を脅かそうものなら、異端と決めつける他派の信者でも、ちょっと変わった言動をする者を差して、顛狂者と決めつける変態心理学者でもありません。余計な色を付ける事の出来ない、時代の証人の目に映った怪物出口王仁三郎とは…
ただの人間らしい人間だったのです!
そして又こんなことも書いています。「やたらと近侍だの何だのと昔の馬鹿殿様扱いは王仁さんの人間味、野に叫ぶ預言者の姿を小さくしてしまうものだ」
確かに冒頭で触れたように今でも私の目には出口聖師に反キリストの影を見ています。
少なくとも”見た目”には…だが、反キリストのその又影には見えないものも映し出されている、と感じています。つまりそこには、”二重写しの鏡”があるのです。
そして、ありのままに受ける印象は、やはりただの人間らしい、人間、というものです。

今も昔も人間王仁三郎師の周辺には、喧しい不思議事に捉われた声が後を絶ちません。
世の大立て替え、立て直しは何時か…
最後の審判の書、霊界物語の密意とは…
究極の神法とは…
一厘の仕組みとは…
聖師は天界でこう言っているでしょう…

”お熱うおまんな…”


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