人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

秘伝・どん底で称えるマントラ

2015-03-29 16:39:51 | 祈りと瞑想
どうにもならない精神的どん底にある時、もう祈ることすらできないような時どうしたらいいか?
あまり大っぴらには勧められないのですが…又数やればいいってもんじゃない、この瞬間に賭けるというつもりでやるのがいいです。
普通のマントラのように繰り返しやったら、逆効果になると思います。
言葉はどのようなものでもいいです…とにかく全身全霊を込めて…このようなことを出るがままにホザく?のです

”神のバカヤロー! バチでも当てやがれ!”

そんなことしてホントにバチでも当たったらどうするんですかって?
神の実在といったことよりも、神の裁きを信じているのですか?
おかしな言い方ですが、このような人は結構見かけます。
おそらく道徳観念、倫理観の方が強いのでしょう。
でも本当に神の裁きを信じているとしたら、あなたは”神は生きて働いているものなんだ”と、心のどっかで感じているはずです。
神はバチを与えて下さる…実に有難くて随喜の涙がこぼれるじゃありませんか!
バチだろうと何だろうと、神は我々と関わって下さるということなんですよ!
何であれ神が関わって下さるというのが救いなのです。
多くの”神を信じてます”という宗教信者…私は何人も見てきました。
彼らは本当に”生きて働く神”など信じちゃいません!
教会に行けば、有難い教えを聞き、決められた通りに教典を読んだり、祈ったり、観行とかをやったり…
信仰のための信仰…修行のための修行…いつかは光眩い経験に預かれるだろう…そうしてン十年。
ご苦労さんなことです…。
まず信者の多くはそんなやけっぱちな祈り?呪詛?などしません。
最初の内は”これに賭けよう”という気持ちはあったかも知れませんが…
そんな大胆なことやったら、日ごろ慣れ親しんでいる信仰システムが台無しになりそうだからでしょう。
幸福に至るプログラムは全てパア…
でも本当に言葉で言い表せないものの現前の前では、そのような人為的な形式は手放してしまうことになってしまうでしょう。
ただ行きどころの無い気持ちを、神仏にぶつけているだけのつもりでも、ひとりでに自分の思いを超えたものに意識が向いてしまうのです。
気持ちが捨て鉢になることによって、自分を手放せられる…雁字搦めになった思いから抜けられるのです。
逆説的ですが、得よう、得ようとしても得られない、救われようとしても救われない…
手放すことで預かれるのものなのです。

経験者は語る…とっておきのマントラを称えた?いやガナった?時のこと、よく覚えています。
まるで台風一過のように、荒れすさんでいた気持ちが静まり返ってしまったのを…
そして”神は願いを聞いてくれるんだなあ”と感じたことを…
それは心の奥に有り続けている”神とつながりたい”という声なのです…。
それは誰もが心の奥で叫び続けているものなのではないでしょうか…。

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名曲はこうして作られた

2015-03-27 15:43:26 | 映画・音楽など
どのジャンルにも名作とずっと語り続けられているものが有りますね。
映画、絵画であれば名画、音楽であれば名曲、名盤…
これは多分に巷でそのように評価されているというところから来るようです。これが”衆目の一致するところ”なんだと…
その言われはある有名な評論家から”これは五つ星間違いなしだ!”とお墨付きを与えられてからというケースもままあるようです。
では、それは誰のための名作なのか!これは分かりきった話です。自分のためですよね?
そうでなかったら誰のため?そのような評価をしているであろう、一般大衆におもねるため?
一般大衆なんて人は私は未だかってお目にかかった事が有りません。顔が見てみたいものです。
自分にとっての名作以外の何ものでもないはずでしょう…
世評なんかに魂を売り渡してはなりません!
そんなことしたら…至(私)聖所のポリスマン、守護者のユダに言いつけてやる…

ここでは私の人生には欠かすことのできない、音楽鑑賞についての話です。
私が大学に入った頃一寸した暗中模索していた時期が有りました。
それまで聴いていたロックも飽きてきて、一体何が自分にフィットする音楽なのだろう…と。
当時から、音楽雑誌でいっぱしの?音楽ファンを自認する人でNMM(後にMM)誌のことは知らぬ人は居ません。
その雑誌を通じて黒人ブルースを皮切りに、サルサ(ニューヨークで盛んだった新しいラテン音楽)、アフリカン・ポップス、レゲエなど、ロック、ポップス以外のその周辺の音楽が盛んに取り上げられ、一部で盛り上がりを見せていたのでした。
私はそうした動きに敏感に”探ってみようかな”と好奇心に駆られながらも、こうも思っていたものでした。
「どいつもこいつも”とうよう”思想にかぶれやがって!うっかりかぶれると自分の感性が分からなくなりそうだ」「とうよう思想にかぶれると何だか黒く塗りつぶされそうだ!」
”とうよう”と言ってもインド仏教じゃない…その動きの仕掛け人中村とうようさんのことです。
ポピュラー音楽評論の一つの在り方を作った人ですね。
ことに黒人音楽の火付けを推進していたのはよく知られています。
体制といったものにおもねらない、骨太なコメントの数々でも知られていたのですが、私にはどうもそのNMM誌には”とうようさんに追従!”というような
ある種の権威が出来つつある、と感じられていたのです。
(その古武士のようなとうようさんが、数年前飛び降り自殺で亡くなられようとは…)
それに肝心な事は前述の音楽というものが悪くはないが、イマイチ私の感性には合わないところがあったのです。
そんな時転機が訪れました。
確かラジオ関東で、1920年代の古いジャズを聴いたのがきっかけだったと思います。
(後年”この時代のジャズのライバル音楽を聴いてみよう!”と思い立ちました。それがタンゴとの出会いでした)
”おお、これだ!探し求めていたのは!”
それからというもの、余計な先入観や知識などに頼らず、自分の耳、感性を頼りにするという方針になって行きました。
(つまりは出口の無い世界に踏み入れてしまったという訳です)
そしてそれを抜きにして…つまり共感する感性が無ければあなたの名曲は生まれないのです。
いくらその曲に携わる作曲家、演奏家が居たとしても、共感してくれるあなたが居なければ日の目を見ないのです。
(まあ、日の当たらない音楽ばかり聴いていたので、余計そう感じるのでしょうけど…)
これって驚くべき事じゃないですか!
名曲とは作る側、聴く側との協調によって生まれるということです。
流行とか世評なんかに騙されてはなりません!
ノスタルジーと哀愁に満ちたアザーサイド名曲館…今宵は…あの時分によく聴いていたものから…

Duke Ellington/Immigration Blues,King Oliver/Willie The Weeper 

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幻の円盤世に現る!

2015-03-24 14:22:48 | 映画・音楽など
精神的どん底状態になってしまったら…何度か書いたように、とにかく自分のネガティブな思いの密閉空間を作らないで、僅かなりとも通気口を開けておくことが肝要かと思います。
一度そこから光が差し込んだら、もうアレヨアレヨと本当にあらゆるものが生き返ったようになってしまうものです。
30年前の今頃、関西に居た私は東京にあった会員限定のある秘密クラブ?に連絡をとり、幻の円盤を取り寄せる工作?をしていました。
あの苦境から抜け出る道はこれだろうと思い立って…
その秘密集会では、会員たちの日ごろの秘密探究の成果として、その今生では二度と拝めないというお宝を、物体を音に変換させる秘密工具により再生させ、そこから奏でられる、いと甘美なる調べに恍惚状態となって聴き入り、時には踊り出す人も現れるという…
そのお宝はSP盤と呼ばれ、秘密工具は蓄音機と呼ばれてます。
実はそのクラブとはアルゼンチン・タンゴの愛好会だったのです。
私はそれ以前から、この古色豊かな音楽を少しずつ聴いていたのですが、本格的にのめり込んでしまったのはその時からで、これにより以降私の音楽ライブラリーは中南米関連が大半以上占められることになるのです。
ロックとかポップスとかは?…ええ、好きですよ…あくまでそれは表側のことですけど…
裏側では秘密工作?に熱中していたという次第です…。
うかつにそこに入ってはなりません。出れなくなりますから…
人生の裏側と同じく、入り口は有っても、出口は無いのです…。
その時分の数年前から、いくつかのタンゴ愛好会からそれまで全く日の目を見る事の無かった、幻のSP盤をLPに復刻し、私家版にして出し始めていました。本場アルゼンチンでなく、日本人コレクター(私はタンキチと呼んでいます)の手によって。
これは世界の音盤復刻史上に残る快挙と言わざるを得ません!
私はその幻のレコードを取り寄せて聴いていたのです。
タンキチの皆さんはこぞって1920年代後半から30年くらいまでがタンゴの黄金時代だと言います。
分かる!そのLPを何枚か聴いて私は虜になってしまいましたから…これはそうなってしまった人にしか分かるまい…
時節至らずしてその音盤に接することなく、冥界へ行ってしまったかつての愛好家も「私にも聴かせてくれ!」と化けて出て来ざるを得ない程です。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの場末のボカと呼ばれる、いかがわしい色街で生まれたというタンゴもその頃には高級サロンで聴かれるようになりました。
私は聴いているうち、これは「どん底」とか古い映画のサントラにバッチシだ!と思ったのですが、この見立てに間違いは無く、当時のタンゴ楽団の働き場所の多くは夢声映画館だったそうです。
それにしても、戦後生まれの私の耳に、この何とも言えない郷愁を呼び覚ますものは一体何なのでしょう?
初めて聴いた気が全くしないのです。冥界に居た記憶が呼び覚まされたかのようです…。
それが又簡単に誰でも聴けるというなんとまあ、冥界蓄音機がお出ましになったような、驚くべき時節を迎えているのですね!(秘密の入り口の数例は下から…これらは実際に当時私が聴いていたものです)
これは、もう埋もれていたものはどうしたって世に出ざるを得ない!人生のどん底にも”夜明け”が”花火”の如く、”急行列車”の如くやってくるに違いない…もう”笑い”ですよ…(””はいずれもタンゴのサロン化に貢献が大きかったというロベルト・フィルポという楽団マスターの代表曲です)

Roberto Firpo ”Un Tropezon”,Juan Maglio Pacho ”sonia”,Osvaldo Fresedo ”La cachila”,Francisco Lomuto ”Te aconsejo Que Me Olvides”

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どん底で観た映画

2015-03-23 16:13:56 | 映画・音楽など
今から30年前、私はそれまでの半年間ばかし続いていた、どうしようもない精神的どん底状態から脱することが出来ました。
そもそも一体何で又そんなことに陥ってしまったのか?
実はその前から徐々に兆候は表れ始めていましたのですが、その時分から出口の無いトンネルに入ってしまったようなのでした。
何をやっても上手くいかない…
気が塞がるようなことばかり起こる…
いや、なんてことないことでも、すぐ塞いでしまう…天から”何かをやろうとしてはいけない”と宣告されているような気がしていたものです。
一体どうして…
一年ほど前には、あの歓喜に満ちた人生の裏側を垣間見せられたというのに…
神様!どうしてなのですか? (リーラだか何だか知らんが)お戯れはおよしになって下さい!
”お前自身に聞いてみよ!”とばかりに思いを巡らせば…
ハッ…そうか、フタをしてしまったんだった…
折角一つだけの花を咲かそうと、私の大本が顕れなさったものを…
無かったことにしよう!どう考えても、ああいう事は私が預かれる事じゃあないんだから…
それはある意味真実に違いありません。この事態の裏の意味は”私は悟ったんだゾ”という、テングの鼻を折るため、又恩寵というものをも一度学ぶための親子での取決めにあったようです。
ただ、あの顕れ出ようとする大いなる意志に覆いをかぶせるマネをすると…このような運命が待ち受けているという事なのでしょう…。
しかしそれも、ある時突然それこそウソのように抜け出てしまったのです!
これにはいくつかの要因が有ったのですが、ある日の夕方私は本当に”抜けたあ!”という実感を持ったものです。
その要因の一つはテレビで「どん底」という戦前のフランス映画を観たことです。
(私の場合、好きな映画は大抵モノクロ、音楽はモノラルなのです)
その映画はロシアの文豪ゴーリキーの原作なのですが、大分脚色されているらしいです。(原作は読んだことありません)
人生の吹き溜まりのような安宿(これがどん底か?)を舞台に、そこから這い上がろうともがいている泥棒の息子(ジャン・ギャバン)と、放蕩の果てに一文無しになって、そこに堕ちてしまった没落男爵(ルイ・ジューヴェ。主役のギャバンを食うような存在感を見せています)との交流を中心とした人間模様を描いています。
ラスト近くでいつも妄想ばかり浸っている人気役者気取りの男に、男爵が「現実に目覚めるんだ!」と諭すと、夢を絶たれて絶望した男は自殺してしまう…夢は見続けていた方がよかったのか、現実を知った方がよかったのか…
「何とか明るい表側に出たいんだ」と夢を持ち続ける泥棒は、そこでデキた女とそこを出て行く…男爵はそこを安住の地として留まるのでした…
私は観終わって何だか、この夢と現実が錯そうした世界で、生きる勇気がムクムクと湧いてきたものでした。
だがふと振り向くと、一体全体何で重たい気分にずっと付き合わせられていたのかが分かりませんでした。
後年何かの本で、1984年秋から翌年春にかけて世界全体がネガティブな波動に覆われていたとか書かれていました。
そう言えば、富士山が爆発するとか、惑星直列だとか不穏な情報も流れていましたっけ…
丁度、私のトンネルがその時期と重なっていたのです。
まあ、それだけのことですが…
くれぐれもお目覚めの際には、自分の奥からの声を聞いてあげて、無暗にフタをすることは止めた方がいいですよ…。
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ユダは語る”お前の主を裏切ってはならない”

2015-03-22 14:32:22 | 詩的文章
私はユダ
”この世に生まれ出ないほうがよかった”と言われたもの
何とでも呼ぶがいい!
もとよりこの世に属するものでは無いのだ
この狡猾な眼には、明るい陽だまりは眩しすぎる
この二千年もの間、私の上に太陽は輝かなかった
私は依りかかるものをすべて失った
ただ一つ…
わが主からあたえられた
内なる光を除いて…
虚無の淵より立ち上る
燃えるような情念が、暗夜を照らし続けた

我らの選ばれし君イエス
第二のアダムか
ルチフェルの再来か…
あの逆説のメシアは
ドクロの向こうに消えて行った
我々の歴史と営みを背負いながら…
群衆どもの喧騒の中で
私は呟いた…
”これでよかったのだ!ことは終わったのだ”
主も、私も望んだとおりにことは行われたのだ!
そして気が遠のくや…光と闇が真っ二つに分かれ
戦慄の閃光と振動に捉えられ
死と復活のうちに
主と私は一つとなったのだ…

子よ!今はお前の時だ
お前の中から顕れ出ようとするものを押しとどめてはならない!
燃えるような情念を、分別で遮ってはならない!
裏切り者、悪魔の使徒の烙印を押されようと
お前の魂からの…
もっとも歓喜に満ちた生ける調べを
人の手になる教えに、生業教師に
売り渡してはならない!
知恵ある声に惑わされてはならない!
大地に張り巡らされた命の樹の根が、幹が
たった一つの花を咲かそうとしているのだ
この妙なる仕組みを誰が止められるだろうか…
だから…お前の時を逃してはならない!
主の通られる瞬間を、永久の後悔に代えてはならない!
だから…
お前の主を悲しませてはならない!
お前の主を裏切ってはならないのだ…
お前の天地事始めからの約束なのだから…










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