”私は、精神的な道において特別な方法などに依拠してこなかった。祈ること以外は!”
といつも言っていますが、これは明らかに、ただ”こちらの思い、力を超えたものに拠り頼むということだけがある”、ということをずっと言って来た訳です。
私が使役するやり方というものはない!...神的なもののひとり舞台である。
神が臨み、通り、生きて働かなければ、何も始まって来ないのであります。
神を抜きにしては、私自身が存在することも出来ないのです。
”あることで悩み苦しんでいるので、その問題を解決したい!...
あることが得られれば、幸福になれるので、それを手に入れたい!
究極の悟りを得たい!
宇宙の真理を知りたい!
平和な世界を実現したい!...”
私を在らしめるもの、そのものから離れて、一体何が得られるというのでしょうか?
どこに幸福が、平安を見い出すことなど出来るでしょうか?
何故、幸福になれないのか?、諸々の問題を抱えて生きなければならないのでしょうか?
目指す道を真っ直ぐ歩んでいるつもりがどうして、ズレ、脱線し、迷い道に入り込んでしまうのでしょうか?
神の臨在、共にあること、一如たらんことを願い、祈るのみではないか?
常に神の臨在に帰る...祈入、帰入(小池辰雄)
一如になるということは、けっしてこの私が神と一つになる、ということを意味するのではありません。
一個なる私がそうなるということは、そこで閉じられてしまうということ...通らない、開かれない!...それは神を無きものに、自らを無きものにするということでありましょう?
神と一つという同じような言い方でも、内実は丸っきり違います。
それは、神はわが内に、我は神の中に...という関係が一如になるということなのです。
そこに如実に神との一体感というものが生まれるのです!
”それでは、まだ神と自分が二元に分離している”、などと言っている人間には絶対に分からないでしょう。
神がここに現存している...そこには一元も二元も、如何なる概念も当てはまらない!...如何なる思いも超えられている、ということなのです!...
といつも言っていますが、これは明らかに、ただ”こちらの思い、力を超えたものに拠り頼むということだけがある”、ということをずっと言って来た訳です。
私が使役するやり方というものはない!...神的なもののひとり舞台である。
神が臨み、通り、生きて働かなければ、何も始まって来ないのであります。
神を抜きにしては、私自身が存在することも出来ないのです。
”あることで悩み苦しんでいるので、その問題を解決したい!...
あることが得られれば、幸福になれるので、それを手に入れたい!
究極の悟りを得たい!
宇宙の真理を知りたい!
平和な世界を実現したい!...”
私を在らしめるもの、そのものから離れて、一体何が得られるというのでしょうか?
どこに幸福が、平安を見い出すことなど出来るでしょうか?
何故、幸福になれないのか?、諸々の問題を抱えて生きなければならないのでしょうか?
目指す道を真っ直ぐ歩んでいるつもりがどうして、ズレ、脱線し、迷い道に入り込んでしまうのでしょうか?
神の臨在、共にあること、一如たらんことを願い、祈るのみではないか?
常に神の臨在に帰る...祈入、帰入(小池辰雄)
一如になるということは、けっしてこの私が神と一つになる、ということを意味するのではありません。
一個なる私がそうなるということは、そこで閉じられてしまうということ...通らない、開かれない!...それは神を無きものに、自らを無きものにするということでありましょう?
神と一つという同じような言い方でも、内実は丸っきり違います。
それは、神はわが内に、我は神の中に...という関係が一如になるということなのです。
そこに如実に神との一体感というものが生まれるのです!
”それでは、まだ神と自分が二元に分離している”、などと言っている人間には絶対に分からないでしょう。
神がここに現存している...そこには一元も二元も、如何なる概念も当てはまらない!...如何なる思いも超えられている、ということなのです!...