ずっとこのブログを読まれている方ならお気付きのように、自分で言うのもおかしいですが、結構色々人の知らないことを知っています。何の役に立つのか知らないですけど...
どうも"オタク"と呼ばれる人種らしいです。イヤな言葉ですが...
こういう人は、自分が好きなこと、関心のあることしか知りませんし、知ろうともしません。ということは一般常識的な知識には疎いところがあるのです。
"いつもスピ界隈には足の付いてない、頭でっかちのヤツが多いi"、な~んて、エラそうなこと言ってますけど、私のそっちの知識ってのも相当なようでして(?)、きっと自分がそうだからそういうことが目についちゃうのでしょう。
しかし、知識には頭で思い描いているしか方法のないことと、自分の足とかで確かめられることとがあります。
好きな音楽なら自分の耳で聴いてみるに如かず、なんてのは当たり前のことだし、誰も知らない、今は道路の下になってしまった川~暗渠に実際に行ってみたい衝動に駆られる向きもあろうというものです。
この源はどこにあって、末はどこに落ちているのか?...ということに夢中になってる所謂"暗渠ハンター"の気持ち分かりますねえ...。
そのように私は、昔から可能であるならば、自分で確かめずに居れなくなる性分がありました。
だから、精神的な道においても、自分の因って来る源を探り当てようとして、"人生の裏側"へと足を踏み入れてしまう...
ということは要素としてはあったでしょうけど、ただ覚醒とか、ぶっとんだ体験を追い求めるだけのスピ.オタクのようなことになってたらと思うと、背筋が寒くなる思いがしてきます。
私がそっちの道への探究へと突き動かしていたものは、ごく単純に神信仰にあったのです。
そうして、いくつか宗教、スピ関連の団体とも関わってきた訳ですが、神についての教えを信じることに終始するだけでは到底満足することなど出来ません。
団体、教えを通して示される神ではなく、私に直接触れてくる神でなくてはならないi
私は幼いころから、"私だけの神信仰"というものがあったのです。
こういうことが高じてしまったのは確かなことのようです。
それが高じてしまうと、神についての知識というものほどバカらしいものは無い、ということが分かってきます。
ということは、昔から(多分に母の影響があったのですが)神様が好きで、惹かれてたまらないものを感じていた、ということなのです。
だから、あまり直接的でない信仰や修行というものが私に根付くことが無かったのです。
そして、"あ、そこの曲がると坂道になってる、行ってみようi"、となって抜き差しならぬ(?)世界に踏み入れてしまう....そこは天国か地獄か? 一度踏み入れたら二度と戻ることは出来ない..."
神の道は、好きなのでやめられないのは同じですが、他の知識の道とはかなり赴きが違います。
どうも"オタク"と呼ばれる人種らしいです。イヤな言葉ですが...
こういう人は、自分が好きなこと、関心のあることしか知りませんし、知ろうともしません。ということは一般常識的な知識には疎いところがあるのです。
"いつもスピ界隈には足の付いてない、頭でっかちのヤツが多いi"、な~んて、エラそうなこと言ってますけど、私のそっちの知識ってのも相当なようでして(?)、きっと自分がそうだからそういうことが目についちゃうのでしょう。
しかし、知識には頭で思い描いているしか方法のないことと、自分の足とかで確かめられることとがあります。
好きな音楽なら自分の耳で聴いてみるに如かず、なんてのは当たり前のことだし、誰も知らない、今は道路の下になってしまった川~暗渠に実際に行ってみたい衝動に駆られる向きもあろうというものです。
この源はどこにあって、末はどこに落ちているのか?...ということに夢中になってる所謂"暗渠ハンター"の気持ち分かりますねえ...。
そのように私は、昔から可能であるならば、自分で確かめずに居れなくなる性分がありました。
だから、精神的な道においても、自分の因って来る源を探り当てようとして、"人生の裏側"へと足を踏み入れてしまう...
ということは要素としてはあったでしょうけど、ただ覚醒とか、ぶっとんだ体験を追い求めるだけのスピ.オタクのようなことになってたらと思うと、背筋が寒くなる思いがしてきます。
私がそっちの道への探究へと突き動かしていたものは、ごく単純に神信仰にあったのです。
そうして、いくつか宗教、スピ関連の団体とも関わってきた訳ですが、神についての教えを信じることに終始するだけでは到底満足することなど出来ません。
団体、教えを通して示される神ではなく、私に直接触れてくる神でなくてはならないi
私は幼いころから、"私だけの神信仰"というものがあったのです。
こういうことが高じてしまったのは確かなことのようです。
それが高じてしまうと、神についての知識というものほどバカらしいものは無い、ということが分かってきます。
ということは、昔から(多分に母の影響があったのですが)神様が好きで、惹かれてたまらないものを感じていた、ということなのです。
だから、あまり直接的でない信仰や修行というものが私に根付くことが無かったのです。
そして、"あ、そこの曲がると坂道になってる、行ってみようi"、となって抜き差しならぬ(?)世界に踏み入れてしまう....そこは天国か地獄か? 一度踏み入れたら二度と戻ることは出来ない..."
神の道は、好きなのでやめられないのは同じですが、他の知識の道とはかなり赴きが違います。