今年も暮れようとしている中、"あんなことも、こんなこともあった"と一年を振り返ったりするのですが...
どうも良いこと、悪いことと単純に分けて、思い返すことが出来なくなってしまいました。
現象的に何があっても、無くても、あの"O"があれば、それで悪くなることは無いのです。
"O"...もう意識するだけで耳鳴りキンキン、身体はジンジン、心はシンシン...
それで不幸になってることなど絶対にありませんi
これに与れないというのが不幸なことなのですi
で、本当に記憶されていることと言ったら、こうなっていることしかないのです。
年が暮れて、来年になっても多分そうでしょう。
これは決して数多のあんなことやこんなことの一つのようには認識されません。
"ああいうことがあった、こういうことがあった"...そりゃあ、あるだろう...
嬉しいだろう、悲しいだろう、大変だろう...
そういうのが無かったらそんな起伏、変化の無い人生なんて平板で、死ぬほど面白くないでしょう。
又、"O"が無かったら現実に起きることに圧倒されてホントに死んじゃうかもしれません。
私はこう見えて(見えないか)感情の起伏の激しい人間で、とても"この世はマヤ、幻想なんです~"なんて澄ましこんでなど居られません。
しかも欲望の塊ときてるi 一日最低一回はバカを見ずに居れないくらいです。
この世がマヤなら、何でこの隙間風が漏れる部屋でガタガタ震え続けにゃならんのか?
冬はリアルに寒いもの...当たり前のことですね。
"この世に起こることは、スクリーンに映し出されていることみたいなものなんですよ~"って、スクリーンから北風がピューピュー吹いて来るかってんだi
苦しいこと、悲しいことはリアルにそうです。少なくとも私には。
もう、感情を押し殺して悟ったフリして、やせ我慢などしたくありません。
ただ、そう感じてたらいいんじゃないでしょうか?
そうですi そう感じなければ"O"に与ることも出来ませんi
厳しい北風も見る間に和らぎ、雲間から暖かい日の光が...悴んだ手にも温もりが...
化してゆく...
このすべて丸ごとがただ自然(じねん)に、リアルに感じられます。
変化や起伏があり、不変、普遍、常住のものがある...そのどっちかが本当で、どっちかが幻想なら...誰もこれを書くことも、読むことも出来ないでしょう。
ただ言えることは、年々、段々と、この人生の深奥に息づいているものが顕わになってきているということです。
それは意識する、しないに依らず、ずっとずっと息づいていることが自覚されてきます。
そのことを際立たせているのは、諸々の"あんなことやこんなこと"でしょう。
それも、みんな"O"の中に...
どうも良いこと、悪いことと単純に分けて、思い返すことが出来なくなってしまいました。
現象的に何があっても、無くても、あの"O"があれば、それで悪くなることは無いのです。
"O"...もう意識するだけで耳鳴りキンキン、身体はジンジン、心はシンシン...
それで不幸になってることなど絶対にありませんi
これに与れないというのが不幸なことなのですi
で、本当に記憶されていることと言ったら、こうなっていることしかないのです。
年が暮れて、来年になっても多分そうでしょう。
これは決して数多のあんなことやこんなことの一つのようには認識されません。
"ああいうことがあった、こういうことがあった"...そりゃあ、あるだろう...
嬉しいだろう、悲しいだろう、大変だろう...
そういうのが無かったらそんな起伏、変化の無い人生なんて平板で、死ぬほど面白くないでしょう。
又、"O"が無かったら現実に起きることに圧倒されてホントに死んじゃうかもしれません。
私はこう見えて(見えないか)感情の起伏の激しい人間で、とても"この世はマヤ、幻想なんです~"なんて澄ましこんでなど居られません。
しかも欲望の塊ときてるi 一日最低一回はバカを見ずに居れないくらいです。
この世がマヤなら、何でこの隙間風が漏れる部屋でガタガタ震え続けにゃならんのか?
冬はリアルに寒いもの...当たり前のことですね。
"この世に起こることは、スクリーンに映し出されていることみたいなものなんですよ~"って、スクリーンから北風がピューピュー吹いて来るかってんだi
苦しいこと、悲しいことはリアルにそうです。少なくとも私には。
もう、感情を押し殺して悟ったフリして、やせ我慢などしたくありません。
ただ、そう感じてたらいいんじゃないでしょうか?
そうですi そう感じなければ"O"に与ることも出来ませんi
厳しい北風も見る間に和らぎ、雲間から暖かい日の光が...悴んだ手にも温もりが...
化してゆく...
このすべて丸ごとがただ自然(じねん)に、リアルに感じられます。
変化や起伏があり、不変、普遍、常住のものがある...そのどっちかが本当で、どっちかが幻想なら...誰もこれを書くことも、読むことも出来ないでしょう。
ただ言えることは、年々、段々と、この人生の深奥に息づいているものが顕わになってきているということです。
それは意識する、しないに依らず、ずっとずっと息づいていることが自覚されてきます。
そのことを際立たせているのは、諸々の"あんなことやこんなこと"でしょう。
それも、みんな"O"の中に...