人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

今が悪いとは限らない

2020-03-29 10:24:42 | 雑感
昨日のポカポカ陽気が一変して、今日の東京は雪模様...
目まぐるしく変わる世の中、そしてコロナ問題。
早くも、もうすぐ新年度ですが、今年の新年は私には、比較的明るい兆候が感じられ、迎えることが出来たのです。
年頭のブログにも書いたのですが、朝、外出たら曇り模様で、にわかに晴れ始めたのですが、その間、雲の陰にうっすらと太陽の輪郭が現れた様が、全く日食のコロナのように見えたことを思い出します。
それからすぐその輪郭も見えないくらい、強烈な光一面になってしまったのでした。
それなのに...どうしてこうも...いいや私はこういうこと書くと不謹慎かもしれませんが、不安も恐怖も勿論無い訳じゃないですが、不思議とあまり暗い感じにはなりません。
その理由の一つは、おそらく世界のどっかで紛争とかやってるのでしょうけど、そういうキナ臭いニュースは最近ほとんど聞かれなくなったためでしょう。
そしてこのコロナの関係で、オリンピックが延期となるなど、次々と前代未聞のことが起きている訳ですが、しかし、私の記憶の中で今日ほどわが国が、世界各国が、一つの世界というものを認識せざるを得なくなってきたことは、かつて無かったように思えるのです。
コロナを契機として、我々は世界共同の意識を呼び起こされているのかもしれません。

ま、そういうどデカイ話はさておき、私は何せ一度"肺炎らしき"苦しみの道を通らせられている訳で、そんなに怯える必要は無いんですよi
こないだもその辺りのことを近所の医者に言いました。「私は一度かかっているから免疫は出来ているんですよねえ?」
すると「あなたの場合かかってたとしても、それは"旧型"であって、"新型"とは関係ありませんi」ですとi
"そ、そんなあi だから私が新型コロナ患者第一号だと言ってるのに..."って、かかっちまったらどうしようもありません。
思考機能も低下し、何も為すことはなくなってきます。
今の時期は静観するのが大事とか言いますが、静観していることしか出来ないのです。
そして、そんな時こそ、本当に生かされているということを実感されるのです。今は生かされている、その今に否応なしに意識が向かわされます。
私の場合、何にも為すことが出来ない中で、ただ祈らされていました。そうあの感じが"開かれ、通る"ことを...
思い返せば、私はこの時、あの神的な愛と切り離されていなかったということがハッキリ分かります。何故ならば、祈らされていたのですから...
もし、外出禁止令でも発令されるようになったら...これは万が一の時の心の準備も出来るし、その時と表裏の関係にあるような、あの神的な愛とのつながりを深めることの絶好の機会に恵まれることでしょう。
もし、世界中がそういうことになったら...いやいや、あんまり空想に走ったりしちゃあ、ダメですってi
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本当のこと言ってi

2020-03-27 10:33:48 | 雑感
ついに都知事からコロナの爆発的感染の危機、今週末の不要不急の外出自粛要請の通達が降されましたi
海外では外出禁止令が出ている国もあると言う...そおなると...(大きい声では言えないが)花見に出かけるのは今のうちではないか?
人々に危機感を持つよう促す理由も分かります。でもまだ非常事態になっていない段階なのだから、分かっている範囲での重要な情報を付け加えることも忘れないで欲しいのです。
感染は繁華街など人が集まるところ、密閉された空間に集中しているとか...だから(ここだけの話)人がうじゃうじゃ集まらない、私だけの隠れ花見スポットにコッソリと行くのがいいのです。
おおっと...これ以上書くと、私は不要でも"御用"がやって来そうなのでやめますが...

つい、こないだTVで、医療関係の専門家の皆さんにレギュラー出演の人から「コロナって本当にアブナイのか、本当のことを言って欲しいi」という質問に対し、ある専門家は「本当のこと言いますとねえ...私は風邪の一寸重いやつのようにしか思ってません。例年のインフルエンザ流行の方がよっぽどヤバいです」と答え、他の人も大体同じ見解のように感じられました。ただ高齢者や糖尿病とか持病を持ってる方は用心した方がいいと付け加えておりました。
これ、私が最近直接聞いた医者、薬剤師らの見解と全く同じなのでした。
それはおそらく"現状から判断すると..."という見地から出されるのでしょうが、刻々と変わる現状の中で"最新"の情報に則ると違ったものになるのでしょう。
だからですねえ...私には分かるのですよi...この人たち本当のこと言ってないということが...
本当のことはですねえ..."分からないのですi"
分からないから、多くの人は見えない恐怖に怯えていたり、又ある人は"我関せず"で、普通に働き、普通に遊び、普通に外出しているのです。(昨日、都知事の会見があった翌日、都内の比較的人気の花見スポットにうじゃうじゃと集まってたぞi)
私も分からないことに知ったかぶりして、リップサービスのつもりであれこれ言ったりするの反省してます。
要するに分からないものは、分からないのですi...人間のことも、神のことも、自分のこともねi...分からないのが当たり前なのです。
だから、分からないことは、分からないとホントのこと言えばいいだろi
分からないことに余計な神経使ったり、不安になっててもしょうがないし、逆に分かってる現実に目を向けることも必要でしょう。
しかし...毎年のこの桜模様...いつもとちっとも変わらないんだけどなあ...
優しい、暖かい日の光...変わらないですi...その日向ぼっこする権利、自由を奪われることになったとしても...こっちにゃどっこい"見えない日の光"があるんだi...それは、どんな専門家にも、おエラさん方にも..."分かるまいi"
コメント (3)
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ネガティブで悪いか?

2020-03-26 11:40:18 | 求道、探究
いつも言うようですが、ここで書いていることは、私は教師でも何でもないので、"こういう教え、生き方をおすすめします"、なんてことじゃなくて、個人的に思い、感じていることを書いているのです。
それで、何かを伝えたいという意思はあるのだけれど、あくまで参考にして頂ければと思っているのです。
第一、簡単に書かれている通りになど出来ないでしょうし、それで私のような性格破綻者のようになっても知りませんよi

私は大体、いいものはいい、イヤなものはイヤ、ダメなものはダメ、出来ないものは、でけんi、と結構ハッキリしたところがあるんです。
例えば、嫌いな人間は嫌いなのです。それをいちいち、"そういう風に嫌っているのは、あなたの中に嫌いなものがあって、投影されているんですよお~"、とか不幸な事態に見舞われて、"そういうことになったのは、あなたが自分で選んでいるのですよ~"とか前世のカルマだとかナントカ...知るかってんですよi
聞かされる方は勿論、言っている方も本当にそういうことを分かって言っているんだかどうか?..何を釈迦が釈迦に説法みたいなことをシャカ、シャカと...
そうすると、イヤなものをイヤでなくなるように、好きになるように心持ちを変えるのだとか...色んな理屈はともかく、そうしてそうなるんなら大いにやったらいいでしょう。アタシャ、イヤですi、でけへんi
(こういう克己的精神を欠いた性格は、おそらく一社会人としては致命的な欠陥なのでしょう。要するに子供のままいいトシになってしまったということなのでしょう。もはやこれまでか?)
これは、ネガティブなことを否定してポジティブにしようということですね。良心的な人はそれで、そうならない自分を責めたりして、ネガティブの上にさらにネガティブなことを重ねて、どんどん葛藤を抱えることになってしまうのではありませんか?(私にも良心的な時代があった?)
私は"現実を受け入れる"、ということをしばしば言っていますが、それはこういうイヤなことを受け入れる、ということとは全く違うのです。
イヤになっちゃった現実を受け入れるということです。コロナにかかっちゃたらもうしょうがないのです。医者に行くなり、薬飲んで寝るなりしなきゃ...
何でそう言えるのか?...分かりきったことですi "イヤなことを抱え続けるのはイヤだi...それでもアタシャ幸福でありたいi"
無知、無能、意気地ナシ、ダメ人間、変態(?)...人が如何にネガティブのレッテルを張ろうが構うもんかi そういうのは世の人の頭の中にしかないのです。
受け入れるということは、"ネガに対するポジ"というニュアンスとは違います。
ネガだろうとポジだろうと、そのまんまをあたかも春の暖かい日差しを浴びているように、あのすべてを見透かす光(生き方とか思い方とかじゃなくてこれが私が伝えたいことなのですi)にゆだねる...これが何であろうと幸福なことなのですi
すると、嫌いな人間も嫌いじゃなくなってくるから不思議です。
勿論、クサクサしてる時とか重ーくなってる時は、そう簡単には思えないですよi
いや、だからねえ...思えんものは、思えんでいいのi
思えなかったら、人の居ないところか、心の中で思いっきり、全身全霊をもって、本当に神にぶつけるように、"思えねーっi"って叫ぶとかi(クサってる時はいいかも?)
私はメソッドみたいなことにはほとんど触れないけど、案外言ってたりして...勿論経験者が語っているのです。
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恩寵を受け入れる

2020-03-23 12:10:42 | 覚醒
一口に精神的覚醒とかエンライトメントの体験と言っても様々な様態があります。
まあ、そんな体験も無い、と身もフタもない観方もあるようですが...
例えば、所謂法悦状態というか、心身が揺すぶられ、爆発的な感情の解放のような状態を伴うものもありますが、これを"それはまだ本当に目覚めた境地ではない"、とする観方もあるようです。
もっと進むとそういう状態は後退して、より意識は明晰になって深く浸透してゆくようになるとか...
こう書くと、誰しもがそういう道程を歩むものかと思うかもしれませんが、一様ではないでしょう。
その法悦状態というもの自体も一様ではないと思われます。
よくそれを又忘我状態などと言ったりしますが、本当にそうなったら、そうなったことなど覚えてないでしょう。
私が初めて神的なものに捉えられた時など、人通りの多い駅前ビルの片隅でずっとワンワン泣いていた訳で、人目にはさぞかし奇異に映ったことでしょうが、我を忘れるどころかあんなに意識が明晰になったことは全くありませんでした。
それが取りも直さず、思いを超えたということだったのですが...そんなことは私の思われた人生ではあり得ないことで、私の力、思議など全く及ばないことであるのは言うまでもありません。それは恩寵としか言いようのないものなのです。
私はその神的な思し召しのようなことに対して、"それは今だしのものだった"、などと言える道理などあるでしょうか?
恩寵の前には、ただ感謝して受け入れるしかありませんi 
私することも出来ません。私するとは囚われること、主に取って代わり、自分でコントロール出来るかのように図ることなどです。
自分の力で、絶えず飛び回り続ける思考を断じることなど出来るでしょうか?
本当の覚醒の境地を目指して、それに到達出来る人間など居るでしょうか?...こういうことは思われた人間がどうこう出来ることではないのです。
すべては神の御手のうちにあることなのです。(こう書くと私は所謂自力修行を否定しているみたいですが、あくまで自力の及ばなくなる地点から先の消息のことを言っているのです)
あなたが何時、どんな状態の時に恩寵の光を受けるか..."あなたの最善の時"は神がご存じなのです。
その時、所謂法悦状態というものがあるかもしれないし、無いかもしれない...どっちみち受け入れるしかありません。
まあ、大体は私の場合もそうでしたが、段々見た目奇異な感じは落ち着いてきて、深く浸透してくるのが普通だと思われますが、何が本当のエンライトメントの境地か?...何てことはこちらが決められるようなことではないでしょう。
その道程のある局面を捉えるのでなく、初めから終わりまで神のなせる業ではないでしょうか?
恩寵には囚われず、受け入れることがあるばかりでしょう。
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究極の黙示録

2020-03-22 09:40:08 | 詩的文章
"窓越しに誰かが待っている
階段の向こうで誰かが叫んでいる
死者と死にゆく人のための預言者の言葉に溺れて
誰かがウソをついている
誰も信じやしない

誰かが死にゆく
街はパニックとなり、誰も助けられず、逃げられない
誰かが聖なる革命、幻想のパレードを待ちながら、とても楽しんでいる
...
さあ、踊らない?、踊りましょう
朝の光はファンタスティック
身を預けるのはロマンチック
飽きるかもしれないけど
あなたと私が死んだら
誰が生き残るというの...
(Will You Dance? By Janis Ian)"

信じるものは持ち上げられて
信じないものは落ちてゆく
誰かがそう言った
聖なる書に、そう書かれている
何がが伝染するらしい
もう、踊らされるのはウンザリi

たとへ、終わりの日が来たとしても
ずっと君と踊り明かしていたい
手を握らずにいられない、抱きしめずにいられない
君と僕の主はこう告げたから...
"我が愛に居れi"
多分、終わりはないだろう
それが究極の黙示録


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