今朝、一寸不思議な夢を見ました。
私は誰も知らないような、小さい規模のある瞑想会に行こうとしていました。
途中、バッタリ顔馴染みの瞑想家、K先生に会い、その集会室に誘われて行きました。
その中は、如何にもという感じの、何やらインド風の装飾にあふれ、香の臭いが立ちこめている感じで、K先生の趣向が表れているようでした。
実に久しぶりの出会いにも関わらず、先生からはそのことを感じさせない表情が見られました。
私は、正直に別の瞑想家の集まりに行こうという旨を伝えたのですが、「ほお、そうなんだ?」と、かなりアバウトで、あまり立ちいった、微妙な話題になることもなく、少し共にいつものシンプルな瞑想をしました。
その瞑想では、別に珍しいことじゃないですが、ある種の”波動共鳴”?のようなことが起こり、心地よい気分のうちにそこを後にして、すっかり外は暗くなった中(どこの駅だか分からないのですが、かなり具体的に思い描ける)、路面電車らしいものに乗り、その集会所を目指しました。
そこに着くと、かなりみすぼらしい、バラックのような家で、中はやはりかなり荒れ果てていて、先のK先生のところとは対象的な感じでした。
その未見であるはずの、何でも元オショー.ラジニーシの弟子だったという以外、詳しく知らない先生は、雑魚寝をしていて、私の他、誰も来ていませんでした。
しばらくして、目覚められて「なんだー、居るんなら起こしてくれよう!」と、初対面ということを全く感じさせない、やはりアバウトな立ち居振る舞いなのでした。
顔を見ると、絶対にどっかで会ったことがあるということが分かりましたが(これも、かなり具体的に思い描ける)、どこで会ったかは分かりません。
かつて大阪にあった、小さいレコード屋さんの店主に酷似していました。瞑想家というより、安居酒屋の朴訥なマスターという感じにしか見えません。
「ここは、表向き踊りを教えていることになってんだけど、瞑想なんて言うと、警戒して貸してくれないからなあ!」とか、誰も来ないまま、その初めて携わるであろう、瞑想の説明も無いまま、雑談をいくつかしているうちに、強い”波動共鳴”が起きたらしく、そこからの記憶は無くなってしまったのです。
そして、目が覚めると...その波動共鳴は続いており、深い瞑想状態というか、深い祈りの、現臨にある、と言ってもほぼ同じ意識状態になっていたのでした。
これは、本当に何にも代えがたい至福の一時という他ないものです!ただ、それに与っていたらいいので、余計な説明、理屈など一切要りません。
そして、いつも感じるのは、”ああ、どうしてずっとこういう状態のままで居られないのか?”、というものです。又寝ると消えてしまうので、もう寝たくない!、という望みも空しく、自然な生理現象には勝てないのでした。
コロナ感染と共に始まったこの月も、中秋を迎えて終わろうとしています。
疲労感や、旨の圧迫感が中々抜けず、まだ元通りにはならない状態が続いているのですが、何かが”開かれた!”という感じは確かにあります。
それにしても、何故か久しぶりのK先生、そして又全然心当たりの無い謎の瞑想家...あれは誰だったのだろう?...
私は誰も知らないような、小さい規模のある瞑想会に行こうとしていました。
途中、バッタリ顔馴染みの瞑想家、K先生に会い、その集会室に誘われて行きました。
その中は、如何にもという感じの、何やらインド風の装飾にあふれ、香の臭いが立ちこめている感じで、K先生の趣向が表れているようでした。
実に久しぶりの出会いにも関わらず、先生からはそのことを感じさせない表情が見られました。
私は、正直に別の瞑想家の集まりに行こうという旨を伝えたのですが、「ほお、そうなんだ?」と、かなりアバウトで、あまり立ちいった、微妙な話題になることもなく、少し共にいつものシンプルな瞑想をしました。
その瞑想では、別に珍しいことじゃないですが、ある種の”波動共鳴”?のようなことが起こり、心地よい気分のうちにそこを後にして、すっかり外は暗くなった中(どこの駅だか分からないのですが、かなり具体的に思い描ける)、路面電車らしいものに乗り、その集会所を目指しました。
そこに着くと、かなりみすぼらしい、バラックのような家で、中はやはりかなり荒れ果てていて、先のK先生のところとは対象的な感じでした。
その未見であるはずの、何でも元オショー.ラジニーシの弟子だったという以外、詳しく知らない先生は、雑魚寝をしていて、私の他、誰も来ていませんでした。
しばらくして、目覚められて「なんだー、居るんなら起こしてくれよう!」と、初対面ということを全く感じさせない、やはりアバウトな立ち居振る舞いなのでした。
顔を見ると、絶対にどっかで会ったことがあるということが分かりましたが(これも、かなり具体的に思い描ける)、どこで会ったかは分かりません。
かつて大阪にあった、小さいレコード屋さんの店主に酷似していました。瞑想家というより、安居酒屋の朴訥なマスターという感じにしか見えません。
「ここは、表向き踊りを教えていることになってんだけど、瞑想なんて言うと、警戒して貸してくれないからなあ!」とか、誰も来ないまま、その初めて携わるであろう、瞑想の説明も無いまま、雑談をいくつかしているうちに、強い”波動共鳴”が起きたらしく、そこからの記憶は無くなってしまったのです。
そして、目が覚めると...その波動共鳴は続いており、深い瞑想状態というか、深い祈りの、現臨にある、と言ってもほぼ同じ意識状態になっていたのでした。
これは、本当に何にも代えがたい至福の一時という他ないものです!ただ、それに与っていたらいいので、余計な説明、理屈など一切要りません。
そして、いつも感じるのは、”ああ、どうしてずっとこういう状態のままで居られないのか?”、というものです。又寝ると消えてしまうので、もう寝たくない!、という望みも空しく、自然な生理現象には勝てないのでした。
コロナ感染と共に始まったこの月も、中秋を迎えて終わろうとしています。
疲労感や、旨の圧迫感が中々抜けず、まだ元通りにはならない状態が続いているのですが、何かが”開かれた!”という感じは確かにあります。
それにしても、何故か久しぶりのK先生、そして又全然心当たりの無い謎の瞑想家...あれは誰だったのだろう?...