「私にとっては意識の夜の側面、心理の秘密の部分、精神の神秘な生活が人間生活のもう一つの有り様と等しく確実な実在性を持っていることが明白である」(アミエルの日記)
”これは秋の夜長の伴侶として最適…”と、書いてみようと思っているうち、あれま…季節外れの寒波などあり、瞬く間に今年の秋は過ぎ去ろうとしているではありませんか…
確か去年の今頃もそんな考えが過ったと思いました。(毎年の秋読んでいる気がします)
これじゃ、ずっとこの愛すべき枕頭の書のことは触れずじまいになりそう…
という訳で、私はどうしてもこの本に触れざるを得なくなってしまいました。
「アミエルの日記―全四冊」(岩波文庫)
西欧文学史の中で俗にモラリストと言われる系譜の人たちが存在します。モンテーニュ、パスカル、ラ・ロフシュコー…フランス人が多いですが、彼らがそう呼ばれるような道徳論者、道学者だったという訳ではありません。彼らは多く人生論について語っていたので、モラルとは人生の則みたいなものでしょうか…ぶっちゃけて言うと、箴言とか随想など形式に捉われず書き表す人たちのことですね。
19世紀のフランス系スイス人アンリ・フレデリック・アミエルもこの系譜の人として知られていますが、私はもっとも親しみを憶えています。なんと言っても私とは精神的に類縁のものを感じていますから…
といっても、私とは比べるべくもない一流大学の教授でしたが、生前は周囲からは、あまり自己を主張するでも、感情を露にするでも無く、クセの無い、特色の無い人間のように観られていたようです。J.J.ルソーの研究とか著述も成してはいたが、ほとんど知られていません。
彼の名を後世に知らしめているのは、死後発見されたこの日記によっているのです。その知られざる内的生活に初めて光が当てられ、徐々に評判となり、トルストイにも影響を与えるなど、諸外国にも知られて行ったのです。
して、そこで一口にどういう事が述べられていたかということは…考えるのも言うのもムダという気がします。
一応はキリスト教徒ですが、例えばパスカルのような護教精神のようなものとは無縁で、彼について「先入観の網から脱することは出来なかった」とその批判的な言葉も残しているなど、因習、形式に捉われる事の無い、真の意味での無教会人でした。
あるところで精神的昂揚、パッションの表出も間近か、と思わせるが、仏教徒やタオイスト(東洋的な伝統についても造詣が深かった)のような静謐さで抑えられています。(この面で少しくアンバランス、乱調だったりするのは誰かさんのよう?)
内容は文学、哲学、宗教、心理学、科学、文明批評(博学です)…と多岐にわたっていますが、一貫して楽観的とも悲観的ともつかない内省的なトーンで彩られているのです。
随所に感じられる、一面的観方、定見、先入観からの自由な精神…
これらの多くは表向きの仮面の下に隠されていたものであったのでしょう。
何といっても、それらはこの日記の存在によってのみ垣間見ることが出来るのです。
これが日の目を見なかったら、彼のことなど誰の目にも止まることなく忘れ去られてしまったことでしょう。
もっともアミエルにとっては、元々公にする目的で書かれていない、次の文章に伺えるように意に介すことでは無かったでしょう。
「無限な意識のうちに自己を認め、神の中にあると感じ、神の中に自己を受け容れ、神の意志の中に自己を欲すること…この意識が宿命的であろうと、自由であろうと、これと合一することが善である」(1870年12月6日)
ここに人生の裏側に踏み入れてしまった人間の生き様を見る思いがしてきます。
「とにかく、この生活が何でもなかったとしても多くのことを理解した。この生活が秩序を得なかったとしても秩序を愛したことにはなる」(1875年8月28日)
”これは秋の夜長の伴侶として最適…”と、書いてみようと思っているうち、あれま…季節外れの寒波などあり、瞬く間に今年の秋は過ぎ去ろうとしているではありませんか…
確か去年の今頃もそんな考えが過ったと思いました。(毎年の秋読んでいる気がします)
これじゃ、ずっとこの愛すべき枕頭の書のことは触れずじまいになりそう…
という訳で、私はどうしてもこの本に触れざるを得なくなってしまいました。
「アミエルの日記―全四冊」(岩波文庫)
西欧文学史の中で俗にモラリストと言われる系譜の人たちが存在します。モンテーニュ、パスカル、ラ・ロフシュコー…フランス人が多いですが、彼らがそう呼ばれるような道徳論者、道学者だったという訳ではありません。彼らは多く人生論について語っていたので、モラルとは人生の則みたいなものでしょうか…ぶっちゃけて言うと、箴言とか随想など形式に捉われず書き表す人たちのことですね。
19世紀のフランス系スイス人アンリ・フレデリック・アミエルもこの系譜の人として知られていますが、私はもっとも親しみを憶えています。なんと言っても私とは精神的に類縁のものを感じていますから…
といっても、私とは比べるべくもない一流大学の教授でしたが、生前は周囲からは、あまり自己を主張するでも、感情を露にするでも無く、クセの無い、特色の無い人間のように観られていたようです。J.J.ルソーの研究とか著述も成してはいたが、ほとんど知られていません。
彼の名を後世に知らしめているのは、死後発見されたこの日記によっているのです。その知られざる内的生活に初めて光が当てられ、徐々に評判となり、トルストイにも影響を与えるなど、諸外国にも知られて行ったのです。
して、そこで一口にどういう事が述べられていたかということは…考えるのも言うのもムダという気がします。
一応はキリスト教徒ですが、例えばパスカルのような護教精神のようなものとは無縁で、彼について「先入観の網から脱することは出来なかった」とその批判的な言葉も残しているなど、因習、形式に捉われる事の無い、真の意味での無教会人でした。
あるところで精神的昂揚、パッションの表出も間近か、と思わせるが、仏教徒やタオイスト(東洋的な伝統についても造詣が深かった)のような静謐さで抑えられています。(この面で少しくアンバランス、乱調だったりするのは誰かさんのよう?)
内容は文学、哲学、宗教、心理学、科学、文明批評(博学です)…と多岐にわたっていますが、一貫して楽観的とも悲観的ともつかない内省的なトーンで彩られているのです。
随所に感じられる、一面的観方、定見、先入観からの自由な精神…
これらの多くは表向きの仮面の下に隠されていたものであったのでしょう。
何といっても、それらはこの日記の存在によってのみ垣間見ることが出来るのです。
これが日の目を見なかったら、彼のことなど誰の目にも止まることなく忘れ去られてしまったことでしょう。
もっともアミエルにとっては、元々公にする目的で書かれていない、次の文章に伺えるように意に介すことでは無かったでしょう。
「無限な意識のうちに自己を認め、神の中にあると感じ、神の中に自己を受け容れ、神の意志の中に自己を欲すること…この意識が宿命的であろうと、自由であろうと、これと合一することが善である」(1870年12月6日)
ここに人生の裏側に踏み入れてしまった人間の生き様を見る思いがしてきます。
「とにかく、この生活が何でもなかったとしても多くのことを理解した。この生活が秩序を得なかったとしても秩序を愛したことにはなる」(1875年8月28日)