夏の定番音楽と言えば、ハワイアン、ハワイ音楽...
というのは、昭和の時代のことだったのでしょうか?
それ自体近年は廃れがちですが、商店街に行くとBGMとしてよく流れていたものです。
60年代には、夏季だけでなく、フツーに我が国の歌謡界に浸透していました。
これは和製ハワイアン.バンド、和田弘とマヒナスターズに負うところが大きいでしょう。
その伴奏による、松尾和子さんの歌でヒットした「誰よりも君を愛す」は、私の幼児のことながらシッカリ覚えています。
これはハワイアンというより南国調の「ムード歌謡」なのですが、松尾さんのような、しっぽりと湿っぽい、くらーい歌い方というのは、我が国ならではのもので、本場のハワイ音楽ではほとんどお目にかからないものです。
本場のハワイ音楽というのはですね...実はよお分かりません(笑)
ジャズ、タンゴ、ラテン...多くのポピュラー音楽と同じくハワイアンも、1920年代後半にその基本的なスタイルが創出されました。
そして、タンゴやラテンがそうであるように、それはジャズのイディオムを取り入れることで、豊かな音楽表現を生み出すに至ったのです。
というより、初期のハワイアンは、米本土のジャズ、ヴォードヴィル、ノヴェルティ音楽との関わり抜きでは語れないと言ってもいいでしょう。
ハワイアンの花形楽器、スティール.ギターの初期の名手たち、ソル.フーピーもロイ.スメックも「セントルイス.ブルース」や「12番街のラグ」など、多くの当時のジャズ、ヴォードヴィルの人気レパートリーを取り上げていましたが、これらとハワイ原産の曲とが、渾然となっていたのが、この頃のハワイ音楽の有り様だったようです。どうもこの両者には、元々似た要素があったようで、並べて聴いても全く違和感を感じません。
そして30年代初頭のニューヨークの大恐慌は、ハワイの音楽家たちにも打撃を与え、多くの者は引退を余儀なくされたと言う。
自身秀れたギター奏者で、黒人ブルースやその周辺音楽の研究家でもあり、その数々の音源を復刻した、ボブ.ブロスマンは、"伝統的ハワイ音楽はこの頃に廃れてしまい、それは、30年代中頃には、アメリカナイズされ、コマーシャル化したものに変質してしまった..."と述べていますが...
しかし...ハワイって、そもそもアメリカの準州だったのでは?...前記したように、ハワイ音楽は、その創成からしてアメリカナイズされてないか?
それに...コマーシャル化してないポピュラー音楽なんて無いです。
それを"オーセンティック"なハワイ音楽と呼んでいいかどうかは分からないが...我々平均的? 日本人がイメージしているハワイ音楽は、この30年代中頃、米の景気回復と共に"リニューアル"されたものの波を受けていると言ってもいいでしょう。
この頃、米ポピュラー歌手ビング.クロスビーが"ハワイアン.パラダイス"、"スイート.レイラニ"などの定番曲を次々に吹き込み、ハワイ発のラジオ放送も始まり、正確にこう言っていいか分からないながら、ここにハワイ音楽の黄金時代を迎えるようになったのです。
これと、その前期と大きく別つものは、何と言ってもスティール.ギターの電気化でしょう。
"びよよ~ん"...これは、いいi...たとえ、それが擬似的な南国ムードだろうと...あのねえ、悔しいけど、こちとらお金なくてハワイに行けないんですi 東京に居ながら、一人侘しくノスタルジックな南国気分...悪いかi
夏季だけでなく、一年中聴いていたいものです。
この時代のものは勿論(かつて「不滅のハワイアン」名盤.シリーズという貴重なLPが出されていた)、20年代のもいいけど、一番のお気に入りは、何とフェリックス.メンデルスゾーンという、あの人...ではないユダヤ系英国人の、ウソっぽい楽団の定番曲です。
※Felix Mendelssohn & Hawaian Serenaders「Pagan Love Song」(1940)
ここに聴かれる「ローランド.ピーチェイ」という、スティール.ギター奏者は、カナダの白人ですが、これがいいんだから仕方がないi
30年代以降活躍したディック&ラニ.マッキンタイヤー兄弟は、ビング.クロスビーとの共演が沢山聴けるが、これといったものが見つけられませんでした。
大物ソル.フーピーSol Hoopiiは「Lehua」「12th Street Rag」(共に1927年)他で、そのジャズと渾然とした様子が伺えます。
というのは、昭和の時代のことだったのでしょうか?
それ自体近年は廃れがちですが、商店街に行くとBGMとしてよく流れていたものです。
60年代には、夏季だけでなく、フツーに我が国の歌謡界に浸透していました。
これは和製ハワイアン.バンド、和田弘とマヒナスターズに負うところが大きいでしょう。
その伴奏による、松尾和子さんの歌でヒットした「誰よりも君を愛す」は、私の幼児のことながらシッカリ覚えています。
これはハワイアンというより南国調の「ムード歌謡」なのですが、松尾さんのような、しっぽりと湿っぽい、くらーい歌い方というのは、我が国ならではのもので、本場のハワイ音楽ではほとんどお目にかからないものです。
本場のハワイ音楽というのはですね...実はよお分かりません(笑)
ジャズ、タンゴ、ラテン...多くのポピュラー音楽と同じくハワイアンも、1920年代後半にその基本的なスタイルが創出されました。
そして、タンゴやラテンがそうであるように、それはジャズのイディオムを取り入れることで、豊かな音楽表現を生み出すに至ったのです。
というより、初期のハワイアンは、米本土のジャズ、ヴォードヴィル、ノヴェルティ音楽との関わり抜きでは語れないと言ってもいいでしょう。
ハワイアンの花形楽器、スティール.ギターの初期の名手たち、ソル.フーピーもロイ.スメックも「セントルイス.ブルース」や「12番街のラグ」など、多くの当時のジャズ、ヴォードヴィルの人気レパートリーを取り上げていましたが、これらとハワイ原産の曲とが、渾然となっていたのが、この頃のハワイ音楽の有り様だったようです。どうもこの両者には、元々似た要素があったようで、並べて聴いても全く違和感を感じません。
そして30年代初頭のニューヨークの大恐慌は、ハワイの音楽家たちにも打撃を与え、多くの者は引退を余儀なくされたと言う。
自身秀れたギター奏者で、黒人ブルースやその周辺音楽の研究家でもあり、その数々の音源を復刻した、ボブ.ブロスマンは、"伝統的ハワイ音楽はこの頃に廃れてしまい、それは、30年代中頃には、アメリカナイズされ、コマーシャル化したものに変質してしまった..."と述べていますが...
しかし...ハワイって、そもそもアメリカの準州だったのでは?...前記したように、ハワイ音楽は、その創成からしてアメリカナイズされてないか?
それに...コマーシャル化してないポピュラー音楽なんて無いです。
それを"オーセンティック"なハワイ音楽と呼んでいいかどうかは分からないが...我々平均的? 日本人がイメージしているハワイ音楽は、この30年代中頃、米の景気回復と共に"リニューアル"されたものの波を受けていると言ってもいいでしょう。
この頃、米ポピュラー歌手ビング.クロスビーが"ハワイアン.パラダイス"、"スイート.レイラニ"などの定番曲を次々に吹き込み、ハワイ発のラジオ放送も始まり、正確にこう言っていいか分からないながら、ここにハワイ音楽の黄金時代を迎えるようになったのです。
これと、その前期と大きく別つものは、何と言ってもスティール.ギターの電気化でしょう。
"びよよ~ん"...これは、いいi...たとえ、それが擬似的な南国ムードだろうと...あのねえ、悔しいけど、こちとらお金なくてハワイに行けないんですi 東京に居ながら、一人侘しくノスタルジックな南国気分...悪いかi
夏季だけでなく、一年中聴いていたいものです。
この時代のものは勿論(かつて「不滅のハワイアン」名盤.シリーズという貴重なLPが出されていた)、20年代のもいいけど、一番のお気に入りは、何とフェリックス.メンデルスゾーンという、あの人...ではないユダヤ系英国人の、ウソっぽい楽団の定番曲です。
※Felix Mendelssohn & Hawaian Serenaders「Pagan Love Song」(1940)
ここに聴かれる「ローランド.ピーチェイ」という、スティール.ギター奏者は、カナダの白人ですが、これがいいんだから仕方がないi
30年代以降活躍したディック&ラニ.マッキンタイヤー兄弟は、ビング.クロスビーとの共演が沢山聴けるが、これといったものが見つけられませんでした。
大物ソル.フーピーSol Hoopiiは「Lehua」「12th Street Rag」(共に1927年)他で、そのジャズと渾然とした様子が伺えます。