人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

去来の儀式

2015-12-31 15:53:35 | 祈りと瞑想
ゆく年くる年…
過ぎて行くものは手放し、新たに生まれるもの、訪れるものは受け入れよう…

私はここ十数年、大晦日と元旦の狭間、午前零時除夜の鐘が鳴りはじめる時を境にして、数十分間祈りとも瞑想ともつかないようなことに身をゆだねて過ごしています。
自宅であろうと、出先であろうと…私はその間半分この世の人間でない?みたいです。
よく考えてみると、そういう事を自分で決めていた、という事でも無く、例年自然にそのように導かれていくようなのです。
そのように身も心も自分を超えたものに委ねるという事は、取りも直さず”手放し”、”受け入れ”というステージに身を預けるという事に他なりません。
十三年前、その大晦日は風邪気味で気力も体力も無く、ホントに一日中寝て過ごしていました。
シンドくて動けないというのでも無く、とにかく何もやる気が起きず、ダラダラ、フラフラとして居たのです。
”何、もうすぐ新年が来るって…どうでもいいがな…どうでもいい一年が過ぎて、どうでもいい一年が始まるだけ…”
と…いう感じで、確かフトンの中で寝っ転がりながら、(如何に無気力神に憑りつかれていたことでしょう)ポカーンと半ばやけっぱちのように身心を預けてみました。
すると…何か雲のようなもの(シェキナー?)が自分の全てを覆うようになったかと思うと、ムクムクと生命力が湧き上がってくるのが、それこそ絵に描いたようにはっきりと感じられました。
十分ばかしの間のことです。そして除夜の鐘が煩悩を吹き払うように”ゴ~ン”と鳴り響くや…
”こうしちゃいられない!”ガバッとフトンから起き上がり…”オオツ!もう抑えきれないッ!”…喜びであふれかえりそう…
こんなにもガラッと変わってしまったことはありません。風邪もどっかへ飛んで行きました。
そして何かインスピレーションが湧いてきました。
”鉄は熱いうちに打て!”この時アリアリと私が実感したことを文章化してみようと思い立ちました。
もう即初めて一気呵成にレポート用紙で二十枚くらい書いたと思います。
特別なメソッドの無い、無為にのっとった祈り、瞑想?それをクエーカー(当時大阪の集会に通っていました)の沈黙の祈りや気功、スブドのラティハン、野口整体などと関連づけて(全くまとまりのないものだったですが)覚書のようなものを書いてみたのです。
この各々には流派、看板のようなものもありますが、ホントのその創始者、指導者というのは目に見えないはずで、名前のついたメソッドなどに固執すると、おそらくその本質は見えなくなってしまうだろう…名状しがたい恩寵、生命力というものがあって初めて、その行法らしきものが始まる…というようなことを強調していました。
気が付いたら外が青味がかってきて、鳥が囀り始めていました…。
私はこの時本当にこの方法無き行法?の素晴らしさを実感したのです。
どうでもいいような年越しが、特別な”その日”になってしまったのです…。

退屈そうで死にそうな方も、苦難を抱えた方も、そうでない方も…誰しもが預かれる形なき”去来”の儀式…
一年に一度自分を捨ててみよう…いや捨てられません。
去るのも、来るのも如来、キリスト…恩寵の光と共にあります。
人皆に新天新地の開かれますように…

良いお年を…
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五井先生の表と裏

2015-12-28 16:23:38 | 人生の裏側の図書室
”物事には全て見える形があり、その奥、裏には見えないものが隠れ息づいている”ということは、本ブログの基調的なものですが、形あるものは相対的なものであり、時、所の制限を受け、時と共に盛衰といった変化を伴い、所変われば様相も変わるものであるのは言うまでもありません。
そしてその奥にあるものこそは、普遍、不変なものに通じていると言えるでしょう。
私には宗教というものほど、この事を如実に表しているものは無い、と思います。
五井昌久先生の名は、少しく宗教、スピに関心を持っている方なら知らない人はいないでしょう?
白光の五井先生と言ったら…”世界人類が平和でありますように…”の文句がすぐ連想されるように ”世界平和の祈り”の提唱者ですね。
この祈りは先生が言うには、宗教宗派を超越した祈りである、とのことです。
では果たして現実に白光会以外の宗派で、この祈りは唱えられているのでしょうか?
(いや、それどころか現在の白光会では、指導方針も変わってしまったようで、その看板であったこの祈りも蔑ろにされている傾向が有るようです。)
要するにもう巷では、この祈りは一教団に関わるものであり、五井先生の名と共にあるものだという事は認知されていると言わざるを得ないでしょう。
それでも、一部の五井先生派の人たちの中には、まるで何十年前から時間が止まってしまったみたいに、この祈りを初め、先生の教えを押し広めようとしている人も居ます。
人が何に価値を見出し、何を信じ、何を行じていくかは、全く自由だし、私がどう、こう言うべきことじゃありません。
ただ現実的に考えれば、祈りの同志が今後増えていく事はまずないでしょうね…
では全くの白光無教会?の私はというと、人数が多かろうと、少なかろうと私一人だけだろうと関係ありません!
五井先生という人は私にとっては、神…名称は何であれ、”見えざる導きと共にあること”を知らしめてくれるマスターなのです。
”常に思いを神に向けていると、いつの間にかスーッと神の中に入ってしまうんですよ!”
私が日ごろ言っていることというのは、イロイロ形を変えた、こうした言葉のバリエーションみたいなものです。
私自身何がどうなって、人生の裏側を垣間見てしまったかといったら、”こういうことだった…”と言わざるを得ません。
具体的にどんな祈り、修行をして来たかと言うんじゃないですけど…
そしてスーッと、どうなるか…全託してしまうのです。明け渡しです。
全託ということは、この教えだとかこの行とかこの教団が…といった捉われた思いを手放す、ということです。
”五井先生の教えは入門者向き…”なんて軽く見てたらトンデモありません。
何の宗教、スピだろうとそこへ導かれるものじゃないですか。
そして、こういうものこそ宗教宗派、宗派に関わろうと、関わるまいと、それらを超えたものなのではないですか!
廃れて行くものは廃れるに任せておけばいいのです。それが諸行無常というもの…
こういう事というのは、形を変えて千古の昔から人間の精神世界で息づいてきたものです。
何時の時代にも、どの宗教でもこういう事を伝えているのです。勿論どの教えでなければならない…という事ではありません。
そして何か困った時、苦難でニッチもサッチも行かなくなった時、神でもなんでも祈ればいいのです。
悟ったような人は、”自分以外のものなんかに助けてもらう必要無い、神は自分だ…”などと言うかも知れません。
そんなに今の世の中オメダタイのだろうか…
今、あらゆる人は、強がり、意地、利口ぶり、屁理屈を捨てて、ごちゃごちゃ言ってないでもっと素直になるべきだと思います。
そのうち、八方塞がりになったらどの道全託!…
”救いの無い悟りは無く、悟りの無い救いも無い…”こういう事も五井先生のあらゆる著書から垣間見ることが出来ます。
先生の著書はあまりに膨大で、どれか一冊…というのは決めにくいですが、まだ世界平和の祈りが生まれる以前に書かれたもので、基本的な事が述べられているものに「神と人間」があります。
あとは講話をまとめたシリーズは、どれも先生の口調などをそのまま捉えていて親しみやすいです。
「我を極める」「永遠のいのち」など…(いずれも白光出版)
”宗教なんて…”という色眼鏡を置いて読んでいくうち思わぬ気付きが有るかも知れません…。




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キリスト、日本、イスラエル

2015-12-26 19:54:30 | 人生の裏側の図書室
内村鑑三先生は、”私は二つのJ、ジーザスと日本(ジャパン)を愛する”と言いました。
内村先生の無教会の流れを汲む、原始福音キリストの幕屋の創始者、手島郁郎先生はさしずめ”三つのJ”を愛してやまなかった人だったと言えるでしょう。手島先生の場合は、イエス・キリスト、日本、そしてイスラエル(ジューイッシュ)です。
手島先生とその原始福音運動とイスラエルとの関係については…
手島郁郎著「聖書の宗教とイスラエル」(ミルトス刊)
に詳しく紹介されています。(おそらく現在、手島先生のもので一般書店で扱っている唯一の本だと思います。)
元々無教会には、西欧化されたそれでない、日本人の血肉にうったえる福音理解というテーゼを掲げていたのですが、手島先生と小池辰雄先生は、そこから観念的信仰を突破し、聖霊による生命に満ちたキリストを提唱した訳ですが、両者に息づいていた日本的なものの心象には微妙な差異が見られます。
小池先生にあっては、どちらかと言うと日本精神に溶け込んだ仏教や老荘思想に観られるような、東洋的無の消息が伺えるのに対し、手島先生の場合は日本的と言うよりは日本民族的と言った方がいいように感じます。このうち私の具体的な血肉にうったえてくるのは、こちらの方なのですが、そこを強調すると、ともすれば相対観に捉われがちになるきらいが生じます。
そこに無的なものに包み込まれる事で角ばりが取れてくるように感じて、私にはどちらがどう、とは言えません。
我々は相対的な血肉を持って生きており、裏側では相対を超えたものに支えられているです。
両方あって日本的なものが生きてくるのではないでしょうか?…
手島先生は、さらに福音の根幹的なもの(福音の母体としてのユダヤ教)の追及、神の経綸に関した黙示的ヴィジョンからイスラエルのために祈り、交わるという、日本人キリスト者として特異とも言える生き方を示しました。
私の心象には、こうした先生の生き方に”和合”という響きをもった、いくつかの象徴的な図式が浮かび上がります。
それは、まず”ユダヤ教とキリスト教の和合”
私がこの本を読んだのは今年の夏だったのですが、実は長いこと誤解していたことが有りました。
それは手島先生に先立って、昭和初期の頃中田重治という、再臨運動で知られるホーリネス教会の牧師が、日本=ユダヤ同祖論を唱えるなどして、イスラエルとの交流をしていたのですが、てっきり先生はそれを踏襲しているものだと思い込んでいたのです。
しかし先生にはイスラエル伝道というか、ユダヤ教をキリスト教に改宗させるような目論見(キリスト再臨の条件としてユダヤ人の悔い改めが必要、と信じられていた)は無かったようです。その理念は純粋な分裂した聖書の民の回復に有ったと思います。
それどころかユダヤ教神秘主義ハシディズムなどから、旧約に根差しながら聖書を学び直そうという姿勢を持っておりました。
又逆に形骸化したハシディズムに聖霊の息吹を吹き込んで、活性化させようとしたりするのだから恐れ入ります。
二つ目は”キリスト教と日本的なものの和合”
先生の処女作「聖霊の愛」(東京キリスト聖書塾刊)に見るように、日本人である先生にとって古事記神話の世界こそ、主たる日本の旧約なのでした。この民族的基盤の上に生けるキリストの生命を接木して、大和民族の心を再興させること、これが先生の伝道の主眼だったのです。
さらにはここからこの本では、直接的な言及はないですが、”日本とユダヤの和合”という事にも導かれてくる、と思われます。
先生も又日本=ユダヤ同祖論者でしたが、この二つの和合というのは、古代史的な意味合いを超えて、未来における世界平和の和合の型でもあるということは、(真偽はともかく)ある筋の経綸の信奉者の心象には根強く刻印されていることです…。

私は時に、パレスチナ問題という火種を抱えた世界情勢の中で、相対的、政治的な事に触れざるを得ない、親ユダヤ的表明には素直に首肯できないところもありますが、ずっと先生の基調にあったものは次の言葉に伺えるものであり、これこそ民族、宗教を超えて普遍調和に導かれるものであると思います。

「私たちは人間イエスに信じるのではない。彼に受肉し、臨んだところの永遠の生けるキリストー今も生きて働き、苦しむ者の祈りにアリアリと答えたもうーに信じているのです。」
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霊を継ぐもの

2015-12-23 19:33:17 | スピリチュアル
新約聖書のマタイ伝は、冒頭にイエスの系図を書き連ねており、キリスト・イエスはイスラエルの王統に連なるものであることを表明しています。
イスラエルの王とは、旧約のサムエル記のダビデ王の記事に見るように、代々主なる神より油を注がれるものとされています。
メシアとは本来国王なのです。油注ぎとは、聖霊を注がれることを象徴したもので、イスラエル王統は霊を継ぐものである、ということです。
これは、実に我が国の皇統に伝わるものと意味合いを同じくしています。
天皇とは天津日嗣之尊(アマツヒツギノミコト)のことであり、日は火であり、霊に通じ、代々皇祖霊を継ぐものとされています。
一体日本国民のうち、この伝えを知るものは何人居る事でしょう。
仮に居たとしても、”そういう事は神代の時代ならいざ知らず、現代では単なる形式の域を出ない…”という認識ぐらいしかないのではないでしょうか…
私は勿論お宮の内部のことは分からぬ身なので、皇位継承の儀というものの内実など知る由もありませんが…
少なくとも昭和天皇は、ご自身が”神の末裔”であることを自認、体認されていました。
たったそれだけのことかと思われるかもしれませんが、私はこの事実は、将来昭和の知られざる歴史として語られるものとなり得るものだと思います。
いやひょっとすると、歴史の概念そのものがひっくり返ることにもなりかねません。
昭和という激動の時代、我が国は幾度か危機的状況に見舞われました。
時代錯誤と笑われるかもしれませんが、私は神意とか御稜威とか言われるものは、その運命にある人を通して人知れずはたらくものじゃないかと、密かに感じているものです。
下々の?人それぞれにも系統というものがありますが、これまでは血のつながり~血統しか知られておりません。
私は自分自身実感した事が有りますが、誰にもこれとは別に見えざる系統~霊統というべきルーツを有しているものだと思います。
ちなみに皇統というのは、血統と霊統が一致しているものとされていますが、一般では、その親子関係は必ずしも一致しているとは限らないようです。
実は、私が見えざる導師の現臨に触れた時、私はこの霊統にあるものを感じたのでした。(血統的なものも有るかもわかりません)
そのような霊体のような実体を拝したことは無かったですが、その現臨は私の魂の親、ミタマ親であると実感されたのです。
人が霊性に目覚めることが出来るのも、この霊統有ってのものと言えるでしょう…。

ところで聖書では、イエスは国王どころか、あまりにも逆説的ですが、普通の人間よりみじめな、馬小屋で私生児扱いとして生まれたのでした。
これは既に霊統と血統の一致は崩れてしまったことを示している訳ですが、イエスの先触れバプテスマのヨハネは、パリサイ人に対しこう言い放ちました。「我々の父はアブラハムだ、などと思うな! 言っておくが、神は石ころからでもアブラハムの子孫を興すことが出来るのだ…」(ルカ伝)
この言葉は、王統から外れた、ごく平凡な大工の家から出現したキリスト・イエスの存在を表しているとも、どんな人間でも神の霊を継ぐことが出来る、神の子の種を有していることを示しているようです。
人とは古来と書いて、霊が止まるもの、霊を宿すものとのことです。
それは,一個なる自分から始まっているので無く、永遠に生き通しの霊統に連なるものです。
一人一人がミタマ親につながり、その縦のつながりから、綾なすように横にもつながり始める事でしょう。

いついつ出やる…”カゴの中の鳥”…。現世意識に閉じ込められた我々の象徴の鳥…






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逆説的絶対論

2015-12-22 17:58:42 | 哲学・思想
大学時代、白光の五井昌久先生を知った時、私は”ついに無上の真理に巡り合った!”と思ったものです。
それから数年後、キリストの無者、小池辰雄先生を知った時、”世の中にこんな宗教的世界の神髄を語る人が居たのか!”と驚嘆したものです。
さらに数年後、ラマナ・マハルシと出会って、”こんな究極の真理は無い!”とその時は探究も終わりそうな気がしたものです…。
今から考えると…そういう気持ちを心象にとどめていて、外部に吹聴しなくてホントに良かったな、と思います。(笑)
その度にそんな事言ってたら、その度に人を欺いていたことでしょう…
ただ自分の気持ちを偽らず、そのように素直に感じたのならそれはそれで、良しとした方がいいでしょうけど…
こういう事を飽きもせず繰り返しているうち、有ることに気が付かなかったら余程オメデタイ事だと思いますね。
”絶対の真理なんていくら探したってたどり着けない!”
それを掴んだと思った瞬間、スルリとザルのように、掴んだ手から抜け落ちてしまうものです。
私の場合などは、とにかく猫のように抜け目ない眼で、”どこかにもっと高い、深い心理が有るのに違いない…”と探りを怠りませんでした。
その一方では…内心は分かっていました。そうやって自分の外に真理を尋ねても、”賽の河原で石を積み上げるようなものなのだ…”と。
絶対だの究極だのって言葉は、この相対現実にあってうかつに使うものでは無いですね。
それでも私はあえて、”絶対なるものはあなたの内にある”などと言ったりします。
(”内なる…”という言い方もあやふやなものですが…)
これは、宗教世界などで飛び交う、短絡的な絶対神、絶対的真理といった、その実相対性の強い言い方に対する反語、という意味合いを込めているのです。
この絶対という意味は、その前ではもう、お手上げになってしまう、それに捉えられてしまえば、そうなるより選択の余地が無い…という言葉で言い表せないものを表現しています。
それは掴もうとしても絶対出来ないものです。
”この宗教がホンモノらしい、気に入ったから入信してみよう…信仰してみよう…”と随意で決められるものではない、ということです。
この意味での絶対との出会いから開示される世界では、逆説的ですが、絶対とか無上というものはどこにもありません。(言ってることはムチャクチャなんですが)
前述の私の人生の教師たちとの出会いで”これぞ、絶対的なものだ!”と感じたものが至る所にある…しかもそれが余計なものの無いエッセンスばかりという感じで、その空気の中に浸っている…どの先生、この教えと比較されるものは何も無いのです。
そもそも形ある人物、教えといった実体有るものなどどこにもありません。
見える実体をあるものとして、絶対視するところに、救いようのない相対地獄を現出してしまうことになるのです。
形あるものというのは、それ自体ではどこまでも相対以上のものではないのです。
ただ、その形あるものが媒体となって、この内なる絶対的なものとつながることはあるでしょう。
その場合、常に煙突のように上に向かって開かれたスペースを作っておく必要が有ります。
また、相対的なものを絶対視するという愚かしさに気づいたら自然とフタは開かれていくものです。
前述した、私は内心分かっていた、というのはしばしば”声なき声”から促しを受けていたからだと思います。
ある時、あることから本当にどんな宗教、教えも手に付かなくなってしまった事が有りました。
その時久しぶりに声なき声からのラブ・コール?を受けた思いがしました。
”これでやっとお前とサシで付き合えるな”と…









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