このところ、暇があれば古い日本映画をネットで観ています。
その中で、50年代、円熟期の成瀬三喜男監督の作品「銀座化粧」(51年新東宝)を観ました。
こういう映画は学生の頃は、「小市民映画」とか言ってバカにしていたのですが、全くもって昨今どっちが小市民で、どっちがバカバカしいのか、分からなくなってきました...。
実は20数年前にも一度観ているのですが、ストーリーとかはあまり覚えていなくて、あまりにも淡々とした展開なので、途中で寝てしまったり(笑)で、ちゃんと見直そうと思った次第なのです。
もっとも、この時期の成瀬作品の特徴なのですが、ストーリーなんて有って無いようなもので...
「いやあ、靴を新調しようと思っているんだけど、いつも思っているだけなんだよねえ...」と、他愛の無い会話が延々と続いたり...そして街を行き交う行商人、チンドン屋さん、路地裏で遊ぶ子供たち、ガラガラガラ「こんちはー」...(木造家屋の玄関扉が開けっ放しになってるではないかi)と、ありし日の東京の街の描写が絶妙な間で写し出され、私はこれだけで感激してしまうのです。
この街の風情には微かに覚えがある...そしてこれは確かに私の中に息づいている、現代では見い出すべくもない、かつてどこにも有って、どこにも無いような、ある都市空間を写し出しているのですi 煙突の煙、ポンポン船、なんか美しいような?夕日(モノクロ画面です)...
ということで、これは銀座というには、現代の感覚とは違って、あまりにも場末的な裏町のバー(私が知ってるバーというよりも、広くてホールに近いかも)で、凛として、たくましく生きる主人公の女給(田中絹代)を取り巻く人間模様を描いたお話です。
主人公に比べ、クズみたいな男どもを演じる脇役が素晴らしい。主人公に金を無心にくる落ちぶれた元情夫(三島雅夫)、へたくそなくせに自分でイッパシと思い込んで、長唄を披露する世間知らずなボンボン(田中春男...声といい、現代の名脇役、吹越3つるさんにソックリ)、「君い、分かってるだろう、いーじゃないか(マア、ヨイデハナイカ)...」と、典型的なエロじじい(東野英治郎)...
こういう淀んだしがらみに満ちた人間関係の中で、涼風を吹き込むような空気をもたらしているのが、主人公が妹のように可愛がっている、ウブな後輩女給(香川京子)と、後半で田舎から出てきた文学と宇宙について語る純朴青年(堀雄二)との絡みです。
主人公は昔の女給仲間(戦前、時代劇のお姫様役でよく出てきた花井蘭子)の代わりに青年を東京案内などして、詩をそらんじてる青年に接しているうち、かつて自分も親しみ、心のどっかに眠っている文学気分が呼び覚まされるなどして、「こんな人となら」と、一寸した恋心が芽生える...
しかしある日、元情夫との間に出来た息子が行方不明になってしまったため、急遽妹分に代わりを任せることに...これが思いもよらぬことになってしまう...
一夜を共にして、なんと婚約まで...「あんたを見損なっていたよi」ずっと一緒だったけど、"関係"までは行ってないと言い張る妹...
「そんなこと信じられるもんですかi」「あの人はそんな人じゃないわi」...妹の実直な受け答えにすぐにゲスイ疑いは遠退いてゆく...
「そう...よかったじゃないの...」と、自分に仄かに抱いた夢を諦め、運命を受け入れるのでした...
一寸前まで放映されていたTVドラマ「この世界の片隅に」に、品のいい老夫人が出てきておりましたが、放映が終わってから気が付きました。あの人が香川さんだったとはi
そう、私がこの映画をもう一度観たくなった動機は、香川京子さんに又会いたいということでもあったのです。
この作品でも、同じ頃の小津安二郎監督の名作「東京物語」でも、役名は同じ「京子」さん。
(私は、人生でめったにあることじゃないのですが、特に笑うとその京子さんにソックリなコと会ったことがあります。あれから一年か...以上余談)
私はここに出てくるような人たちとは全然縁が無いとも、全くおんなじにも思えます。
全然人並みに生きてなかったようにも、全く人並みのようにも思える...
ウンザリするような人間関係もイヤというほど知っているつもりです。人間なんて...そう、大キライですね。カフェ?の片隅でずっと詩だとか哲学書なんかを読んでいたい...
でも、私はずっとそんな人間の哀歓が渦巻く都会から離れたいと思ったことは一度もありません。
ウソのようにしがらみから解放された人間関係も僅かに知っています。
そんなこんなも思い返せばすべてが懐かしい...愛とおしい...
その中で、50年代、円熟期の成瀬三喜男監督の作品「銀座化粧」(51年新東宝)を観ました。
こういう映画は学生の頃は、「小市民映画」とか言ってバカにしていたのですが、全くもって昨今どっちが小市民で、どっちがバカバカしいのか、分からなくなってきました...。
実は20数年前にも一度観ているのですが、ストーリーとかはあまり覚えていなくて、あまりにも淡々とした展開なので、途中で寝てしまったり(笑)で、ちゃんと見直そうと思った次第なのです。
もっとも、この時期の成瀬作品の特徴なのですが、ストーリーなんて有って無いようなもので...
「いやあ、靴を新調しようと思っているんだけど、いつも思っているだけなんだよねえ...」と、他愛の無い会話が延々と続いたり...そして街を行き交う行商人、チンドン屋さん、路地裏で遊ぶ子供たち、ガラガラガラ「こんちはー」...(木造家屋の玄関扉が開けっ放しになってるではないかi)と、ありし日の東京の街の描写が絶妙な間で写し出され、私はこれだけで感激してしまうのです。
この街の風情には微かに覚えがある...そしてこれは確かに私の中に息づいている、現代では見い出すべくもない、かつてどこにも有って、どこにも無いような、ある都市空間を写し出しているのですi 煙突の煙、ポンポン船、なんか美しいような?夕日(モノクロ画面です)...
ということで、これは銀座というには、現代の感覚とは違って、あまりにも場末的な裏町のバー(私が知ってるバーというよりも、広くてホールに近いかも)で、凛として、たくましく生きる主人公の女給(田中絹代)を取り巻く人間模様を描いたお話です。
主人公に比べ、クズみたいな男どもを演じる脇役が素晴らしい。主人公に金を無心にくる落ちぶれた元情夫(三島雅夫)、へたくそなくせに自分でイッパシと思い込んで、長唄を披露する世間知らずなボンボン(田中春男...声といい、現代の名脇役、吹越3つるさんにソックリ)、「君い、分かってるだろう、いーじゃないか(マア、ヨイデハナイカ)...」と、典型的なエロじじい(東野英治郎)...
こういう淀んだしがらみに満ちた人間関係の中で、涼風を吹き込むような空気をもたらしているのが、主人公が妹のように可愛がっている、ウブな後輩女給(香川京子)と、後半で田舎から出てきた文学と宇宙について語る純朴青年(堀雄二)との絡みです。
主人公は昔の女給仲間(戦前、時代劇のお姫様役でよく出てきた花井蘭子)の代わりに青年を東京案内などして、詩をそらんじてる青年に接しているうち、かつて自分も親しみ、心のどっかに眠っている文学気分が呼び覚まされるなどして、「こんな人となら」と、一寸した恋心が芽生える...
しかしある日、元情夫との間に出来た息子が行方不明になってしまったため、急遽妹分に代わりを任せることに...これが思いもよらぬことになってしまう...
一夜を共にして、なんと婚約まで...「あんたを見損なっていたよi」ずっと一緒だったけど、"関係"までは行ってないと言い張る妹...
「そんなこと信じられるもんですかi」「あの人はそんな人じゃないわi」...妹の実直な受け答えにすぐにゲスイ疑いは遠退いてゆく...
「そう...よかったじゃないの...」と、自分に仄かに抱いた夢を諦め、運命を受け入れるのでした...
一寸前まで放映されていたTVドラマ「この世界の片隅に」に、品のいい老夫人が出てきておりましたが、放映が終わってから気が付きました。あの人が香川さんだったとはi
そう、私がこの映画をもう一度観たくなった動機は、香川京子さんに又会いたいということでもあったのです。
この作品でも、同じ頃の小津安二郎監督の名作「東京物語」でも、役名は同じ「京子」さん。
(私は、人生でめったにあることじゃないのですが、特に笑うとその京子さんにソックリなコと会ったことがあります。あれから一年か...以上余談)
私はここに出てくるような人たちとは全然縁が無いとも、全くおんなじにも思えます。
全然人並みに生きてなかったようにも、全く人並みのようにも思える...
ウンザリするような人間関係もイヤというほど知っているつもりです。人間なんて...そう、大キライですね。カフェ?の片隅でずっと詩だとか哲学書なんかを読んでいたい...
でも、私はずっとそんな人間の哀歓が渦巻く都会から離れたいと思ったことは一度もありません。
ウソのようにしがらみから解放された人間関係も僅かに知っています。
そんなこんなも思い返せばすべてが懐かしい...愛とおしい...