手島郁郎先生の次男で、哲学者、聖書学者の手島佑郎さんが「わが父・手島郁郎を語る」という本を出されました。(七つ森館刊)
これは実に得難い!…貴重な証言と言わねばなりません。
先生の伝記的な書物はいくつか出されていますが、いずれも先生を美化したものしか伝えていない中で、本書は肉親だからこそ、書き得たであろう、ありのままの、もう一つの手島郁郎像を浮き彫りにしています。
沈滞したキリスト教界にあって、数万とも言われる信徒数を誇る原始福音・幕屋の創始者手島先生は紛れも無く、日本宗教史上類を見ないカリスマ的指導者でした。
その一端は先生の信仰日記を集めた「地路歴程」(キリスト聖書塾刊)という書物にリアルに記されています。
全く休む間もなく伝道、集会に奔走する日々…使徒行伝さながらの聖霊の業の生ける証…
”この世に有りながら、超越界の命にひたぶるに生かされるとはかくなるものか!”と、誰しも驚嘆してしまう事でしょう…。
しかしながら、聖者、預言者と言えど人間には変わりません。欠点も弱みもあります。
何人かの人を躓かせたりもします。
人間そのものは神では無い、その営みも完全では無い、そうしたものを通して、底に流れる言葉に表せない、生命の息吹を受信していく事が大切ですね。
ことに我々の常識的判断を超えるような人智を超えたカリスマ的な力が働く時こそは、実際に媒介となっているのは生身の人間である、という事を見極める事が大切です。カリスマというものには良し悪しが有るものです。
私はこれまで、いくつかの宗教的なグループとの関わりの中で、”カリスマ的人物、強力な指導者待望”の声というものを聞きました。
これは言い換えると”自分たちは無力で、信頼するに足らない、だから特定の人物を仰ぎたい…”と言っているようなものです。
自己信頼という事を離れて、意識が内なるものから外に向けられるのです。(そこから健全性というところから逸脱する契機も生まれます。)
そして、それはグループを大きくし、強めたい、という欲求と結びついています。
それは、カリスマとグループの成長との相関というものを示唆していますが、それは手島先生の生き様にも反映されていることでしょう。
晩年、先生の終生の親友だった小池辰雄先生に「マクヤを大きくし過ぎたかなあ…」と漏らしていたそうですが、集会が大きくなるにつれて、運営とか維持などの問題も起こり、原初にあったものとは異質な現世的な力が否応なく働き始めるものです。
又その大集団の指導者ともなると、統制力を強めて行く必要も出て来ます。
弟子の前では絶対的威厳、対外的には自派の自負、といったものを示すことも顕著になってきた、と本書で隠さずに述べられています。
ことに先生の激昂しやすいという欠点が招いたであろう、愛弟子の離反(造反では無かった!)事件の真相などは、”神の人と言えど聞く耳は持てないのだなあ…”という事を滑稽にも思い知らされる件です。
又、先生亡き後の幕屋の変質ぶりにも触れていますが、著者自身がこのグループを離れた経緯も詳しく述べられています。
教会権威に依拠しないというところから出発した幕屋集会も、いつしか人間臭い権威主義がはびこり出したのです。
私は大阪で二度ほど日曜集会に行った事が有りますが、何か宗教特有の個人を覆ってしまうような集団的な力を感じて、あまりいい気持ちはしませんでした。
でも、そうした事から離れても手島先生は、私にとり初めて上よりの恩寵の光の存在、それに預かることにより人生が一変してしまうことを知らしめてくれた恩人です。
マクヤから小池先生の集会に転じてきた方に、「手島先生っておっかない人なんでしょう…」などとお聞きしたら…「いやあ、愛そのものの人だったなあ…」と言っていたのが印象に残っています。
これは実に得難い!…貴重な証言と言わねばなりません。
先生の伝記的な書物はいくつか出されていますが、いずれも先生を美化したものしか伝えていない中で、本書は肉親だからこそ、書き得たであろう、ありのままの、もう一つの手島郁郎像を浮き彫りにしています。
沈滞したキリスト教界にあって、数万とも言われる信徒数を誇る原始福音・幕屋の創始者手島先生は紛れも無く、日本宗教史上類を見ないカリスマ的指導者でした。
その一端は先生の信仰日記を集めた「地路歴程」(キリスト聖書塾刊)という書物にリアルに記されています。
全く休む間もなく伝道、集会に奔走する日々…使徒行伝さながらの聖霊の業の生ける証…
”この世に有りながら、超越界の命にひたぶるに生かされるとはかくなるものか!”と、誰しも驚嘆してしまう事でしょう…。
しかしながら、聖者、預言者と言えど人間には変わりません。欠点も弱みもあります。
何人かの人を躓かせたりもします。
人間そのものは神では無い、その営みも完全では無い、そうしたものを通して、底に流れる言葉に表せない、生命の息吹を受信していく事が大切ですね。
ことに我々の常識的判断を超えるような人智を超えたカリスマ的な力が働く時こそは、実際に媒介となっているのは生身の人間である、という事を見極める事が大切です。カリスマというものには良し悪しが有るものです。
私はこれまで、いくつかの宗教的なグループとの関わりの中で、”カリスマ的人物、強力な指導者待望”の声というものを聞きました。
これは言い換えると”自分たちは無力で、信頼するに足らない、だから特定の人物を仰ぎたい…”と言っているようなものです。
自己信頼という事を離れて、意識が内なるものから外に向けられるのです。(そこから健全性というところから逸脱する契機も生まれます。)
そして、それはグループを大きくし、強めたい、という欲求と結びついています。
それは、カリスマとグループの成長との相関というものを示唆していますが、それは手島先生の生き様にも反映されていることでしょう。
晩年、先生の終生の親友だった小池辰雄先生に「マクヤを大きくし過ぎたかなあ…」と漏らしていたそうですが、集会が大きくなるにつれて、運営とか維持などの問題も起こり、原初にあったものとは異質な現世的な力が否応なく働き始めるものです。
又その大集団の指導者ともなると、統制力を強めて行く必要も出て来ます。
弟子の前では絶対的威厳、対外的には自派の自負、といったものを示すことも顕著になってきた、と本書で隠さずに述べられています。
ことに先生の激昂しやすいという欠点が招いたであろう、愛弟子の離反(造反では無かった!)事件の真相などは、”神の人と言えど聞く耳は持てないのだなあ…”という事を滑稽にも思い知らされる件です。
又、先生亡き後の幕屋の変質ぶりにも触れていますが、著者自身がこのグループを離れた経緯も詳しく述べられています。
教会権威に依拠しないというところから出発した幕屋集会も、いつしか人間臭い権威主義がはびこり出したのです。
私は大阪で二度ほど日曜集会に行った事が有りますが、何か宗教特有の個人を覆ってしまうような集団的な力を感じて、あまりいい気持ちはしませんでした。
でも、そうした事から離れても手島先生は、私にとり初めて上よりの恩寵の光の存在、それに預かることにより人生が一変してしまうことを知らしめてくれた恩人です。
マクヤから小池先生の集会に転じてきた方に、「手島先生っておっかない人なんでしょう…」などとお聞きしたら…「いやあ、愛そのものの人だったなあ…」と言っていたのが印象に残っています。