いつも言っているように、私には宗教やスピ界隈ではよく聞かれる、”これに拠らなければ!”、という、そこでしか通用しないような教えや方法は身についていないのです。
そういうものには意識が向かないと言ってもいいのです。
そこで、今でもハッキリ覚えていることがあります。
それは、昭和55年春、何か意識が高揚して、抑え難い気持ちに駆られて、高砂の大調和協会に赴いた時のことです。
ある時、Kさんという、会の中心的存在、命位様の実子で、その後継者的存在の方と相対していて、Kさんは、”ここが世の宗教と違うところは...”と、如何にもその協会の特出しているところについて触れ、私はそこに、それまで協会で出されていた、いくつかの書き物を読んで受けた印象とあまりにも違うように感じたのでした。
もっとも、他の人がそのように語られても、いや、どの団体でも普通に触れても、多分軽く聞き流せるであろう、その問題がKさんから出されたからなのか、その上から目線の接し方からなのか、とにかく私の気に障ってしまったのです。
その印象が強かったのか、以来、私は一度もKさんとは、打ち解けて話し合ったということがありません。何か押し付けられるものが感じられてならないというか、どうしても構えてしまい、自由に、リラックスして相対することが出来ないのです。
そういう気分も手伝ったのか、”ここは、世の数多の宗教とおんなじで、《ここが...》に毒されているではないか!...私が求めているところではないな!”と、さっさと引き上げようと決心したのでした。
後に私が意を決して、関西に居住を移してまで、協会に近づこうとした、その経緯は、最初はこんな風だったのです。つまり最初から風向き次第で、私の意に満たないものを感じて、そこから背を向けてしまう要素はあったということです。
ところが...それからすぐ私が帰ってしまうということを聞いて、命位様が会って下さるということになり...相対して、しばらくして、それまで先のことで私を覆っていた、モヤモヤした思いはみるみるうちに、晴れて...”ああ、会えて本当に良かった、思いを超えたハタラキに会ったのだ!、ここに私が求めているものがあったのだ!”、と感じ入ったのでした。
何て単細胞な!、と思われるかもしれませんが、これが思いから離れる、超える、そういうハタラキに会う、ということを端的に表しているのですよ!...一瞬でまるっきり世界が変わる!
そして、それから一年半くらい後、私も就職しなければならないことになり、どうせなら協会に近く通える関西で...ということに話しが具体的に進むようになりました。
命位様は、”そのことは慎重によ~く考えた方がいいですよ!”と言われていましたが、私は大体意は固まっていたのでした。
そして...ある人から”どうだ!、思い切ってこっちに来てみんか?”、と決定的な言葉を切り出されたのでした。それがあのKさんなのでした!
それから、それで良かったのかどうか...十年以上も私と協会との関わりは続いた訳ですが、その歩みは実に曲がりくねり、時に道を見失うようなものだったと言わねばなりません。
そういう引かれたり、引いたりの紆余曲折のことは、ほとんど覚えていません。
今でも身に覚えていることは、これは私には命位様を通して(それだけじゃないですが)のことが中心ということになりますが、思いを超えたハタラキに会う、それと共にある、ということに尽きるのです!
このことに限らず、人生で身に覚えていること、身についているものはこういうものばかりなのです。それに出会う、与ることは、例えどんな曲折があろうと、いいことに決まっているではありませんか!
それは、私が初めて命位様を発見した、あの時から、ということになるでしょう。
私と協会との関係は、あの時のことに集約されていたと言えるでしょう...。
そういうものには意識が向かないと言ってもいいのです。
そこで、今でもハッキリ覚えていることがあります。
それは、昭和55年春、何か意識が高揚して、抑え難い気持ちに駆られて、高砂の大調和協会に赴いた時のことです。
ある時、Kさんという、会の中心的存在、命位様の実子で、その後継者的存在の方と相対していて、Kさんは、”ここが世の宗教と違うところは...”と、如何にもその協会の特出しているところについて触れ、私はそこに、それまで協会で出されていた、いくつかの書き物を読んで受けた印象とあまりにも違うように感じたのでした。
もっとも、他の人がそのように語られても、いや、どの団体でも普通に触れても、多分軽く聞き流せるであろう、その問題がKさんから出されたからなのか、その上から目線の接し方からなのか、とにかく私の気に障ってしまったのです。
その印象が強かったのか、以来、私は一度もKさんとは、打ち解けて話し合ったということがありません。何か押し付けられるものが感じられてならないというか、どうしても構えてしまい、自由に、リラックスして相対することが出来ないのです。
そういう気分も手伝ったのか、”ここは、世の数多の宗教とおんなじで、《ここが...》に毒されているではないか!...私が求めているところではないな!”と、さっさと引き上げようと決心したのでした。
後に私が意を決して、関西に居住を移してまで、協会に近づこうとした、その経緯は、最初はこんな風だったのです。つまり最初から風向き次第で、私の意に満たないものを感じて、そこから背を向けてしまう要素はあったということです。
ところが...それからすぐ私が帰ってしまうということを聞いて、命位様が会って下さるということになり...相対して、しばらくして、それまで先のことで私を覆っていた、モヤモヤした思いはみるみるうちに、晴れて...”ああ、会えて本当に良かった、思いを超えたハタラキに会ったのだ!、ここに私が求めているものがあったのだ!”、と感じ入ったのでした。
何て単細胞な!、と思われるかもしれませんが、これが思いから離れる、超える、そういうハタラキに会う、ということを端的に表しているのですよ!...一瞬でまるっきり世界が変わる!
そして、それから一年半くらい後、私も就職しなければならないことになり、どうせなら協会に近く通える関西で...ということに話しが具体的に進むようになりました。
命位様は、”そのことは慎重によ~く考えた方がいいですよ!”と言われていましたが、私は大体意は固まっていたのでした。
そして...ある人から”どうだ!、思い切ってこっちに来てみんか?”、と決定的な言葉を切り出されたのでした。それがあのKさんなのでした!
それから、それで良かったのかどうか...十年以上も私と協会との関わりは続いた訳ですが、その歩みは実に曲がりくねり、時に道を見失うようなものだったと言わねばなりません。
そういう引かれたり、引いたりの紆余曲折のことは、ほとんど覚えていません。
今でも身に覚えていることは、これは私には命位様を通して(それだけじゃないですが)のことが中心ということになりますが、思いを超えたハタラキに会う、それと共にある、ということに尽きるのです!
このことに限らず、人生で身に覚えていること、身についているものはこういうものばかりなのです。それに出会う、与ることは、例えどんな曲折があろうと、いいことに決まっているではありませんか!
それは、私が初めて命位様を発見した、あの時から、ということになるでしょう。
私と協会との関係は、あの時のことに集約されていたと言えるでしょう...。