スピノザは時間を表象と考えます。そしてそれは物体が速やかに運動したり緩やかに運動したりすることを人間が表象することに依拠して説明されます。それでは速やかとか緩やかの規準となるであろう速さには,絶対的な概念があるのでしょうか。
相対性理論では光速度不変の原理というのがあり,光速が絶対的な規準で,光速に近付くほど速いということになります。僕たちは一般的にはニュートン力学の下で速さを概念しますが,この場合も距離/時間で速度が示されますので,速さは絶対的な概念のように思えます。しかし僕は,必ずしもそうではないだろうと考えています。
平行して走る二本の電車があるとしましょう。電車Xも電車Yも,A駅からE駅に走ると仮定します。このとき,電車Xは,A駅とE駅の間のB,C,Dの各駅に1分ずつ停車し,A駅を出発して10分でE駅に着くとします。一方電車Yは,途中の駅はすべて通過し,A駅から8分でE駅に着くとしましょう。さて,XとYはどちらが速い電車でしょうか。
この場合,どちらも速いといい得ると思います。Yは,AをXと同時に発車するなら,2分早くEに着きます。もしもAからEに行くなら,多くの人はYに乗るでしょう。この限りでYはXより速いです。
しかしYが途中停車しないのに,Xは途中で計3分停車します。したがって実際に走っている時間は,Xが7分であるのに対しYは8分です。よって実際に走っているときの平均速度だけを考えるならば,Xの方がYより速いです。やはり同様にXとYが同時にAを出発すれば,少なくともYがBを通過する前に,XはBに停車するでしょう。この限りではXの方がYより速いのです。
Xを速いと感じるか,Yを速いと感じるか,人それぞれではないかと思います。つまり速さの絶対的な基準などなく,諸個人の表象のあり方に左右されるのだと僕は思います。皆さんは,XとY,どちらが速い電車だと感じられるでしょうか。
明日は高松宮記念杯の決勝です。並びですが山崎-伏見の福島。関東は別れ,武田-神山の茨城栃木と平原-手島。新田-渡辺の静岡。小倉はとくに位置は決めないようですが,どこでも3番手なので自然でしょう。関東の協力があり得るのですが,それでも山崎選手で。
第二部自然学①公理一の意味にこの新しい意味を加えることにより,ひとつの問題を排除することができます。それは運動の非連続性の問題です。すなわち,運動するということが延長空間の中で物体がある特定の位置を占めずに,むしろそのように特定されるような位置というものを次々に変えつつあるということであるとすれば,この変化は連続のものであるということになりますから,運動自体も連続的なものと規定されることになります。そしてこのことは,数列が,とくにこの場合でいうなら,物体が次々と変化させる位置をある数字で表した場合の数列が,稠密であると考えられようとあるいは稠密ではないと考えられようと,同様に妥当します。これは第三の逆説に関連させていうならば,それ以上は分割することができない空間としてのアトムが実在しても実在しなくても同様に妥当するということです。したがって,僕はスピノザの哲学との関連においては,アトムの非実在は必ずしも証明できないのではないかと結論しましたが,その部分の問題も解消されていることになります。つまりこのように運動と位置の関係を考えることによって,運動が静止状態の集積であるということを否定し得ると思うのです。
運動が連続的なものであるということは,僕は僕たちが直観的に知り得ることなのではないかと思うのです。よってこのことから考えても,運動する物体は延長空間の中においてある特定の位置を占めないというこの考え方は,どうも正しいのではないかと思えるのです。
相対性理論では光速度不変の原理というのがあり,光速が絶対的な規準で,光速に近付くほど速いということになります。僕たちは一般的にはニュートン力学の下で速さを概念しますが,この場合も距離/時間で速度が示されますので,速さは絶対的な概念のように思えます。しかし僕は,必ずしもそうではないだろうと考えています。
平行して走る二本の電車があるとしましょう。電車Xも電車Yも,A駅からE駅に走ると仮定します。このとき,電車Xは,A駅とE駅の間のB,C,Dの各駅に1分ずつ停車し,A駅を出発して10分でE駅に着くとします。一方電車Yは,途中の駅はすべて通過し,A駅から8分でE駅に着くとしましょう。さて,XとYはどちらが速い電車でしょうか。
この場合,どちらも速いといい得ると思います。Yは,AをXと同時に発車するなら,2分早くEに着きます。もしもAからEに行くなら,多くの人はYに乗るでしょう。この限りでYはXより速いです。
しかしYが途中停車しないのに,Xは途中で計3分停車します。したがって実際に走っている時間は,Xが7分であるのに対しYは8分です。よって実際に走っているときの平均速度だけを考えるならば,Xの方がYより速いです。やはり同様にXとYが同時にAを出発すれば,少なくともYがBを通過する前に,XはBに停車するでしょう。この限りではXの方がYより速いのです。
Xを速いと感じるか,Yを速いと感じるか,人それぞれではないかと思います。つまり速さの絶対的な基準などなく,諸個人の表象のあり方に左右されるのだと僕は思います。皆さんは,XとY,どちらが速い電車だと感じられるでしょうか。
明日は高松宮記念杯の決勝です。並びですが山崎-伏見の福島。関東は別れ,武田-神山の茨城栃木と平原-手島。新田-渡辺の静岡。小倉はとくに位置は決めないようですが,どこでも3番手なので自然でしょう。関東の協力があり得るのですが,それでも山崎選手で。
第二部自然学①公理一の意味にこの新しい意味を加えることにより,ひとつの問題を排除することができます。それは運動の非連続性の問題です。すなわち,運動するということが延長空間の中で物体がある特定の位置を占めずに,むしろそのように特定されるような位置というものを次々に変えつつあるということであるとすれば,この変化は連続のものであるということになりますから,運動自体も連続的なものと規定されることになります。そしてこのことは,数列が,とくにこの場合でいうなら,物体が次々と変化させる位置をある数字で表した場合の数列が,稠密であると考えられようとあるいは稠密ではないと考えられようと,同様に妥当します。これは第三の逆説に関連させていうならば,それ以上は分割することができない空間としてのアトムが実在しても実在しなくても同様に妥当するということです。したがって,僕はスピノザの哲学との関連においては,アトムの非実在は必ずしも証明できないのではないかと結論しましたが,その部分の問題も解消されていることになります。つまりこのように運動と位置の関係を考えることによって,運動が静止状態の集積であるということを否定し得ると思うのです。
運動が連続的なものであるということは,僕は僕たちが直観的に知り得ることなのではないかと思うのです。よってこのことから考えても,運動する物体は延長空間の中においてある特定の位置を占めないというこの考え方は,どうも正しいのではないかと思えるのです。