記念競輪というのは多くは土・日・月・火か,木・金・土・日という日程で行われます。ただ,GⅠの日程との兼ね合いでこれがずれるケースもあり,今回の函館記念は日曜から水曜。ということで今日が2日目優秀の巴賞(動画)でした。
ここは2分戦。前受けは海老根選手で,飯野選手が5番手。海老根選手が飯野選手に抑えさせずに突っ張り先行。打鐘で最後尾の前田選手が前に斬り込んでいきましたが,菊地選手の後ろまで。飯野選手はホームから巻き返しを図りましたが,2番手で一杯。これをみて今度は菊地選手がバックから自力で発進。しかしこれは石毛選手がうまく牽制して止めました。このとき,石毛選手が外にいったので,開いた海老根選手と石毛選手の間に突っ込んできた3番手の兵藤選手が直線は突き抜けて1着。突っ張った海老根選手が2着に残り,仕事をした石毛選手が3着と,こちらにラインで上位を独占しています。
今日のポイントは海老根選手が突っ張ったこと。飯野選手としても,菊地選手が競られるおそれがあるので思い切りいけなかったのかもしれませんが,飯野選手と海老根選手でははっきり海老根選手の力が上ですので,打鐘過ぎまで叩けなければ,そこで勝負あったという気がします。
このスピノザの実在論による結論が別の問題を発生させるということはすでに説明しました。そこであくまでもスピノザの側から,僕たちが日常的にそのように捕えていることについて,どう考えるべきなのかということについて,僕なりの考え方を示しておきます。
僕たちは小学校の算数の授業において,速度=距離÷時間という公式を学びます。厳密にはニュートン力学に依拠するこの公式は誤りですが,実用的なレベルではこれは問題ありません。問題はこの公式が,運動する物体の位置を特定し得るという点にあります。すなわちこの公式は,距離=時間×速度としても同じことだからです。
そこで小学校の算数の問題では,たとえば時速60キロで等速運動する物体は,30分後にはどの位置にあるか,といった類の問題が出るわけです。もちろんこれは最も単純な種類の問題で,それこそアキレスと亀のように,異なる速度で等速運動する物体が,どの位置で追い付きまた追い付かれるかといったような問題も同様です。
スピノザの哲学からあからさまにいうならば,実はこのような問いは,答えることができないような事柄を問うているということになります。実際には運動する物体はある特定の位置を占めないからです。というよりも,このような問いは答えることができないような問いなのであると考えるべきであるというのが,スピノザの実在論の考え方だということになります。そして僕はこのときには,スピノザのいっていることの方が正しいのではないかと考えているわけです。
ここは2分戦。前受けは海老根選手で,飯野選手が5番手。海老根選手が飯野選手に抑えさせずに突っ張り先行。打鐘で最後尾の前田選手が前に斬り込んでいきましたが,菊地選手の後ろまで。飯野選手はホームから巻き返しを図りましたが,2番手で一杯。これをみて今度は菊地選手がバックから自力で発進。しかしこれは石毛選手がうまく牽制して止めました。このとき,石毛選手が外にいったので,開いた海老根選手と石毛選手の間に突っ込んできた3番手の兵藤選手が直線は突き抜けて1着。突っ張った海老根選手が2着に残り,仕事をした石毛選手が3着と,こちらにラインで上位を独占しています。
今日のポイントは海老根選手が突っ張ったこと。飯野選手としても,菊地選手が競られるおそれがあるので思い切りいけなかったのかもしれませんが,飯野選手と海老根選手でははっきり海老根選手の力が上ですので,打鐘過ぎまで叩けなければ,そこで勝負あったという気がします。
このスピノザの実在論による結論が別の問題を発生させるということはすでに説明しました。そこであくまでもスピノザの側から,僕たちが日常的にそのように捕えていることについて,どう考えるべきなのかということについて,僕なりの考え方を示しておきます。
僕たちは小学校の算数の授業において,速度=距離÷時間という公式を学びます。厳密にはニュートン力学に依拠するこの公式は誤りですが,実用的なレベルではこれは問題ありません。問題はこの公式が,運動する物体の位置を特定し得るという点にあります。すなわちこの公式は,距離=時間×速度としても同じことだからです。
そこで小学校の算数の問題では,たとえば時速60キロで等速運動する物体は,30分後にはどの位置にあるか,といった類の問題が出るわけです。もちろんこれは最も単純な種類の問題で,それこそアキレスと亀のように,異なる速度で等速運動する物体が,どの位置で追い付きまた追い付かれるかといったような問題も同様です。
スピノザの哲学からあからさまにいうならば,実はこのような問いは,答えることができないような事柄を問うているということになります。実際には運動する物体はある特定の位置を占めないからです。というよりも,このような問いは答えることができないような問いなのであると考えるべきであるというのが,スピノザの実在論の考え方だということになります。そして僕はこのときには,スピノザのいっていることの方が正しいのではないかと考えているわけです。