スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

神奈川新聞社賞戸塚記念&定理の配置

2012-09-07 20:46:19 | 地方競馬
 2着争いかなと見立てていた第41回戸塚記念。レース直前にグラッツェーラが競走除外になり13頭。
                         
 全馬が枠入りした直後にゲートから飛び出してしまったショコラヴェリーヌが,入り直した後の発走も好発で逃げました。ディーオ,ダイヤモンドダンス,ソウブチャンスの3頭が並んで追い,その後ろもキタサンツバサ,アスカリーブル,ベルモントレーサーの3頭が併走。かなりゆったりとしたペース。
 2周目の向正面に入ってディーオとダイヤモンドダンスの2頭がショコラヴェリーヌに並び掛けていきましたが,ショコラヴェリーヌはそれを許さず,3コーナーを過ぎるとむしろ差を広げました。ここを外から捲ってきたのがアスカリーブルで,直線に入ってほどなく先頭に立つと,そのまま後続の追撃を凌いで優勝。アスカリーブルをマークするように追ってきたシラヤマヒメが最後は1馬身差まで詰め寄ったものの2着。3着は内と外が離れての接戦でしたが,外から2頭目を追い込んだドゥフトライネンが,最内を盛り返したディーオを差していました。
 優勝したアスカリーブルは前走の黒潮盃まで3連勝できていて,これで4連勝。南関東重賞は4勝目。牝馬限定とはいえ重賞の勝ち馬ですから牡馬相手も力量は上位。さらにその重賞を勝った舞台に変わり,斤量も減っていましたので,きわめて順当といえる勝利。普通に考えれば次はロジータ記念なのでしょうが,古馬相手の牝馬限定重賞に出走しても勝ち負けできる馬だと思います。父は1999年のセントライト記念を勝ったブラックタキシード。Libreはイタリア語で天秤座産まれ。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は黒潮盃以来の南関東重賞制覇。第36回以来となる戸塚記念2勝目。管理している船橋の川島正行調教師は第27回以来となる戸塚記念2勝目。

 すでに説明したように,僕は第二部定理一二は,第二部定理九系から直接的に帰結すると考えています。そこでもしも第二部定理一二でいわれている仮定の話の部分が実在的な意味であるとしたら,論理的には以下の手順を経なければなりません。
 まず,第二部定理九系により,ある観念の対象ideatumの中に起こることの観念ideaは,その対象の観念に変状した限りで神Deusのうちにあります。第二に,人間の精神mens humanaを構成する観念の対象というのはその人間の身体humanum corpusです。よってある人間の身体の中に起こることの観念は,その人間の精神に変状した限りでの神のうちにあることになります。さらにいうなら,第二部定理三二によりこの観念は真の観念idea veraですから,第二部定義四により十全な観念idea adaequataです。つまり人間の精神は自分の身体の中に起こることを十全に認識するcognoscereということが出てくるのです。
 ところが,『エチカ』の内部においては,実際にはこのような手続きは踏まれていません。上述の論理の第二の部分というのは,実際には第二部定理一三,すなわちこの第二部定理一二よりも後になって示されているからです。そしてこの定理Propositioの配置の意味が,現在の考察にとって非常に重要なのです。
 上野修は『スピノザの世界』の第三章で,『エチカ』の第一部の諸定理が,先行部分とどのような連関を有しているのかを図示しています。このことから上野が,『エチカ』の諸定理がどのように配置されているかということの意味を重視していることが推測できます。少なくとも僕のように,後続の定理から先行する定理について解釈するような立場と比較すれば,間違いなく定理の配置の意味を僕より重視していることは明らかだと思います。
                         
 上野はスピノザが『エチカ』をこのような公理系の下に著したことを,ひとつの実験といっています。スピノザの認識論は精神を自動機械automa spiritualeに譬えるシステマティックなものですが,与えられた真理veritasから,どのような別の真理が抽出されていくかということの実験であるというわけです。そして確かに上野がそこで示しているように,『エチカ』の中には,スピノザは最初は想定すらしていなかった定理が数多く含まれていることでしょう。
コメント
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