グリーンドーム前橋で5日間にわたって争われてきた第55回オールスター競輪の決勝。並びは渡辺-山崎-成田の福島,武田-木暮の関東,脇本-村上の近畿に小野で,岩津は単騎。
若干の牽制となりましたが村上がスタートを取って脇本の前受け。岩津が続いて渡辺が5番手,武田が8番手という周回に。武田は残り3周のホームに入るところで早くも動き,脇本も突っ張る構えをみせましたがバックでは引きました。このため岩津は木暮の後ろに。ホームに入ると渡辺が発進。この動きに山崎はついていかれなかったのですが,バックで外を追い上げ番手を確保。ここを外から脇本が仕掛けていき,先行争いとなりました。制したのは内の渡辺でバックは先頭で通過。満を持していた武田が捲っていったのですが,3コーナー手前で脇本と接触。この影響で脇本と村上,木暮が落車し,武田も外に浮いてしまい圏外。山崎が直線から発進すると抜け出して優勝。マークの成田が2着で福島ワンツー。最後まで実質的にレースに参加した中では最後尾の岩津が外を伸びて3着。

優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年はグレードレースを勝てず,一昨年の第53回オールスター以来のGレース優勝。オールスター競輪は2勝目,GⅠは8勝目,ビッグは12勝目。グリーンドームでは2008年の寛仁親王牌を勝っています。Gでは久しぶりの優勝ということから分かりますように,最盛期の力はもうないのだろうと思います。今日も一旦は渡辺から離れてしまい,危ういレースでした。これはかなり大きなギアでレースに臨んでいることも影響しているのではないでしょうか。レースを作るという点ではあまり上手ではないタイプという印象もありますが,今後も今日のように番手を回る機会が増えてくるでしょうから,まだビッグでの優勝数を増やしていくことは可能なように思います。
第二部定理九系から第二部定理一二へと至る間に,『エチカ』の中で何が起こっているのかを順に検証してみます。
まず第二部定理一〇でいわれているのは,要するに人間は実体ではないということです。ただ,このことはそれ自体としては,現在の考察とはあまり関係ありませんし,第二部定理一二および第二部定理一三が導かれるのに際して,重大な意味をもたらすというものではないと考えていいと思います。むしろそれ自体で重要な部分があるとすれば,この定理から帰結している第二部定理一〇系の方だといえるのではないでしょうか。
「この帰結として,人間の本質は神の属性のある様態的変状から構成されているということになる」。
人間が実体ではないということがすでに第二部定理一〇で証明されていることを勘案すれば,この系を証明することはそうも難しくありません。すなわち第一部公理一の意味からして,人間というのは実体であるか,そうでなければ実体の変状,すなわち様態であるかのどちらかでなければなりませんが,実体ではないのですから様態です。そして第一部定理一四により,自然のうちに実在する実体というのは神だけなのですから,神の変状であるということになるからです。
しかしこのことは,実際にはスピノザがそうしているように,第一部定理一五を援用することによってより簡明に証明できます。すなわちもしも人間の本性というものが神の属性のある様態的変状から構成されているのではないとしたら,第一部公理四により,人間の本性を十全に認識するためには神の何らかの属性を十全には認識する必要がないということになるでしょう。いい換えれば,人間を概念する,これは概念と知覚を厳密に分けた上での概念ですが,このために神の概念が不要であるということになります。しかし神なしには何も考えることができない,すなわち概念することができないということは,第一部定理一五で示されている事柄のひとつなのですから,これを主張するのは不条理です。よって人間の本性は神のある属性の変状であって,いい換えれば第一部定理二五系により,神の本性を一定の仕方で表現する個物res particularisであるということになります。
若干の牽制となりましたが村上がスタートを取って脇本の前受け。岩津が続いて渡辺が5番手,武田が8番手という周回に。武田は残り3周のホームに入るところで早くも動き,脇本も突っ張る構えをみせましたがバックでは引きました。このため岩津は木暮の後ろに。ホームに入ると渡辺が発進。この動きに山崎はついていかれなかったのですが,バックで外を追い上げ番手を確保。ここを外から脇本が仕掛けていき,先行争いとなりました。制したのは内の渡辺でバックは先頭で通過。満を持していた武田が捲っていったのですが,3コーナー手前で脇本と接触。この影響で脇本と村上,木暮が落車し,武田も外に浮いてしまい圏外。山崎が直線から発進すると抜け出して優勝。マークの成田が2着で福島ワンツー。最後まで実質的にレースに参加した中では最後尾の岩津が外を伸びて3着。

優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年はグレードレースを勝てず,一昨年の第53回オールスター以来のGレース優勝。オールスター競輪は2勝目,GⅠは8勝目,ビッグは12勝目。グリーンドームでは2008年の寛仁親王牌を勝っています。Gでは久しぶりの優勝ということから分かりますように,最盛期の力はもうないのだろうと思います。今日も一旦は渡辺から離れてしまい,危ういレースでした。これはかなり大きなギアでレースに臨んでいることも影響しているのではないでしょうか。レースを作るという点ではあまり上手ではないタイプという印象もありますが,今後も今日のように番手を回る機会が増えてくるでしょうから,まだビッグでの優勝数を増やしていくことは可能なように思います。
第二部定理九系から第二部定理一二へと至る間に,『エチカ』の中で何が起こっているのかを順に検証してみます。
まず第二部定理一〇でいわれているのは,要するに人間は実体ではないということです。ただ,このことはそれ自体としては,現在の考察とはあまり関係ありませんし,第二部定理一二および第二部定理一三が導かれるのに際して,重大な意味をもたらすというものではないと考えていいと思います。むしろそれ自体で重要な部分があるとすれば,この定理から帰結している第二部定理一〇系の方だといえるのではないでしょうか。
「この帰結として,人間の本質は神の属性のある様態的変状から構成されているということになる」。
人間が実体ではないということがすでに第二部定理一〇で証明されていることを勘案すれば,この系を証明することはそうも難しくありません。すなわち第一部公理一の意味からして,人間というのは実体であるか,そうでなければ実体の変状,すなわち様態であるかのどちらかでなければなりませんが,実体ではないのですから様態です。そして第一部定理一四により,自然のうちに実在する実体というのは神だけなのですから,神の変状であるということになるからです。
しかしこのことは,実際にはスピノザがそうしているように,第一部定理一五を援用することによってより簡明に証明できます。すなわちもしも人間の本性というものが神の属性のある様態的変状から構成されているのではないとしたら,第一部公理四により,人間の本性を十全に認識するためには神の何らかの属性を十全には認識する必要がないということになるでしょう。いい換えれば,人間を概念する,これは概念と知覚を厳密に分けた上での概念ですが,このために神の概念が不要であるということになります。しかし神なしには何も考えることができない,すなわち概念することができないということは,第一部定理一五で示されている事柄のひとつなのですから,これを主張するのは不条理です。よって人間の本性は神のある属性の変状であって,いい換えれば第一部定理二五系により,神の本性を一定の仕方で表現する個物res particularisであるということになります。