『こころ』の先生は長男の悲劇を味わいました。一方,同じ『こころ』の中には,次男の悲劇も含まれています。それは先生の友人のKの場合です。
Kは浄土真宗の僧侶の次男として産まれました。先生とKは同郷で,浄土真宗の勢力が強く,ほかの宗派に比べて物質的には恵まれていました。しかし,詳細は不明ですが,中学のときに医者の養子に出されます。
ただしこの医者も裕福で,Kは学資を得て上京,先生と同じ下宿に入ります。もちろん学資を出した義父は,Kを医者にするつもりでした。おそらくこの医者には男の子がなく,Kに後を継がせるつもりであったのでしょう。
ところが,Kというのは養子に出された中学の頃から宗教や哲学に興味を持っていました。上京後の下宿時代にも,精進ということばを好み,実際にその生活はそのことばを地でいくものでした。先生は,Kは普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたと書いています。
こういった性格ですから,Kは医者になるつもりはありませんでした。それで上京した3年目の夏に,養家に対して,自分が医者になるつもりはないということ,だからそのための勉強はしていないということを白状する手紙を送ります。この結果,医者である養父は激怒し,学資を送ることを拒絶しました。最終的にはそれまで養家に出してもらっていた学資は実家で弁償してもらえたのですが,これが実家とも養家とも縁の切れ目。少なくともK自身は,実家から勘当されたという認識でした。
先生の説明が正しいのであれば,Kは僧侶になるべき人間でした。ですからKが長男であり,養子に出されるようなことがなかったなら,おそらくKは立派な僧侶になっていたことでしょう。しかしKは次男でした。そして次男であったからこそ,こうした悲劇を味わわなければならなかったのです。
『それから』の代助も,次男の悲劇ですが,異なったタイプの悲劇といえるでしょう。ただ僕は漱石は意図的に,『こころ』において長男の先生と次男のKという対比を作ったのだと理解しています。
前回は健康診断の結果が出ていましたから,それまでのオーダーに比べると項目が多くなっていました。今回はそれがなかったのですが,尿素窒素とクレアチニンの結果は残っていました。これらは今後も継続して検査するということになるのかもしれません。
そしてiPro2レコーダーを使っての検査の結果も出ていました。これはかなり詳しい結果で,検査期間中の血糖値の推移がグラフ化されたものなど,カラーで印刷された5枚のプリントを受け取っています。ただ,これについて逐一説明しているときりがありません。血糖値は概ねは正常とされる範囲の中で推移していたのですが,午後8時過ぎから深夜の2時くらいまでは適正な値を上回っていることが多いと判明しました。検査期間でいえば,深夜の低血糖が出た10月25日から26日にかけては別ですが,それ以外は上回っていて,200mg/㎗をオーバーしている時間というのもあったのです。そこで,この時間帯の血糖値をさらに抑制することができるならば,HbA1cの値を良化させることができるであろうという判断から,夕食前に注射しているインスリンを増量することになりました。
僕の場合は,夕食前には超速効型のヒューマログと,持続効果型のランタスを共に注射しているわけですが,この場合に増量するのはヒューマログの方であることはいうまでもありません。この前日まで,この時間のヒューマログの注射量は0.08mlでしたが,それを0.02ml増量し,0.1mlにするというのがU先生からの指示でした。したがって僕は,この12月17日の夜からは,その量のヒューマログを注射しています。ただ,これはやはり慣れというものがありまして,それまでは長期にわたって0.08mlの注射でしたから,ルーティンワークのようにその量だけを注射してしまうというケースも発生はしました。インスリンの注射自体が僕にとってのルーティンワークとなっていますから,量を変更しますと,その直後はそのことを強く意識していないと,こうした誤りを自然と犯すわけです。増量はその後は行われていませんから,現在もこの量で,さすがに3ヶ月強が経過していますから,今の時点ではむしろ0.1mlを注射するということが,僕の中ではルーティンワーク化しています。
Kは浄土真宗の僧侶の次男として産まれました。先生とKは同郷で,浄土真宗の勢力が強く,ほかの宗派に比べて物質的には恵まれていました。しかし,詳細は不明ですが,中学のときに医者の養子に出されます。
ただしこの医者も裕福で,Kは学資を得て上京,先生と同じ下宿に入ります。もちろん学資を出した義父は,Kを医者にするつもりでした。おそらくこの医者には男の子がなく,Kに後を継がせるつもりであったのでしょう。
ところが,Kというのは養子に出された中学の頃から宗教や哲学に興味を持っていました。上京後の下宿時代にも,精進ということばを好み,実際にその生活はそのことばを地でいくものでした。先生は,Kは普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたと書いています。
こういった性格ですから,Kは医者になるつもりはありませんでした。それで上京した3年目の夏に,養家に対して,自分が医者になるつもりはないということ,だからそのための勉強はしていないということを白状する手紙を送ります。この結果,医者である養父は激怒し,学資を送ることを拒絶しました。最終的にはそれまで養家に出してもらっていた学資は実家で弁償してもらえたのですが,これが実家とも養家とも縁の切れ目。少なくともK自身は,実家から勘当されたという認識でした。
先生の説明が正しいのであれば,Kは僧侶になるべき人間でした。ですからKが長男であり,養子に出されるようなことがなかったなら,おそらくKは立派な僧侶になっていたことでしょう。しかしKは次男でした。そして次男であったからこそ,こうした悲劇を味わわなければならなかったのです。
『それから』の代助も,次男の悲劇ですが,異なったタイプの悲劇といえるでしょう。ただ僕は漱石は意図的に,『こころ』において長男の先生と次男のKという対比を作ったのだと理解しています。
前回は健康診断の結果が出ていましたから,それまでのオーダーに比べると項目が多くなっていました。今回はそれがなかったのですが,尿素窒素とクレアチニンの結果は残っていました。これらは今後も継続して検査するということになるのかもしれません。
そしてiPro2レコーダーを使っての検査の結果も出ていました。これはかなり詳しい結果で,検査期間中の血糖値の推移がグラフ化されたものなど,カラーで印刷された5枚のプリントを受け取っています。ただ,これについて逐一説明しているときりがありません。血糖値は概ねは正常とされる範囲の中で推移していたのですが,午後8時過ぎから深夜の2時くらいまでは適正な値を上回っていることが多いと判明しました。検査期間でいえば,深夜の低血糖が出た10月25日から26日にかけては別ですが,それ以外は上回っていて,200mg/㎗をオーバーしている時間というのもあったのです。そこで,この時間帯の血糖値をさらに抑制することができるならば,HbA1cの値を良化させることができるであろうという判断から,夕食前に注射しているインスリンを増量することになりました。
僕の場合は,夕食前には超速効型のヒューマログと,持続効果型のランタスを共に注射しているわけですが,この場合に増量するのはヒューマログの方であることはいうまでもありません。この前日まで,この時間のヒューマログの注射量は0.08mlでしたが,それを0.02ml増量し,0.1mlにするというのがU先生からの指示でした。したがって僕は,この12月17日の夜からは,その量のヒューマログを注射しています。ただ,これはやはり慣れというものがありまして,それまでは長期にわたって0.08mlの注射でしたから,ルーティンワークのようにその量だけを注射してしまうというケースも発生はしました。インスリンの注射自体が僕にとってのルーティンワークとなっていますから,量を変更しますと,その直後はそのことを強く意識していないと,こうした誤りを自然と犯すわけです。増量はその後は行われていませんから,現在もこの量で,さすがに3ヶ月強が経過していますから,今の時点ではむしろ0.1mlを注射するということが,僕の中ではルーティンワーク化しています。