スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

長男の悲劇&U先生の配慮

2013-03-09 18:43:42 | 歌・小説
 『それから』の代助は,最終的には得の要求を蹴飛ばし,そのために得からの援助を受けることが不可能になり,職を求めることになります。これは戦前の家父長制という制度の下での,次男であるがゆえの悲劇であったといえます。
                         
 しかし,この制度は次男,というか正確には長男以外の子どもにのみ悲劇をもたらすものではありません。長男は長男で,長男であるがゆえの悲劇,あるいは被害に見舞われる可能性がありました。夏目漱石の小説の中からその一例を探すとすれば,『こころ』の先生が代表であるといえるでしょう。
                         
 先生は相当な財産家のひとり息子として,先生自身のことばでいえば鷹揚に育てられました。ところが先生が20歳のとき,父親が腸チフスで死に,看病していた母親にも伝染して,すぐに死んでしまいました。この結果,知識も経験も分別も欠如していた先生は,叔父を頼ることになりました。この叔父の計らいで,先生は上京し,高等学校に入学することになったのです。
 ところがこの叔父が,先生の父の遺産をごまかしていました。有体にいえば先生は長男として自分が相続するべき財産を,この叔父によって搾取されてしまったのです。もちろんこの財産というのは,現金だけを意味するのではなく,不動産なども含まれています。後に先生が叔父と談判し,事を明るみに出した後に受け取ったものは,時価に比べるとよほど少なかったといっています。ただ,それでも先生は,自身が懐にして家を出た公債と,後に友人から送ってもらった現金の利子の半分も使うことなく学生生活を送ることができたといっていますから,先生の父親というのは,相当な財産家であったということが分かります。
 相続は長男が一手に担います。ですからこうした被害に先生が巻き込まれたのは,先生が長男であったからです。もちろんただ長男であればよいというわけではなく,相当な財産家のひとり息子であったからではあります。先生が鷹揚に育てられたのも,それだけの財産があったからといえるでしょう。しかしここには,確かに長男に特有の悲劇が描かれているのだと考えてよいと思います。

 10月26日の金曜日は,午前9時前に家を出ました。iPro2レコーダーは外してきてもよいと言われていたのですが,装着の際にどれくらいのものが自分の腹に刺さっているのかが分かりませんでしたし,外す具体的な手順を教えてもらったわけでもありません。装着がそうも難儀な作業ではありませんでしたから,外すことはもっと簡単であろうことは容易に想像できましたが,万一のことがあってはいけませんので,装着したまま向いました。
 この日は普段の通院とは異なりまして,病院に到着したら真直ぐに総合内科の受付に。22日にU先生が僕に対してしてくれた配慮というのはこのことで,この日は診察の予約は入れていなかったのです。予約をしていないことがなぜ配慮になるのか訝しく思う方がいらっしゃるかもしれませんが,予約を入れれば診察ということになりますから,診察料が必要になります。しかし入れていなければ不要ですから,要するにこの日は僕はお金を一銭も支払う必要がなかったということになります。
 U先生に言われていたのは,午前10時前後に総合内科の受付に来るようにということでした。それで僕はほぼその時間に出向いたわけです。受付の方に,午前10時くらいに来るようにと言われていると告げ,名乗りました。しかし,この時点では担当した受付の方は事情を把握されていなかったようです。ただ,連絡を入れてもらうと,ほどなくして技師の方が現れました。そしてレコーダーについて尋ねられましたので,まだ装着したままであると答えました。それではすぐに外しましょうということで,僕たちは処置室へと入りました。ベッドに仰向けに横になったのは装着のときと同じですが,この日は服は脱がず,捲り上げただけでした。
 装着のときはほとんど痛みを感じなかったのですが,この日は痛かったです。ただしそれはレコーダーとはまったく関係がありません。レコーダーが落下しないように上からテープで押さえてありましたから,まずこのテープを剥がす必要があり,その作業に痛みが伴ったまでです。レコーダー本体を外すときには少しの痛みもありませんでした。むしろくすぐったくって,そちらを我慢しなければなりませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする