スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スヌーカへの配慮&バザー

2013-03-16 19:00:27 | NOAH
 馬場は全日本プロレスをひとつのファミリーと考えていたというのが僕の解釈。ただ,その家族を構成していたのは,所属選手や従業員だけではなく,全日本プロレスのリングで仕事をしているレスラーたちも含まれていたと僕は思っています。だから,フリーで参戦していた鶴見五郎に対しても,馬場の配慮というものがあったのではないかと思うのです。
                         
 だとすれば,それは外国人選手にも及ぶ筈です。ブロディとスヌーカ仲間割れの事情がプロモーターとしての馬場自身の意向によるものであったとして,超獣不沈艦にタッグを組ませるということは,ブロディに対してもハンセンに対しても,ひとつの配慮となっていることは間違いありません。ただ,ブロディとハンセンは大学の先輩と後輩という間柄ですから,タッグを組むことは自然な流れなのであって,これは配慮というほどの配慮とはいえないということもまた事実ではあるでしょう。
 問題はブロディを失うスーパーフライに対してです。馬場はブロディを失うスヌーカに対して,新しいパートナーを与えるという配慮はしていました。それは,長くNWA王者として君臨し,シングルマッチを中心に戦っていたため,明確なパートナーが不在であったハーリー・レイスでした。
 ブロディと袂を別った年の秋,スヌーカは全日本に来日。そのとき,レイスと組んで馬場・鶴田組と対戦。レイスのブレーンバスターからスヌーカのボディプレスという連係が決まり,鶴田から3カウントを奪っています。これは直後の世界最強タッグ決定リーグ戦への布石であったと思われ,実際にこのチームの参戦が発表されました。しかし,スヌーカの本心がどこにあったかは不明ですが,スヌーカは来日をキャンセル。1戦だけの幻のタッグとなりました。
 スヌーカがレイスと組んでブロディ・ハンセン組と対戦するというのは,とても魅力的なカード。それが実現しなかったことを,僕は今でも残念に思っています。

 23日の金曜日は,妹が卒業した養護学校でバザーがあり,と妹で出掛けました。
 このバザーは毎年,勤労感謝の日に必ず行われているもの。バザーを行う養護学校と,現在,妹が通っている作業所は,運営母体が同一であるか,そうでなくても深い関係にあります。ですから事前に作業所からもこの案内がありまして,商品の提出もしています。もちろんそれは僕たちが売るためのものではありません。養護学校に寄付して,それを養護学校が販売するというもので,売れたからといって僕たちに利益が入るわけではないです。
 毎年のことで,同じように案内がきて,同じように商品になりそうなものを寄付し,当日は学校まで出掛けていって,何らかのものを購入してきます。妹はこの養護学校を卒業した後,一時的にここの運営母体とは無関係の施設に通っていました。母が小脳出血を発症する前に,ボランティアで昼食を作りに行っていたのはここの施設。その後,妹は現在の作業所に通い出すようになり,それからはもう随分と年月が経過しています。したがって,このバザーにも一時的には参加していなかったのですが,その後はこの11月23日には,必ず学校に行っていました。同級生なども来るようで,妹も楽しみな行事のようです。例外的に1度だけ,これは母の入院中ですが,2010年だけは行くことができませんでした。もしも行くとすれば,そのときは僕が連れていくほかなかったでしょう。養護学校はこのブログでいう本牧より先にある本牧町の,さらに先にあります。僕は六角橋の近くにある神奈川大学へと妹と同行した日が,最長の1日であったと感じています。それに比べれば養護学校はずっと近いですし,最寄りのバス停から母が入院していた磯子中央病院の最寄りのバス停まで,バス1本で行くことが可能です。ですから連れていって,その後で母の見舞いに行ったとしても,そのときほどは大変ではなかったでしょう。ただ,バザーというのは1日がかりの行事ですし,リズムダンスの場合とは異なり,ずっと一緒にいなければなりません。そう考えれば,やはり大変は大変であったと思います。それでも妹は楽しみにしていることですから,連れていってやれなかったことは今でも残念に思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする