馬場が全日本プロレスをひとつのファミリーと考えていて,そのファミリーを貫く制度が戦前の家父長制であったならば,馬場が残したかったものを引き継ぐのは必然的に馬場の長男でなければならないことになります。ファミリーの位置付けは馬場の中では定まっていて,長男は三沢だったわけですから,それは三沢に引き継がせるべきものであったいうことになるでしょう。

このファミリーの位置付けからみるならば,三沢の殉死の後,田上明がNOAHの社長に就任したことは,実はこの当時の路線に沿ったものであったことになります。代助という名前の象徴性から明らかなように,この制度下での次男の役割というのは,長男にもしものことが起きたときに代わって助けることですが,そもそも馬場が考えたファミリーの中で,田上は次男であったからです。
最良の時代に繰り広げられたプロレスについて,馬場はテレビの解説で,このプロレスは高度過ぎて自分には解説不能であるという主旨のことを発言したことがありました。では,そのプロレスが,馬場が残したかったものに反していたのかといえば,少なくとも馬場はそのようには考えていなかったと僕は理解しています。いい換えるなら,リング上でのプロレスに関しては,三沢がそれを引き継ぐということを,馬場自身は認めていたと僕は考えているのです。
全日本プロレスという会社についてはどうなのかといえば,それを三沢が継ぐことを許容していたかどうかは僕には分からないです。そもそも馬場はその判断を下す前に,死んでしまったのではないかと僕は思っています。もちろん馬場本人も,そんなに早く自分の死が訪れるということを,自分自身ではイメージできなかったので,はっきりした判断を出さぬままこの世を去ってしまったのでしょう。
名と実とに分けたならば,名について三沢がそれを相続することを馬場が認めていたかどうかは僕には分かりません。しかし実の部分に関していうならば,確かに馬場は相続人が三沢であるということを認めていたし,それをリング上でも示したと理解してよいのではないかと思っているのです。
僕は入院中は朝,昼,晩の食事前と,就寝前の4度にわたって血糖値測定をしていました。退院してからもしばらくの間は同様でした。しかし今はそんなには計測していません。これは退院後に正式に主治医となったG先生から,そんなに測定しなくてもよいとの話があったからです。僕が夜の計測という場合には,夕食前のことではなく,就寝前のことです。

次に血糖値計測の器具は,血を出すための注射器と針,そして実際に計測するための器械とセンサーの4点で一式です。このうち,注射器と器械は耐久品ですから,ひとつしかありません。一方,針とセンサーは消耗品で,計測するたびにひとつずつ減っていくことになります。僕が通院の際に常に支給されていたのは,センサーと針のセットでした。このときに新しくなったのは器械と注射器の両方です。しかし器械はセンサーと,そして注射器は針とそれぞれ対になっていますから,センサーと針もそれまでに使用していたのとは別のものになりました。つまり血糖値計測のための用具の一式のすべてが新しいものとなったわけです。
支給されていた針は1箱に25本入っていました。一方,センサーの方は1箱に5枚の束が5セット,つまり25枚が封入されていました。同じようにひとつずつが減っていくのですから,同じ頻度でなくなるのが原則です。しかしこのときにストックがなくなったのはセンサーの方だけで,針の方は在庫がありました。計測のためにセンサーに血を入れるのですが,そのときに量が少ないと器械が反応せず,計測ができません。こうした場合,センサーはもう使うことができませんが,仮にもう1度血を出さなければならないとしても,針はもう1度だけ使用していました。これはそうたびたび生じることではありませんが,何度かあったのは事実です。この積み重ねによって,センサーの在庫と針の在庫にずれが生じていったため,先にセンサーだけがなくなってしまったのです。センサーと器械は対ですから,センサーを新しいものにするということは,器械の方も新しいものにする必要がありました。しかし針は残っていたわけですから,この時点では,まだ注射器と針に関しては,それまでに使用していたものを継続して使っています。

上の画像が新しい器具一式。左上が注射器,下が器械,右上が針,下がセンサーです。

このファミリーの位置付けからみるならば,三沢の殉死の後,田上明がNOAHの社長に就任したことは,実はこの当時の路線に沿ったものであったことになります。代助という名前の象徴性から明らかなように,この制度下での次男の役割というのは,長男にもしものことが起きたときに代わって助けることですが,そもそも馬場が考えたファミリーの中で,田上は次男であったからです。
最良の時代に繰り広げられたプロレスについて,馬場はテレビの解説で,このプロレスは高度過ぎて自分には解説不能であるという主旨のことを発言したことがありました。では,そのプロレスが,馬場が残したかったものに反していたのかといえば,少なくとも馬場はそのようには考えていなかったと僕は理解しています。いい換えるなら,リング上でのプロレスに関しては,三沢がそれを引き継ぐということを,馬場自身は認めていたと僕は考えているのです。
全日本プロレスという会社についてはどうなのかといえば,それを三沢が継ぐことを許容していたかどうかは僕には分からないです。そもそも馬場はその判断を下す前に,死んでしまったのではないかと僕は思っています。もちろん馬場本人も,そんなに早く自分の死が訪れるということを,自分自身ではイメージできなかったので,はっきりした判断を出さぬままこの世を去ってしまったのでしょう。
名と実とに分けたならば,名について三沢がそれを相続することを馬場が認めていたかどうかは僕には分かりません。しかし実の部分に関していうならば,確かに馬場は相続人が三沢であるということを認めていたし,それをリング上でも示したと理解してよいのではないかと思っているのです。
僕は入院中は朝,昼,晩の食事前と,就寝前の4度にわたって血糖値測定をしていました。退院してからもしばらくの間は同様でした。しかし今はそんなには計測していません。これは退院後に正式に主治医となったG先生から,そんなに測定しなくてもよいとの話があったからです。僕が夜の計測という場合には,夕食前のことではなく,就寝前のことです。

次に血糖値計測の器具は,血を出すための注射器と針,そして実際に計測するための器械とセンサーの4点で一式です。このうち,注射器と器械は耐久品ですから,ひとつしかありません。一方,針とセンサーは消耗品で,計測するたびにひとつずつ減っていくことになります。僕が通院の際に常に支給されていたのは,センサーと針のセットでした。このときに新しくなったのは器械と注射器の両方です。しかし器械はセンサーと,そして注射器は針とそれぞれ対になっていますから,センサーと針もそれまでに使用していたのとは別のものになりました。つまり血糖値計測のための用具の一式のすべてが新しいものとなったわけです。
支給されていた針は1箱に25本入っていました。一方,センサーの方は1箱に5枚の束が5セット,つまり25枚が封入されていました。同じようにひとつずつが減っていくのですから,同じ頻度でなくなるのが原則です。しかしこのときにストックがなくなったのはセンサーの方だけで,針の方は在庫がありました。計測のためにセンサーに血を入れるのですが,そのときに量が少ないと器械が反応せず,計測ができません。こうした場合,センサーはもう使うことができませんが,仮にもう1度血を出さなければならないとしても,針はもう1度だけ使用していました。これはそうたびたび生じることではありませんが,何度かあったのは事実です。この積み重ねによって,センサーの在庫と針の在庫にずれが生じていったため,先にセンサーだけがなくなってしまったのです。センサーと器械は対ですから,センサーを新しいものにするということは,器械の方も新しいものにする必要がありました。しかし針は残っていたわけですから,この時点では,まだ注射器と針に関しては,それまでに使用していたものを継続して使っています。

上の画像が新しい器具一式。左上が注射器,下が器械,右上が針,下がセンサーです。