スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

佐藤と藤波&無限と有限

2014-07-07 19:01:57 | NOAH
 佐藤昭雄が日本プロレスに正式に入門を許可されたのは1970年5月。すぐに馬場の付け人に。プロレスラーデビューは同年の10月。この直前から馬場は早い時間に会場に入り,佐藤を直々に指導。デビュー後も佐藤の試合を見て,アドバイスをしていたそうです。
 この時期の馬場はプロレスラーは身体が大きくなければならないという考え方。佐藤は体格に恵まれていませんでした。だから馬場は佐藤はレスラーとしてはスターになれないと考えていて,佐藤にもはっきりとそう言っていたそうです。その代わり,どんな技でも受けられるレスラーを目指すというのが馬場の指導の中心。佐藤もそれをすんなりと受け入れたようです。
 佐藤の入門の1ヶ月後,1970年6月に日本プロレスに入門したのが藤波辰巳(当時)。藤波は猪木の付け人に。ただ,巡業中の旅館では,佐藤と藤波はいつも同じ部屋を割り当てられていました。
 馬場の付け人だった佐藤は,旅館でも給仕などのため,馬場の部屋にしょっちゅう行っていました。そこでも佐藤は付け人としての仕事をしていただけではありません。馬場のアドバイスもありましたし,もっと一般的にプロレスやレスラーたちの話も聞いていました。佐藤はそうしたことを口外してはいけないと考えていたようですが,ほぼ同期で同部屋の藤波には,馬場から聞いたことを話すこともありました。佐藤によれば,藤波はそうした話に驚いて,猪木は何も教えてくれないと言っていたそうです。
 藤波も体格に恵まれていませんでしたから,馬場に付いていたら,佐藤と同じようなアドバイスを受けていたかもしれません。そうしたら今の藤波はなかっただろうと思われます。このあたりには運命的なものを感じずにいられません。
 藤波の日本プロレスでの最後の試合は1970年12月12日。対戦相手は佐藤でした。その後,藤波は日本プロレスを追放された猪木を追って新日本プロレスに。佐藤は藤波は猪木についていくことを嫌がっていたと語っていますが,結果的にはついていってすごくよかったと言っています。それは僕も同感です。

 これら一連のテクストから,個物res singularisすなわち有限様態は,どのように知性に把握されるなら,その把握された観念の十全性が確保できるのかの解答が帰結します。
 まず,様態と様態的変状は,理性的にのみ区別されます。要するにあるものが様態であるならそれは様態的変状でもありますし,逆にあるものが様態的変状であるなら,様態でもあることになります。res singularisにもこの条件が妥当します。つまりres singularisとはres singularisという様態でもあるし,同時に様態的変状でもあります。それは第一部定理二八証明のテクストに倣い,定まった存在を有する有限な様態的変状に様態化した神の属性であるといっておくのが最適でしょう。念のためにいっておけば,この語句は結果として生起するres singularisについていわれているのではなく,それの原因であるres singularisについて用いられています。しかしそのところは問題にはなりません。この原因であるres singularisもまたほかのres singularisによって生起するのだからです。したがってすべてのres singularisは,定まった存在を有する有限な様態的変状に様態化した神の属性であるということが,一般的に成立します。
 このとき,res singularisは,様態として知性に把握される限り,有限です。そしてこの把握自体が虚偽であるということはありません。これは第二部定義七に合致した把握だからです。一方,res singularisが様態的変状に様態化した属性と把握される場合,それは有限であるとはいえません。属性は自己の類において無限なので,むしろ無限であるという方が適当です。そしてこちらの把握も誤謬ではありません。これは第一部公理四第一部定義五に合致した把握だからです。
 ですからres singularisは,有限でもあるし無限でもあるということになります。これは他面からいうなら,有限であるものは無限であるという命題が,スピノザの哲学では,真の命題として成立するということです。そしてこれが,スピノザの哲学における,無限と有限の関係の,僕の結論です。
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