スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑦-7&例外

2014-07-28 19:11:30 | ポカと妙手etc
 ⑦-6の第2図。先手玉を直接的には攻められない後手は,△4八歩と打ちました。
                         
 これは大事な4九のと金を守ると同時に,角の効きを遮断した手。△6九金▲同玉△5九飛までの詰めろです。先手は金を打たれる手を避けるため,▲6九香と打ちました。部分的にはこれも厳しいのですが,この将棋の最終的な敗着。6九に打つなら▲6九桂,そうでなければ▲6八金ととにかく王手をしておくべきでした。後手玉は下の方に逃げられるので,それで先手が勝てるわけではなかったかもしれませんが,少なくともまだ手数を伸ばすことはできたでしょう。
 ▲6九香には△5九銀と打つ手があり,これが決め手でした。
                         
 ▲6八金は△同銀成で詰まされますし,▲6七金は△5八王と入られて後続がありません。手に窮した先手は▲4四角と指し,△6八金で投了となりました。
 序盤,中盤,終盤と見どころが非常に多かった将棋。NHK杯全体の中でも,これは屈指の名局だったと今でも思っています。

 隠れた前提には,しかし次に示すような例外が含まれるということも考慮しておかなければなりません。たとえば事前にAというものが何らかの仕方で定義され,しかる後に,そのように定義されたAなるものは存在しない,あるいは存在し得ないということが,公理系の中で論証される場合です。この場合には,少なくとも公理系の全体のうちにおいては,Aに定義は与えられているけれども,それは存在するものとして定義されているわけではない,いい換えれば,Aは実在性を有し得ないもの,無力であるものとして定義されているということになります。
                         
 スピノザは『デカルトの哲学原理』を執筆するにあたっては,上述の例外を採用しています。第二部定義三では,アトムに定義が与えられています。そして第二部定理五では,アトムが存在しないということが証明されています。また同様に第二部定義五では真空vacumが定義されています。しかし第二部定理三では,vacumが存在しないこと,正確にいえば,vacumが存在するというならそれは自己矛盾であるということが論証されています。つまりアトムもvacumも,実在性を有するものとして定義されているのではありません。第二部はデカルトの物質的諸原理の哲学をスピノザが再構成したもので,その原理を説明するための方法として,便宜的に定義が与えられていると理解しておくのが妥当でしょう。
 なお,念のために説明しておけば,ここでデカルトやスピノザがいっているvacumというのは,僕たちが真空という記号によって表象したり概念したりするものとは違います。これは物体的ではない延長空間というほどの意味で,そうした延長空間は存在しないというのがデカルトの主張,正しくはスピノザが解したデカルトの主張です。デカルトやスピノザが,現代の科学的見地からみた場合に,それと矛盾したことを主張しているのではありません。
 ただし,僕の考えでは,『エチカ』というよりもスピノザ自身の哲学の全体には,このような例外が入り込んでくる余地はありません。なぜそうであるのか,少し詳しく説明していくことにします。
コメント
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