9日に札幌で指された第29期女流王位戦五番勝負第一局。里見香奈女流王位と渡部愛女流二段は公式戦初対局。
振駒で里見王位の先手で5筋位取り中飛車。相銀冠から後手の渡部二段だけが穴熊に。穴熊の強みを生かした攻めを繰り出し,紆余曲折はあったものの勝てそうな局面までもっていきました。
後手が5八に角を打って先手が4七の金を寄った局面。ここで☖4九角成なら攻め切ることができ,後手としては反省点はあるにせよ穴熊らしい会心譜といってもいい将棋になったものと思われます。しかし☖3二銀と受けに回りました。
手番を得た先手は☗4三歩成☖同銀左☗同香成☖同銀に☗6四銀と☖5五角を阻止しつつ桂馬を補充。後手はここで☖4九角成の余裕を得ましたが,先手は☗4五桂☖4四角☗3三桂打☖3二銀☗2一桂成☖同金☗3三桂打と桂馬を駆使して攻め込みました。このように攻められれば受けは利かなくなるので後手は☖3七香☗同王☖5九龍で下駄を預けることに。
第2図は受けても先手が勝てそうですが詰みがあるとみて最短の勝ちを目指しました。これは里見王位の棋風からは当然。☗2一桂成☖同銀☗同龍☖同玉と進めそこで☗2三香と打てば詰みだったのですが,☗3二銀と打ってしまったためにこれは詰まず大逆転。手順が分からなくて詰みを逃したわけではなく,これでも詰みという錯覚があったようです。詰みと思って進めた局面が詰まずに負けというのは,プロでも稀にあるので仕方ありません。ただ番勝負の一局ですから,これが大きく響いてしまうというケースもあり得るでしょう。
渡部二段が先勝。第二局は22日です。
スピノザが示した定義Definitioの条件には,両立し得なさそうなふたつの事柄が含まれています。ですがこれは見方によっては両立するのです。他面からいうと,両立しなさそうに思える発生の条件と本性essentiaの条件は,なぜそれらが共に定義の要件を構成しなければならないかという観点からみるなら,同じことを意味していると解釈することが可能なのです。
本性を定義した第二部定義二の意味には,事物の本性はその事物の存在existentiaを定立するのであり,その存在を排除することはないということが含まれています。一方,原因が一義的に起成原因causa efficiensを意味する以上,原因は結果の存在を,これは一面的にですが定立します。この場合の原因は第一部公理三にあるように,必然的にnecessario結果を発生させるので,原因の意向によって結果が発生したりしなかったりするというわけではないからです。ただ,原因というのは必ずしも結果を発生させる原因というのを意味するわけではなく,結果の発生を阻害するような原因も同じような意味で原因なので,原因が結果の発生を定立するのであり,それを排除することはないということを一般的にいうことはできないというだけです。とはいえ,定義の要件を満たすような原因というのは,当然ながら定義されるものの存在を定立するような原因ということですから,その点に目を向ければ,発生の条件も本性の条件も,定義されるものの存在を定立するような要件であるという点で一致しているといえるでしょう。
もうひとつ,スピノザは事物の本性からはその事物の特質proprietasのすべてが帰結すると考えています。逆に特質から本性を帰結させることができません。この意味で,スピノザの哲学では本性と特質は対義語に該当するのです。そしてこのとき,知性intellectusがある事物の発生を十全に概念するconcipereなら,概念されたその事物の特質のすべてを知性はその概念conceptusから帰結させることができるともスピノザは考えているのです。逆に事物の特質からはその発生を概念することができません。そしてそのために,事物の特質は事物の定義としては相応しくないのです。つまり,そこから事物の特質が帰結するという点でも,本性の条件と発生の条件は一致するのです。
振駒で里見王位の先手で5筋位取り中飛車。相銀冠から後手の渡部二段だけが穴熊に。穴熊の強みを生かした攻めを繰り出し,紆余曲折はあったものの勝てそうな局面までもっていきました。
後手が5八に角を打って先手が4七の金を寄った局面。ここで☖4九角成なら攻め切ることができ,後手としては反省点はあるにせよ穴熊らしい会心譜といってもいい将棋になったものと思われます。しかし☖3二銀と受けに回りました。
手番を得た先手は☗4三歩成☖同銀左☗同香成☖同銀に☗6四銀と☖5五角を阻止しつつ桂馬を補充。後手はここで☖4九角成の余裕を得ましたが,先手は☗4五桂☖4四角☗3三桂打☖3二銀☗2一桂成☖同金☗3三桂打と桂馬を駆使して攻め込みました。このように攻められれば受けは利かなくなるので後手は☖3七香☗同王☖5九龍で下駄を預けることに。
第2図は受けても先手が勝てそうですが詰みがあるとみて最短の勝ちを目指しました。これは里見王位の棋風からは当然。☗2一桂成☖同銀☗同龍☖同玉と進めそこで☗2三香と打てば詰みだったのですが,☗3二銀と打ってしまったためにこれは詰まず大逆転。手順が分からなくて詰みを逃したわけではなく,これでも詰みという錯覚があったようです。詰みと思って進めた局面が詰まずに負けというのは,プロでも稀にあるので仕方ありません。ただ番勝負の一局ですから,これが大きく響いてしまうというケースもあり得るでしょう。
渡部二段が先勝。第二局は22日です。
スピノザが示した定義Definitioの条件には,両立し得なさそうなふたつの事柄が含まれています。ですがこれは見方によっては両立するのです。他面からいうと,両立しなさそうに思える発生の条件と本性essentiaの条件は,なぜそれらが共に定義の要件を構成しなければならないかという観点からみるなら,同じことを意味していると解釈することが可能なのです。
本性を定義した第二部定義二の意味には,事物の本性はその事物の存在existentiaを定立するのであり,その存在を排除することはないということが含まれています。一方,原因が一義的に起成原因causa efficiensを意味する以上,原因は結果の存在を,これは一面的にですが定立します。この場合の原因は第一部公理三にあるように,必然的にnecessario結果を発生させるので,原因の意向によって結果が発生したりしなかったりするというわけではないからです。ただ,原因というのは必ずしも結果を発生させる原因というのを意味するわけではなく,結果の発生を阻害するような原因も同じような意味で原因なので,原因が結果の発生を定立するのであり,それを排除することはないということを一般的にいうことはできないというだけです。とはいえ,定義の要件を満たすような原因というのは,当然ながら定義されるものの存在を定立するような原因ということですから,その点に目を向ければ,発生の条件も本性の条件も,定義されるものの存在を定立するような要件であるという点で一致しているといえるでしょう。
もうひとつ,スピノザは事物の本性からはその事物の特質proprietasのすべてが帰結すると考えています。逆に特質から本性を帰結させることができません。この意味で,スピノザの哲学では本性と特質は対義語に該当するのです。そしてこのとき,知性intellectusがある事物の発生を十全に概念するconcipereなら,概念されたその事物の特質のすべてを知性はその概念conceptusから帰結させることができるともスピノザは考えているのです。逆に事物の特質からはその発生を概念することができません。そしてそのために,事物の特質は事物の定義としては相応しくないのです。つまり,そこから事物の特質が帰結するという点でも,本性の条件と発生の条件は一致するのです。