12日に瑞巌寺で指された第3期叡王戦七番勝負第三局。高見泰地六段の選択で持ち時間は3時間。
金井恒太六段の先手で横歩取りになった将棋は千日手に。先後を入れ替えての指し直しになりました。
指し直し局は相矢倉模様の出だしから先手の高見六段が飛車先を伸ばしていく力戦調の相居飛車戦。後手が早繰り銀から棒銀の要領で銀を交換する将棋に。終盤まで接戦が続いていたのではないかと思われます。
先手が6六の銀を上がった局面。後手はここで☖8八と☗同金と捨ててから☖5五角と取りました。
これを☗同飛は☖4四角と打たれ,☗5三桂不成の王手金取りはあるもののその後の飛車の処置に苦労する可能性が残ります。なのですぐに☗5三桂不成として☖3一王と逃げたので☗6一桂成と金を取りました。
☖8八角成としたいですが☗5一飛成でこれは後手が負けそうです。なので☖4四角打と受けたのですが,これはまずかったのではないでしょうか。☗6六銀と打たれてしまい☖4五銀☗5五飛☖同角☗同銀で角を一枚損してしまうことになった上,打った銀も働きの鈍い駒になってしまいました。直接的な狙いには乏しいですが☖5四銀と受けておけば,すぐに負けるような将棋にはなっていなかったように思われます。
第2図以下の先手の寄せ手順は最善ではなかったかもしれませんが,問題にはならずそのまま押し切っています。
高見六段が3連勝。第四局は26日です。
円の定義Definitioであれ球の定義であれ,与えられた条件の下に円あるいは球が発生すること自体を,スピノザは虚構とみなします。つまり円は一端が固定しもう一端が運動することによって形成される図形と定義されなければならず,球は半円が直線部分を軸にして一回転することによって形成される図形と定義されなければならないとスピノザはいうのですが,同時にこれらの定義には虚構が含まれているとスピノザはいっているのです。
ここで虚構というのはふたつの観点から説明することができます。ひとつはそれを観念されたものideatumすなわち円や球と関連させた説明です。たとえば現実的に円が存在しているとして,その円は必ずしもスピノザが円の定義として説明していることを原因として発生するものではありません。別の起成原因causa efficiensを有する現実的に存在する円があり得るからです。したがってこの定義によって知性intellectusのうちに生じる円の観念ideaは,必ずしも現実的に存在するあの円やこの円といわれる円と一致するわけではありません。つまり第一部公理六により,その円の観念は現実的に存在する円の真の観念idea veraではないのです。よってこれは外来的特徴denominatio extrinsecaにおける虚構です。
もうひとつは,直線は一端が固定しもう一端が運動するという本性essentiaを有していませんし,またそうした特質proprietas,本性から必然的にnecessario帰結する特質を有しているわけでもありません。同様に半円はそれ自体で直線部分を軸として一回転する運動をなす本性を有しているわけではありませんし,特質を有しているというわけでもありません。したがって仮に知性intellectusが直線を十全に認識するということがあっても,その観念から必然的に円の観念が発生するわけではありません。同様に知性が半円を十全に概念するconcipereということがあったとしても,その十全な観念idea adaequataから必然的に球の十全な観念が発生するというわけではありません。円や球の十全な観念が発生するためには,各々の定義に示された条件を思惟作用としてなすことが求められていて,これは虚構であるとスピノザはいうのです。つまりこれは直線や半円の十全な観念から円や球の十全な観念へと至る観点で,本来的特徴denominatio intrinsecaの観点における虚構であるといえます。
金井恒太六段の先手で横歩取りになった将棋は千日手に。先後を入れ替えての指し直しになりました。
指し直し局は相矢倉模様の出だしから先手の高見六段が飛車先を伸ばしていく力戦調の相居飛車戦。後手が早繰り銀から棒銀の要領で銀を交換する将棋に。終盤まで接戦が続いていたのではないかと思われます。
先手が6六の銀を上がった局面。後手はここで☖8八と☗同金と捨ててから☖5五角と取りました。
これを☗同飛は☖4四角と打たれ,☗5三桂不成の王手金取りはあるもののその後の飛車の処置に苦労する可能性が残ります。なのですぐに☗5三桂不成として☖3一王と逃げたので☗6一桂成と金を取りました。
☖8八角成としたいですが☗5一飛成でこれは後手が負けそうです。なので☖4四角打と受けたのですが,これはまずかったのではないでしょうか。☗6六銀と打たれてしまい☖4五銀☗5五飛☖同角☗同銀で角を一枚損してしまうことになった上,打った銀も働きの鈍い駒になってしまいました。直接的な狙いには乏しいですが☖5四銀と受けておけば,すぐに負けるような将棋にはなっていなかったように思われます。
第2図以下の先手の寄せ手順は最善ではなかったかもしれませんが,問題にはならずそのまま押し切っています。
高見六段が3連勝。第四局は26日です。
円の定義Definitioであれ球の定義であれ,与えられた条件の下に円あるいは球が発生すること自体を,スピノザは虚構とみなします。つまり円は一端が固定しもう一端が運動することによって形成される図形と定義されなければならず,球は半円が直線部分を軸にして一回転することによって形成される図形と定義されなければならないとスピノザはいうのですが,同時にこれらの定義には虚構が含まれているとスピノザはいっているのです。
ここで虚構というのはふたつの観点から説明することができます。ひとつはそれを観念されたものideatumすなわち円や球と関連させた説明です。たとえば現実的に円が存在しているとして,その円は必ずしもスピノザが円の定義として説明していることを原因として発生するものではありません。別の起成原因causa efficiensを有する現実的に存在する円があり得るからです。したがってこの定義によって知性intellectusのうちに生じる円の観念ideaは,必ずしも現実的に存在するあの円やこの円といわれる円と一致するわけではありません。つまり第一部公理六により,その円の観念は現実的に存在する円の真の観念idea veraではないのです。よってこれは外来的特徴denominatio extrinsecaにおける虚構です。
もうひとつは,直線は一端が固定しもう一端が運動するという本性essentiaを有していませんし,またそうした特質proprietas,本性から必然的にnecessario帰結する特質を有しているわけでもありません。同様に半円はそれ自体で直線部分を軸として一回転する運動をなす本性を有しているわけではありませんし,特質を有しているというわけでもありません。したがって仮に知性intellectusが直線を十全に認識するということがあっても,その観念から必然的に円の観念が発生するわけではありません。同様に知性が半円を十全に概念するconcipereということがあったとしても,その十全な観念idea adaequataから必然的に球の十全な観念が発生するというわけではありません。円や球の十全な観念が発生するためには,各々の定義に示された条件を思惟作用としてなすことが求められていて,これは虚構であるとスピノザはいうのです。つまりこれは直線や半円の十全な観念から円や球の十全な観念へと至る観点で,本来的特徴denominatio intrinsecaの観点における虚構であるといえます。