磐梯熱海温泉で指された第11期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
西山朋佳奨励会三段の先手で角道オープン三間飛車。加藤桃子女王が揺さぶるような序盤戦でしたが,相銀冠の持久戦に落ち着きました。
先手が9八の飛車を回った局面。後手は攻め駒が停滞している感じで,ここでは先手の方がよいのかもしれません。
このまま☗5五角と出られてはかなわないので☖4四歩と先受けしましたが構わずに☗5五角。そこで☖5四歩と打ったのですがこれは大丈夫なのかなという印象を受けました。当然ですが先手は角を逃げずに☗4四歩と取り込み☖5五歩☗4三歩成☖同金と進め☗5五歩と手を戻しました。
後手の駒得ですが玉の堅さと駒の働きは先手が上回っていて,ここは先手の方がいいと思います。後手は手番を生かして何か指したいところですが☖8八歩と打ったのは驚きでした。とても間に合うようには思えなかったからです。ここでこれくらいしか手がないのなら,先手の方がいいというより大差なのかもしれません。
先手は☗3七金寄と陣形を引き締めつつ金取り。後手は☖4四歩と受けましたが☗4五歩☖同歩☗4四歩☖同金☗2三歩☖同王と歩を惜しみなく使って☗5六銀と攻めに厚みを加えました。
第2図まで進むと角しか持っていない後手は受けに窮する形。ここでは先手が勝勢とみてよいのでしょう。
西山三段が勝って2勝1敗。第四局は24日です。
スピノザは『エチカ』で第二部公理三を援用するとき,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであるということに訴求します。僕もこの公理Axiomaをそう用いることがあります。ですが実際には個々の観念と個々の意志作用volitioとは同一のものである,いい換えればある観念は必ず何らかの意志作用を付随させているのであり,かつその意志作用がなくてはあることができないのですから,この公理の意味を厳密に規定するなら,観念は思惟の様態のうち第一のものであるけれど,それと同様に意志作用も思惟の様態のうちの第一のものであるということでなければならないと僕は考えています。
第一部公理三から分かるように,個々の意志作用が発生するならそれを発生させる原因すなわち起成原因causa efficiensがあるのでなければなりません。そして意志作用というのは思惟の様態であり,かつ個別の意志作用は無限infinitumではあり得ないので,それは思惟の属性Cogitationis attributumの個物res singularisであることになります。これは個々の観念というのは個物である,他面からいえば個物の観念でなければならないということから明白であるといえるでしょう。ですから個物の観念に含まれる意志作用というのは,スピノザが第一部定理三二を証明するときにいっているように,第一部定理二八の様式で存在するようになる,すなわち発生するようになるのです。
それでは直線の一端が固定しもう一端が運動することを肯定する意志作用,すなわち円の十全な観念idea adaequataを肯定する意志作用の起成原因というのは何なのでしょうか。あるいは第一部定理二八と第二部定理五により,どのような思惟の属性の個物であるのでしょうか。そして同時にこの問いは,円の十全な観念の起成原因を問うているのと同じです。意志作用と観念は同じものなのですから,円の十全な観念の起成原因を問うことと,円の十全な観念を肯定する意志作用の原因を問うことは,同じであると考えなければならないからです。
すでに明らかにしたように,直線の本性essentiaのうちに,この運動motusは含まれていません。同様に,直線の特質proprietasのうちにもそれは含まれていません。ですから直線の十全な観念,あるいはその観念を肯定する意志作用は,その原因ではあり得ません。
西山朋佳奨励会三段の先手で角道オープン三間飛車。加藤桃子女王が揺さぶるような序盤戦でしたが,相銀冠の持久戦に落ち着きました。
先手が9八の飛車を回った局面。後手は攻め駒が停滞している感じで,ここでは先手の方がよいのかもしれません。
このまま☗5五角と出られてはかなわないので☖4四歩と先受けしましたが構わずに☗5五角。そこで☖5四歩と打ったのですがこれは大丈夫なのかなという印象を受けました。当然ですが先手は角を逃げずに☗4四歩と取り込み☖5五歩☗4三歩成☖同金と進め☗5五歩と手を戻しました。
後手の駒得ですが玉の堅さと駒の働きは先手が上回っていて,ここは先手の方がいいと思います。後手は手番を生かして何か指したいところですが☖8八歩と打ったのは驚きでした。とても間に合うようには思えなかったからです。ここでこれくらいしか手がないのなら,先手の方がいいというより大差なのかもしれません。
先手は☗3七金寄と陣形を引き締めつつ金取り。後手は☖4四歩と受けましたが☗4五歩☖同歩☗4四歩☖同金☗2三歩☖同王と歩を惜しみなく使って☗5六銀と攻めに厚みを加えました。
第2図まで進むと角しか持っていない後手は受けに窮する形。ここでは先手が勝勢とみてよいのでしょう。
西山三段が勝って2勝1敗。第四局は24日です。
スピノザは『エチカ』で第二部公理三を援用するとき,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであるということに訴求します。僕もこの公理Axiomaをそう用いることがあります。ですが実際には個々の観念と個々の意志作用volitioとは同一のものである,いい換えればある観念は必ず何らかの意志作用を付随させているのであり,かつその意志作用がなくてはあることができないのですから,この公理の意味を厳密に規定するなら,観念は思惟の様態のうち第一のものであるけれど,それと同様に意志作用も思惟の様態のうちの第一のものであるということでなければならないと僕は考えています。
第一部公理三から分かるように,個々の意志作用が発生するならそれを発生させる原因すなわち起成原因causa efficiensがあるのでなければなりません。そして意志作用というのは思惟の様態であり,かつ個別の意志作用は無限infinitumではあり得ないので,それは思惟の属性Cogitationis attributumの個物res singularisであることになります。これは個々の観念というのは個物である,他面からいえば個物の観念でなければならないということから明白であるといえるでしょう。ですから個物の観念に含まれる意志作用というのは,スピノザが第一部定理三二を証明するときにいっているように,第一部定理二八の様式で存在するようになる,すなわち発生するようになるのです。
それでは直線の一端が固定しもう一端が運動することを肯定する意志作用,すなわち円の十全な観念idea adaequataを肯定する意志作用の起成原因というのは何なのでしょうか。あるいは第一部定理二八と第二部定理五により,どのような思惟の属性の個物であるのでしょうか。そして同時にこの問いは,円の十全な観念の起成原因を問うているのと同じです。意志作用と観念は同じものなのですから,円の十全な観念の起成原因を問うことと,円の十全な観念を肯定する意志作用の原因を問うことは,同じであると考えなければならないからです。
すでに明らかにしたように,直線の本性essentiaのうちに,この運動motusは含まれていません。同様に,直線の特質proprietasのうちにもそれは含まれていません。ですから直線の十全な観念,あるいはその観念を肯定する意志作用は,その原因ではあり得ません。