書簡七十二はスピノザがシュラーGeorg Hermann Schullerに宛てたもので,シュラーが出した書簡七十への返答になっています。しかし実際に書簡七十でスピノザに要望を出しているのはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausで,スピノザもチルンハウスに対して返答していることになります。これと似た関係にある書簡としては,シュラーが出した書簡六十三とスピノザが返答した書簡六十四があり,書簡五十七はチルンハウスからになっていますが,実際はシュラーを介したもので,だからその返答の書簡五十八はシュラー宛になっています。
一方,チルンハウスはシュラーを介さない書簡もスピノザに送っています。チルンハウスはオランダからイギリスに渡り,オルデンブルクHeinrich Ordenburgとスピノザの関係を修復することに成功し,その後にパリに移動してホイヘンスChristiaan Huygensに会い,またライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに会いました。チルンハウスからシュラーを介さずスピノザに宛てられた手紙には,まだオランダにいた頃のもの,ロンドンからのもの,パリに到着してからのもののすべてが含まれています。
『宮廷人と異端者』では,チルンハウスがパリに着いてからスピノザに宛てた書簡は,その背後にライプニッツがいるという解釈になっています。つまりチルンハウスがシュラーを介して哲学的議論をスピノザと交わしたように,ライプニッツがチルンハウスを介してスピノザと哲学的議論を交わしていると読解できるようになっているのです。
この読解を全面的に信頼してよいかは分かりません。チルンハウスも有能な人物であり,スピノザと議論を交わせることは,それ以前の書簡から明らかだからです。しかし全面的に否定できない要素もあります。ひとつは書簡七十から分かるように,チルンハウスはライプニッツを高く評価していたので,チルンハウス自身がライプニッツから何らかの哲学的影響を受けたことは可能性として高いからです。もうひとつは,ライプニッツは自身がスピノザと直接的にやり取りをしたいと思っていたでしょうが,同時にそれは宮廷人としての自分の身分を危うくすることも分かっていたので,チルンハウスが仲介者になってくれるならあり難かっただろうからです。
なので,チルンハウスの背後にライプニッツがいることは,可能性として想定しておいた方がいいでしょう。
彼女の行動について推察します。
あの服装で電車に乗るというのは僕にはあまりに危険が伴いすぎるように思えます。なので彼女はホームを1周,というのは僕が座っていた位置からすれば,右側の階段を使ってホームに上がり,左側の階段をそのまま降りていったのではないかと思います。
駅の周辺はかなり栄えていて,ホームよりもよほど多くの人がいた筈です。ですからあの服装で駅までやって来るということは,電車に乗ることよりもさらに危険を冒すことになるだろうと僕には思えます。なので,駅まではとくに目立たぬ服で来て,たとえば駅のトイレで露出用の衣装に着替えた上で,ホームに上がったか,そうでなければ駅までは上にコートのようなものを羽織っていて,それを駅に着いてから脱いだのではないかと思います。彼女がそれをなしたのは,もちろん彼女の嗜好によるものであることは間違いありません。ただそれは彼女が自分で思い立って行動に移したことかもしれませんし,あるいはだれかの,俗なことばでいえば「ご主人様」の命令に従った行動であったかもしれません。これはどちらもあり得ると僕には思えます。
ただしこれは,あくまでも僕が彼女の行動を,一般的な社会常識とも重なり合わせた上で,可能な限り合理性を保たせるように推測したものです。僕はこうした嗜好を持ち合わせていませんし,逆にこうした行動をだれかに強いるような嗜好,すなわち再び俗なことばを用いれば「ご主人様」になるという嗜好を持ち合わせているわけでもありません。ですからそうした嗜好をもっているような人というのが,どの程度まで社会常識に照合させた上での危険性を自身に対して許容するのかということは不明です。もしかしたらそうした人にとって,その服装で電車に乗ったり人通りの多い街中を歩くくらいのことは容易になし得ることなのかもしれません。
わざわざこうしたことを詳しく書いたのは,単に僕がそのような珍しい経験をしたということを報告したかったからというわけではありません。こうした事柄もまた,哲学的考察の対象となり得るからです。スピノザ主義はこれをどのように評価するのでしょうか。
一方,チルンハウスはシュラーを介さない書簡もスピノザに送っています。チルンハウスはオランダからイギリスに渡り,オルデンブルクHeinrich Ordenburgとスピノザの関係を修復することに成功し,その後にパリに移動してホイヘンスChristiaan Huygensに会い,またライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに会いました。チルンハウスからシュラーを介さずスピノザに宛てられた手紙には,まだオランダにいた頃のもの,ロンドンからのもの,パリに到着してからのもののすべてが含まれています。
『宮廷人と異端者』では,チルンハウスがパリに着いてからスピノザに宛てた書簡は,その背後にライプニッツがいるという解釈になっています。つまりチルンハウスがシュラーを介して哲学的議論をスピノザと交わしたように,ライプニッツがチルンハウスを介してスピノザと哲学的議論を交わしていると読解できるようになっているのです。
この読解を全面的に信頼してよいかは分かりません。チルンハウスも有能な人物であり,スピノザと議論を交わせることは,それ以前の書簡から明らかだからです。しかし全面的に否定できない要素もあります。ひとつは書簡七十から分かるように,チルンハウスはライプニッツを高く評価していたので,チルンハウス自身がライプニッツから何らかの哲学的影響を受けたことは可能性として高いからです。もうひとつは,ライプニッツは自身がスピノザと直接的にやり取りをしたいと思っていたでしょうが,同時にそれは宮廷人としての自分の身分を危うくすることも分かっていたので,チルンハウスが仲介者になってくれるならあり難かっただろうからです。
なので,チルンハウスの背後にライプニッツがいることは,可能性として想定しておいた方がいいでしょう。
彼女の行動について推察します。
あの服装で電車に乗るというのは僕にはあまりに危険が伴いすぎるように思えます。なので彼女はホームを1周,というのは僕が座っていた位置からすれば,右側の階段を使ってホームに上がり,左側の階段をそのまま降りていったのではないかと思います。
駅の周辺はかなり栄えていて,ホームよりもよほど多くの人がいた筈です。ですからあの服装で駅までやって来るということは,電車に乗ることよりもさらに危険を冒すことになるだろうと僕には思えます。なので,駅まではとくに目立たぬ服で来て,たとえば駅のトイレで露出用の衣装に着替えた上で,ホームに上がったか,そうでなければ駅までは上にコートのようなものを羽織っていて,それを駅に着いてから脱いだのではないかと思います。彼女がそれをなしたのは,もちろん彼女の嗜好によるものであることは間違いありません。ただそれは彼女が自分で思い立って行動に移したことかもしれませんし,あるいはだれかの,俗なことばでいえば「ご主人様」の命令に従った行動であったかもしれません。これはどちらもあり得ると僕には思えます。
ただしこれは,あくまでも僕が彼女の行動を,一般的な社会常識とも重なり合わせた上で,可能な限り合理性を保たせるように推測したものです。僕はこうした嗜好を持ち合わせていませんし,逆にこうした行動をだれかに強いるような嗜好,すなわち再び俗なことばを用いれば「ご主人様」になるという嗜好を持ち合わせているわけでもありません。ですからそうした嗜好をもっているような人というのが,どの程度まで社会常識に照合させた上での危険性を自身に対して許容するのかということは不明です。もしかしたらそうした人にとって,その服装で電車に乗ったり人通りの多い街中を歩くくらいのことは容易になし得ることなのかもしれません。
わざわざこうしたことを詳しく書いたのは,単に僕がそのような珍しい経験をしたということを報告したかったからというわけではありません。こうした事柄もまた,哲学的考察の対象となり得るからです。スピノザ主義はこれをどのように評価するのでしょうか。