日曜のヴィクトリアマイルを勝ったジュールポレールは祖母が1988年にアメリカで産まれたダイアモンドシティという馬で,輸入基礎繁殖牝馬に該当します。ニキーヤと同じでファミリーナンバーは9-hですが,同一ファミリーでもそれぞれに分枝はあり,ニキーヤとダイアモンドシティは同一牝系とはいい難い間柄になっています。
2頭の産駒をアメリカで産んでから輸入されました。しかし産駒からは重賞の勝ち馬は出ていません。孫の代にあたるサダムパテックがダイアモンドシティの一族から最初の重賞の勝ち馬。そして半妹のジュールポレールが2頭目の重賞の勝ち馬です。血統というのは不思議なもので,一族から重賞の勝ち馬は続々と出るものの大レースにはなかなか手が届かないという牝系もあれば,重賞の勝ち馬は多く出ないけれども出たらその馬が大レースも制覇するという牝系もあります。ダイアモンドシティは典型的な後者に属するといえるでしょう。そしてこの一族が日本で続いていくかどうかは,ジュールポレールが無事に繁殖牝馬となり,活躍する馬を出せるかどうかにかかっているといって過言ではありません。
牝系の基点となっているのはダイアモンドシティの4代母に当たる馬。ここまで辿ると日本での活躍馬も何頭か出ています。そのうち最も活躍した馬ということであれば,マーベラスサンデーになるでしょう。マーベラスサンデーの叔母には1986年にクイーンステークスを勝ったロイヤルシルキーがいます。
今世紀以降ということになると,2008年にアイビスサマーダッシュとセントウルステークス,2009年にアイビスサマーダッシュを勝ったカノヤザクラがこの牝系を出自としています。
個々の観念ideaと個々の意志作用volitioは同一です。ですから一端が固定しもう一端が運動する直線を肯定する意志作用と円の観念は同じものです。同様に直線部分を軸として一回転する半円を肯定する意志作用と球の観念は同一なのです。同一であるからには,前者が原因で後者が結果であることはありません。結果は原因と異なるものであるがゆえに結果といわれるのですし,原因は結果と異なるものであるがゆえに原因といわれ得るからです。実際の起成原因causa efficiensというのはこれらを肯定し同時に円や球の十全な観念idea adaequataを形成する知性intellectusそれ自身の能動actioなのであって,この能動が円や球の観念の十全性を保証しているのです。この意味では,原因が一律的に結果の十全性を保証していると考えた方がむしろ的確でしょう。
これは分かりにくいかもしれませんが,自由意志の否定というのは神Deusに対してであれ人間に対してであれ,スピノザの哲学の眼目のひとつです。僕たちはあたかも直線や半円の運動motusを肯定する意志作用が原因となって円や球の十全な観念が結果として発生するというように思い込んでしまいがちですが,スピノザはそのようなことが生じるということ自体を認めません。一般的にいい換えれば,意志voluntasが原因となって観念が発生するということは認めないのです。ただし,第二部定理九にあるように,個物res singularisの観念の原因はそれとは別の個物の観念でなければなりません。したがって個物Aの観念の原因はたとえば個物Bの観念であることになります。このとき,観念は意志作用がなければあることができないので,個物Aの観念にはそれに特有の意志作用があり,同じように個物Bの観念にもそれだけに特有の意志作用があります。この意味において個物Bに特有の意志作用が個物Aの観念の原因であるということは,それが的確な表現であるかどうかは別に,観念と意志作用が同一であるとみる限りで,成立することを僕は認めます。ただ,ここで述べている例は,円の観念や球の観念に特有の意志作用のことですから,そのような意志作用が円の観念や球の観念の起成原因であり得ないことは明白です。そう思ってしまうのは知性に自由な意志を想定するからだといえるでしょう。
2頭の産駒をアメリカで産んでから輸入されました。しかし産駒からは重賞の勝ち馬は出ていません。孫の代にあたるサダムパテックがダイアモンドシティの一族から最初の重賞の勝ち馬。そして半妹のジュールポレールが2頭目の重賞の勝ち馬です。血統というのは不思議なもので,一族から重賞の勝ち馬は続々と出るものの大レースにはなかなか手が届かないという牝系もあれば,重賞の勝ち馬は多く出ないけれども出たらその馬が大レースも制覇するという牝系もあります。ダイアモンドシティは典型的な後者に属するといえるでしょう。そしてこの一族が日本で続いていくかどうかは,ジュールポレールが無事に繁殖牝馬となり,活躍する馬を出せるかどうかにかかっているといって過言ではありません。
牝系の基点となっているのはダイアモンドシティの4代母に当たる馬。ここまで辿ると日本での活躍馬も何頭か出ています。そのうち最も活躍した馬ということであれば,マーベラスサンデーになるでしょう。マーベラスサンデーの叔母には1986年にクイーンステークスを勝ったロイヤルシルキーがいます。
今世紀以降ということになると,2008年にアイビスサマーダッシュとセントウルステークス,2009年にアイビスサマーダッシュを勝ったカノヤザクラがこの牝系を出自としています。
個々の観念ideaと個々の意志作用volitioは同一です。ですから一端が固定しもう一端が運動する直線を肯定する意志作用と円の観念は同じものです。同様に直線部分を軸として一回転する半円を肯定する意志作用と球の観念は同一なのです。同一であるからには,前者が原因で後者が結果であることはありません。結果は原因と異なるものであるがゆえに結果といわれるのですし,原因は結果と異なるものであるがゆえに原因といわれ得るからです。実際の起成原因causa efficiensというのはこれらを肯定し同時に円や球の十全な観念idea adaequataを形成する知性intellectusそれ自身の能動actioなのであって,この能動が円や球の観念の十全性を保証しているのです。この意味では,原因が一律的に結果の十全性を保証していると考えた方がむしろ的確でしょう。
これは分かりにくいかもしれませんが,自由意志の否定というのは神Deusに対してであれ人間に対してであれ,スピノザの哲学の眼目のひとつです。僕たちはあたかも直線や半円の運動motusを肯定する意志作用が原因となって円や球の十全な観念が結果として発生するというように思い込んでしまいがちですが,スピノザはそのようなことが生じるということ自体を認めません。一般的にいい換えれば,意志voluntasが原因となって観念が発生するということは認めないのです。ただし,第二部定理九にあるように,個物res singularisの観念の原因はそれとは別の個物の観念でなければなりません。したがって個物Aの観念の原因はたとえば個物Bの観念であることになります。このとき,観念は意志作用がなければあることができないので,個物Aの観念にはそれに特有の意志作用があり,同じように個物Bの観念にもそれだけに特有の意志作用があります。この意味において個物Bに特有の意志作用が個物Aの観念の原因であるということは,それが的確な表現であるかどうかは別に,観念と意志作用が同一であるとみる限りで,成立することを僕は認めます。ただ,ここで述べている例は,円の観念や球の観念に特有の意志作用のことですから,そのような意志作用が円の観念や球の観念の起成原因であり得ないことは明白です。そう思ってしまうのは知性に自由な意志を想定するからだといえるでしょう。