昨晩の第4回ゴールドジュニア。ルージュノデンゴンが出走取消となって11頭。
ピコニとキッショウテンは加速が鈍く3馬身の不利。デーレーラプター,マローネアバンティ,モンゲースパイの3頭が先行。イソエヴィクラントが4番手で5番手をトーセンヴィオラとクルマトラサンが併走。7番手はミモレフレイバーとスピニングガール。5馬身差でムサシジェリーナ。2馬身差でピコニ。2馬身差の最後尾にキッショウテン。前半の600mは34秒7のハイペース。
3コーナーを回っても前の3頭は雁行。真中のマローネアバンティが脱落し,デーレーラプターとモンゲースパイが併走で直線に。この外にクルマトラサンが追い上げてきました。直線に入るとデーレーラプターも一杯になってモンゲースパイが先頭に。追い上げてきたクルマトラサンがモンゲースパイを差し切って優勝。一旦先頭のモンゲースパイが2馬身差で3着。クルマトラサンのさらに外から追い込んできたスピニングガールがクビ差で3着。
優勝したクルマトラサンは先月の新馬を勝ったばかり。デビューからの連勝で南関東重賞初制覇。ここは4頭の2勝馬が出走していましたので,それらをキャリア1戦でまとめて負かしましたから,素質が抜けていたとみてよいでしょう。新馬は逃げ切っていましたので,好位からの差しを決めたのも高く評価できます。距離の延長にどこまで対応することができるのかということがこれからの課題になるでしょう。父は2013年にユニコーンステークス,2014年にプロキオンステークスと南部杯,2015年にプロキオンステークスと南部杯を勝ったベストウォーリア。祖母の父がアグネスタキオン。
騎乗した船橋の張田昂騎手はしらさぎ賞以来の南関東重賞6勝目。ゴールドジュニアは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞12勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
これも考察の過程で示したように,僕たちの精神mensのうちにある真の観念idea veraがあるというとき,僕たちの能動actioを示します。これに対して,僕たちの精神のうちに誤った観念idea falsaがある場合は,僕たちの受動passioを示すのです。第二部定理三二は,真の観念についての記述ですから,それが受動的に解されるのはあまり適切ではなく,この点も畠中の訳業があまり適切ではないというのが河井の主張であって,僕もそれには同意しました。
真の観念は,その観念自体でみれば神Deusに帰せられている観念であって,誤った観念というのはそれ自体でみれば神に帰せられていない観念,他面からいえば,たとえばそれが現実的に存在するAという人間の精神mens humanaのうちにあるとするなら,Aの精神に帰せられている観念です。そこでAが,A自身の精神に帰せられているこの観念を,神に帰するのであれば,その観念は真の観念になるでしょう。しかし僕はそのことは認めません。これも考察の過程でいったように,誤った観念が真の観念になるということは認めないのであって,一方でこのことは,Aの精神に帰せられている誤った観念が神に帰せられることによって真の観念になるといっているとしか解せないからです。
このことから理解することができると思うのですが,僕はAが真の観念を有するということはAの能動であるといいますが,だからといってAが任意にAの真の観念を有することができるというようには考えません。他面からいえば,ある観念を抽出したときに,その観念をAが任意に神に帰することができるというようには考えません。それはできる観念もあるけれどもできない観念もあると考えるのです。よって,すべての観念は神に帰せられれば真verumではあるのですが,だから現実的に存在する人間がすべての観念について神に帰することができるというようには僕は考えていないのです。つまり,すべての思惟作用について現実的に存在する人間は能動的であるというようには僕は考えませんし,能動的であることができるというようにも考えません。なので,僕が精神の能動actio Mentisというとき,それは任意の思惟作用によって可能になることであるとは考えているわけではないのです。
ピコニとキッショウテンは加速が鈍く3馬身の不利。デーレーラプター,マローネアバンティ,モンゲースパイの3頭が先行。イソエヴィクラントが4番手で5番手をトーセンヴィオラとクルマトラサンが併走。7番手はミモレフレイバーとスピニングガール。5馬身差でムサシジェリーナ。2馬身差でピコニ。2馬身差の最後尾にキッショウテン。前半の600mは34秒7のハイペース。
3コーナーを回っても前の3頭は雁行。真中のマローネアバンティが脱落し,デーレーラプターとモンゲースパイが併走で直線に。この外にクルマトラサンが追い上げてきました。直線に入るとデーレーラプターも一杯になってモンゲースパイが先頭に。追い上げてきたクルマトラサンがモンゲースパイを差し切って優勝。一旦先頭のモンゲースパイが2馬身差で3着。クルマトラサンのさらに外から追い込んできたスピニングガールがクビ差で3着。
優勝したクルマトラサンは先月の新馬を勝ったばかり。デビューからの連勝で南関東重賞初制覇。ここは4頭の2勝馬が出走していましたので,それらをキャリア1戦でまとめて負かしましたから,素質が抜けていたとみてよいでしょう。新馬は逃げ切っていましたので,好位からの差しを決めたのも高く評価できます。距離の延長にどこまで対応することができるのかということがこれからの課題になるでしょう。父は2013年にユニコーンステークス,2014年にプロキオンステークスと南部杯,2015年にプロキオンステークスと南部杯を勝ったベストウォーリア。祖母の父がアグネスタキオン。
騎乗した船橋の張田昂騎手はしらさぎ賞以来の南関東重賞6勝目。ゴールドジュニアは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞12勝目。ゴールドジュニアは初勝利。
これも考察の過程で示したように,僕たちの精神mensのうちにある真の観念idea veraがあるというとき,僕たちの能動actioを示します。これに対して,僕たちの精神のうちに誤った観念idea falsaがある場合は,僕たちの受動passioを示すのです。第二部定理三二は,真の観念についての記述ですから,それが受動的に解されるのはあまり適切ではなく,この点も畠中の訳業があまり適切ではないというのが河井の主張であって,僕もそれには同意しました。
真の観念は,その観念自体でみれば神Deusに帰せられている観念であって,誤った観念というのはそれ自体でみれば神に帰せられていない観念,他面からいえば,たとえばそれが現実的に存在するAという人間の精神mens humanaのうちにあるとするなら,Aの精神に帰せられている観念です。そこでAが,A自身の精神に帰せられているこの観念を,神に帰するのであれば,その観念は真の観念になるでしょう。しかし僕はそのことは認めません。これも考察の過程でいったように,誤った観念が真の観念になるということは認めないのであって,一方でこのことは,Aの精神に帰せられている誤った観念が神に帰せられることによって真の観念になるといっているとしか解せないからです。
このことから理解することができると思うのですが,僕はAが真の観念を有するということはAの能動であるといいますが,だからといってAが任意にAの真の観念を有することができるというようには考えません。他面からいえば,ある観念を抽出したときに,その観念をAが任意に神に帰することができるというようには考えません。それはできる観念もあるけれどもできない観念もあると考えるのです。よって,すべての観念は神に帰せられれば真verumではあるのですが,だから現実的に存在する人間がすべての観念について神に帰することができるというようには僕は考えていないのです。つまり,すべての思惟作用について現実的に存在する人間は能動的であるというようには僕は考えませんし,能動的であることができるというようにも考えません。なので,僕が精神の能動actio Mentisというとき,それは任意の思惟作用によって可能になることであるとは考えているわけではないのです。
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