1日に決勝が行われた向日町記念。
号砲とともに村上選手と海老根選手が前受けを狙いにいき,村上選手が取りました。中団に南関東,菊地選手を挟んで後方に九州で周回。まず動いたのが単騎の菊地選手で,これに北津留選手が続くと,打鐘前に菊地選手は九州に抑えさせて3番手。後方になった海老根選手が叩きに出ましたが,北津留選手が突っ張って先行。中団は外の海老根選手と内の村上選手で取り合いになり,村上選手が確保して海老根選手は7番手。この中団の奪い合いで力を使ってしまったのか,両者とも思ったほど車を出せず,北津留選手の番手から小野選手が抜け出して優勝。村上選手の後ろから中を割った前田選手が2着で,バック9番手から3~4コーナーは内,直線は外に出した海野選手が3着。別ラインのマーク屋のワンツースリーで,配当的にも波乱となりました。
村上選手はレースの中で先行しようという場面が一度もなく,作戦だったのかもしれませんが,このレース振りにはちょっとがっかり。捲るより先行した方が力を発揮できるタイプだと思います。海老根選手は多少無理をしてでも北津留選手を叩いてしまうほかなかった感じ。朱雀賞のときにちょっと書きましたが,ここは完全に組立ての失敗でした。
優勝した大分の小野俊之選手は一昨年の競輪グランプリの覇者。そのときの場内の優勝インタビューでは別府温泉のはっぴを着て登場していました。それ以降はそれまでの活躍からすると不振であったといえ,この優勝がいいきっかけになればいいと思います。記念競輪は昨年4月の川崎記念以来。昨年はFⅠを含めてもそれが唯一の優勝でした。
明日は大井で東京盃です。涼しくなってきましたがアグネスジェダイ◎が中心。昨年もこのレースは勝っていますし,次は分かりませんがここは大丈夫だと思います。相手にはアフター5スター賞が鮮やかだったコアレスタイム○を上位にとり,次にシーキングザベスト▲。それからリミットレスビッド△という順番です。
今日からのテーマは第一部定理三二系一にします。まずは全文。
「この帰結として第一に,神は意志の自由によって作用するものではないということになる」。
ところで,『エチカ』では,あるものが働くagereといわれる場合と,あるものが作用するといわれる場合とでは,確かに違いがあると思うのですが,これについてはここでのテーマの対象からは外します。これについては現代思想のスピノザ総特集で,桜井直文さんが,別の観点からではありますが対象として少し扱っていますので,もし関心がある場合にはそちらを読んでみてください。
ここで僕が扱うのは意志voluntasの問題です。そこで,作用するうんぬんということは抜きにして,ここではこの系Corollariumを,神は意志の自由libertasによってあることをなすということはないというように解釈しておくことにします。
号砲とともに村上選手と海老根選手が前受けを狙いにいき,村上選手が取りました。中団に南関東,菊地選手を挟んで後方に九州で周回。まず動いたのが単騎の菊地選手で,これに北津留選手が続くと,打鐘前に菊地選手は九州に抑えさせて3番手。後方になった海老根選手が叩きに出ましたが,北津留選手が突っ張って先行。中団は外の海老根選手と内の村上選手で取り合いになり,村上選手が確保して海老根選手は7番手。この中団の奪い合いで力を使ってしまったのか,両者とも思ったほど車を出せず,北津留選手の番手から小野選手が抜け出して優勝。村上選手の後ろから中を割った前田選手が2着で,バック9番手から3~4コーナーは内,直線は外に出した海野選手が3着。別ラインのマーク屋のワンツースリーで,配当的にも波乱となりました。
村上選手はレースの中で先行しようという場面が一度もなく,作戦だったのかもしれませんが,このレース振りにはちょっとがっかり。捲るより先行した方が力を発揮できるタイプだと思います。海老根選手は多少無理をしてでも北津留選手を叩いてしまうほかなかった感じ。朱雀賞のときにちょっと書きましたが,ここは完全に組立ての失敗でした。
優勝した大分の小野俊之選手は一昨年の競輪グランプリの覇者。そのときの場内の優勝インタビューでは別府温泉のはっぴを着て登場していました。それ以降はそれまでの活躍からすると不振であったといえ,この優勝がいいきっかけになればいいと思います。記念競輪は昨年4月の川崎記念以来。昨年はFⅠを含めてもそれが唯一の優勝でした。
明日は大井で東京盃です。涼しくなってきましたがアグネスジェダイ◎が中心。昨年もこのレースは勝っていますし,次は分かりませんがここは大丈夫だと思います。相手にはアフター5スター賞が鮮やかだったコアレスタイム○を上位にとり,次にシーキングザベスト▲。それからリミットレスビッド△という順番です。
今日からのテーマは第一部定理三二系一にします。まずは全文。
「この帰結として第一に,神は意志の自由によって作用するものではないということになる」。
ところで,『エチカ』では,あるものが働くagereといわれる場合と,あるものが作用するといわれる場合とでは,確かに違いがあると思うのですが,これについてはここでのテーマの対象からは外します。これについては現代思想のスピノザ総特集で,桜井直文さんが,別の観点からではありますが対象として少し扱っていますので,もし関心がある場合にはそちらを読んでみてください。
ここで僕が扱うのは意志voluntasの問題です。そこで,作用するうんぬんということは抜きにして,ここではこの系Corollariumを,神は意志の自由libertasによってあることをなすということはないというように解釈しておくことにします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます