スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

周防国府杯争奪戦&自然法

2024-11-11 18:57:21 | 競輪
 4日の防府記念の決勝。並びは吉田‐杉森‐武藤の関東,太田‐清水‐桑原の山陽,松本‐小岩の西国で菅田は単騎。
 清水と松本がスタートを取りにいき,清水が誘導の後ろを確保し太田の前受け。4番手に松本,6番手に菅田,7番手に吉田で周回。残り4周のバックの入口から吉田が上昇開始。残り3周のホームで太田に並びました。太田は引かず,バックに入って誘導が退避するとそのまま突っ張りました。吉田は引いて残り2周のホームでは周回中と同じ隊列に戻っての一列棒状に。そのまま打鐘を迎え,ホームの入口から太田が本格的に先行。引いた吉田が巻き返しにいきましたが,バックの入口から松本が合わせて発進。清水の牽制を乗り越えて捲り切りました。松本はそのまま後ろを離していき優勝。離れながらも食らいついた小岩が3車身差の2着で西国のワンツー。最後尾からインを突いた武藤が1車身半差の3着。
 優勝した愛媛の松本貴治選手は前々回出走の函館のFⅠ以来の優勝。7月のウインチケットミッドナイト以来のGⅢ3勝目。記念競輪は2021年の松山記念以来の2勝目。このレースは地元の清水にとって有利な並びになったのですが,吉田が早めに押さえに来たため,太田の発進が早くなりました。太田も力はありますが,あの段階から駆けては最後までもちません。清水は勝つためには番手から発進するほかなかったのですが,太田が頑張ったのでそれができなかったのでしょう。松本がそこをついての快勝となりました。前受けを狙いに行って4番手を確保できたのが大きかったと思います。

 ホッブズThomas Hobbesは自然状態status naturalisにおける人間が社会契約を結び共同社会状態status civilisに入ることを自然法lex naturalisによって説明しています。そこでこの自然法の概念notioをスピノザの政治論に導入するなら,共同社会状態の成員の実質的利益を顧みない権力あるいは支配者は,その権力を維持することができなくなるということが,自然法によって生じるといえると僕は考えます。したがって,吉田はスピノザの社会契約はホッブズの社会契約より軽いといっていますが,この観点から見れば逆に重いということもできると思います。これは観点の相違で,共同社会状態の支配者からみたとき,ホッブズの政治論ではその支配者がどのような支配をしようと,いい換えれば共同社会の成員の利益を顧みないような統治を行ったとしてもその社会契約が破棄されることはないのに対し,スピノザの政治論ではそのような場合には社会契約が破棄されてしまうので,社会契約を維持するためには成員の利益utilitasを顧みる必要があります。この成員の利益は当然ながら社会契約の実質的な内容として含まれていることになりますから,支配者の側から社会契約の内容を遵守しなければならないという意味になります。したがって支配者の側からみれば,むしろスピノザの社会契約の方が重く,ホッブズの社会契約の方が軽いといういい方もできるでしょう。
                            
 実際にはスピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では社会契約説を展開していますが,『国家論Tractatus Politicus』では何も触れていません。これは社会契約説というのは,国家Imperiumの成立を説明するための概念上の装置であったことが関係していると僕は考えています。実際に現代人は国家という共同社会状態の中で生きているわけですが,だからといって具体的な契約pactumを結んで国家の中で生きているというわけではありません。国家が国民の実質的利益を顧みなければならないということは社会契約説から導き出せますが,まさにそのことを導き出すための概念装置として社会契約説をスピノザは展開したのではないでしょうか。したがってそれが重いとか軽いとかいう以前のこととして,スピノザが政治論の中で社会契約説にそこまで重きを置いているわけではないということもまた事実だろうと思います。

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