書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○他律の無効性。

2014年09月19日 18時44分58秒 | 意識論関連
 福島での原発事故のことを「天災だから、仕方ない。」なんて言うバカが時折いますけど。国会事故調査委員会の報告書では畑村洋太郎はハッキリと「人災」だと明言しているんですよ。それに加えて最も重要なことは「個人が自律的に社会的責任を負うことである。」とも言っている。

 東電社員達に自律がなかった一因として、「長いものには巻かれろ」的な服従迎合性が染み付いてしまっているからであり。その原因として親や教師から強制的に行動を抑圧されてきた「結果」だと言えるのです。

 ヒトは先天的に社会を形成する習性があります。これは集団多数で協調組織的に行動することで気分的に安心する本能があることを意味しますが、こうした本能習性を満たすためだけにヘイトスピーチだのイジメといった差別排除につながる原因でもあるのです。

 ヒトという種の生物には、多数派同調バイアスというものがあり。多数で同じ観念とか行動をしていれば気分的に満足するように脳が出来ているっていう「結果」に過ぎないのです。

 こうした先天的本能習性が促す行動バイアスの「結果」には何の保証もありません。だからこそ差別排除といった非人道的行動への暴走にもつながるわけです。

 危険な人間ピラミッド(人間性もないのに人間ピラミッドとは言いたくはないのですが、一般的にそう呼ばれているので、方便として使いますが。ヒトという種の生物だからといって短絡的にヒトのやることの全てを「人間」とするのも大嘘です。)がとまらないというのも、一種の暴走であり。暴走というのは誰か死者が出て、マスコミが大騒ぎするまで止まらないんですよ。下手すりゃそれでも止まらない。

 教師達は自分達の評価を得るために生徒に無理難題を強いているだけで、生徒自身に社会的自律判断能力をつけさせようなどとは一切考えが伴ってはいません。学力への異常執着も同様です。進学率という評価を得るためだけに学力競争を強いた結果、その学力成績が社会から評価を得られなかった場合には簡単に無差別殺人犯になったりすることは珍しいことではありません。

 学校にいる間なら教えられたことだけ出来れば数値評価されますけど、社会に出れば教えられていないことを自分で考えてやらなきゃいけないことの方が圧倒的に多いんです。だから学力が高いだけのキチガイっていうのが時折出てきますけど、これって教育として無責任極まりないことなんですよ。いわば無差別殺人犯を作り出しているようなものですからね。

 無差別殺人犯というのは、現象としては一角に過ぎません。ハインリッヒの法則に鑑みてみれば、その何百倍も危険な人物が存在しているからこその「結果」ですから。危険人物の「層の厚み」があるからこそ無差別殺人犯という極端な事象にまで発展しちゃうんです。



 日本人の「文化」として、「無理強いをしておけば強くなる。」という勝手な妄想がありますけど。無理強いをして強くなるなら、何で日本人は多数派迎合性が激しいんですか?。多数派に迎合して権威に服従することは「強い」ことなんですか?。

 それとも何ですか、モンスターペアレント的に怒鳴り散らすことが、人間として「強い」ことだとでも言うんですか?。バカげた観念に迎合しておいて「強い」もすったくれもないんですよ。

 ああ、腹立つ。



 学校教育っていうのは、これからの社会を築いてゆく人間を育てる場所であって、その場限りに学力成績だの曲芸のレベルを競う場所じゃないんですよ。

 今まで学校という場所が人間性を育んでこなかったからこそ、原発の危険性は放置され、危険ドラッグだのプラッチック拳銃だのに手を出すバカが増えるんです。

 無差別殺人犯とか原発の危険性放置というのは、自律のない者の一角に過ぎません。無差別殺人犯とか自律的に社会的責任を負わない者が無尽蔵にいるからこそ、何度も無差別殺人とか原発事故のような重大事象へと発展しちゃうんですよ。

 例えばオリンピックで凄い技を見て「感動」したからって、その「感動」だけを根拠に大人の都合で生徒に無謀な危険行為を強いて良い理由になんかならないんですよ。アスリート達っていうのは自分自身の選択に基づいて自己責任で危険な技に挑戦しているのであって、学校教育で危険行為を強いるのは本末転倒、言語道断というものです。

 それこそ、子供達自身が有志を募って部活としてやるとしても、教師は安全を最優先に無茶させないよう指導する立場でこそあれ、その逆のことをやってどうする。

 バカだろ。

 こういった事象というのも、ハインリッヒの法則から見れば氷山の一角でしょう。

 そもそも教師が生徒に無理強いをすることこそが教育だと思っているからこその芸当であって、教師の意識の低さを表す現象の一つに過ぎません。

 ヒトという種の生物は、先天的に権威に服従したり、多数派に迎合することこそが「素直」だという錯覚に陥る習性があります。しかし、これらの錯覚は権威への服従や多数派迎合に対する気分的安心満足からくる身勝手な妄想だということを認識する必要性があるのです。

 気分的安心満足というのは、脳の先天的思考バイアスであり、予め決まった行動習性を促されているに過ぎず。そもそも先天的な脳の行動バイアス自体には、自己の主体的選択が介在する余地がない以上、そんなものは自由意思でも目的でもないことを、ヒトの多くは何ら認識していないのが根本的に大間違いなんです。

 「オリンピックのアスリートすげーな、うちの学校でもやらせよう。」なんていう安易で短絡的動機で生徒に危険行為を強いるような教師しかいない現在の学校体制こそが問題なのであって。「人間ピラミッド」だけやめさせれば良いという話でもありません。

 規制とか制限で行動を縛るというのは、他律強制であって。そんなものに依存していなければ自律的には暴走が止められない頭の悪さの方をなんとかしなければならないのです。安倍首相が「規範意識でイジメをなくす。」なんて言ってママしたが、規範意識っていうのは他律強制であって、こんなものは表面的に見えなくなるだけで、根本治療にはつながらない。

 イスラム国で暴れている連中なんかも、目先の欲望が満たされることこそが自由だと思っているから、持続可能性も社会安全性もない活動で満足しているんですよ。あいつらにとっての「規範」なんて暴力だけでしょ。

 イスラム国みたいな暴力で社会は変わりません。暴力が支配する社会なんていうのは、むしろ中世の時代へと後退しているだけであって、何の進歩にもなってないでしょ。こういうことは学校で歴史書を丸暗記させても自分からは「理解」することは出来ないのが学力成績というものの数字トリックです。

 流暢にスラスラ丸暗記したことをしゃべっていれば、あたかも頭が良いかのように一般大衆は錯覚するでしょうけど、それは大衆迎合を目的とした一種のトリックに過ぎません。一般人の多くは言っている内容よりも、雰囲気とか自分勝手な気分だけで相手を評価する習性がありますけど、それこそが傲慢というものだということに誰も気付かないのは、もはや先天的病気のようなものだと言えるでしょう。

 一時期流行ったでしょ、「人は見た目が9割」っつう話。中身なんて見てないのがヒトなんですよ。

 ヒトは先天的疾患として、自分の危険性を認識しずらいものだということに基づいて、物事を判断する必要性があるのです。

 ヒトという種の生物は危険なんですよ。それは気分的な安心とか満足とは無関係なものだということを踏まえて「考え」なきゃいけないものなんです。

 「思い」の強さ、強度程度だけで行動が左右されていて、自由意思なんかありゃしないんです。

 振り込め詐欺に騙されるのも、要は気分感情が行動に直結しているから騙されるんですよ。パニックになると簡単にヒトは論理検証性を失う。感情の強度程度が行動選択と直結しているからこそ、暴力団の資金提供に応じちゃうことになる。詐欺にカモられることは、暴力団の片棒担いでいるのと一緒であって、ちいとも「良い人」なんかじゃないんですからね。

 だから「愚かなことは罪」なんですよ。神様から罰が与えられるからじゃありません、社会的に迷惑だからです。




Ende;