科学理論的な真理というものは 言うなれば「真面目な話」なので 必ずしも気分が良くなるわけではない
しかし 逆に科学理論を逸脱した「不真面目な話」の方がセンセーショナルであり 大衆や文科系マスコミの脳が酔っ払って多数人気が集まったりする
哲学というのは 本来妖怪だの悪霊の話を信じて騙されないようにするためのものなのだが
大衆の多くは非科学的オカルト話の方に傾倒してしまう習性がある
「脳が酔う」とは何か それは脳内麻薬の快楽が促す思考や行動のバイアス(偏り)のことである
酒を呑んで気分が良くなったからといって 頭が良くなるわけでもなければ 科学的真理の追求になるわけでもない
気分というバイアスによって ヒトは論理的思考を阻害され 真理を簡単に見失う
ヒトの脳というのは そういう風に出来ている
ヒトの脳というのは ヒト以外の霊長類と基本的構造は同じであり 霊長類でなくともネコやイヌの感情とも共通する部分があり ヒトの脳というのは別に人間として常に論理的思考判断に基づいて機能する仕組みがそなわっているわけではない
ヒトでありさえすれば 自動的に常に人間性や倫理が機能するわけではない
脳の最も基本的なバイアスは常習性である
「馴れる」「ハマる」「癖になる」といった性質は 全て脳内物質ドーパミンが持つ常習性によって促される
これは「学習」の基本的メカニズムでもあり 人工知能における機械「学習」はこれを模倣したものである
機械「学習」というのは 予め答えの判っている問題を大量に与える必要があり 何が正解なのかを予め決めておく必要性がある
こうした機械学習の構造上 正解そのものは論理的に判断することは出来ない
正解は与えられるものであって 正解そのものは自発的には選択しないし そもそも出来ない
一説に拠れば 「現在のAIはバクテリア程度の知能しかない」とも言われている
「バクテリアに脳なんか無いだろう」と思われるかも知れないが 粘菌が迷路の最短ルートを探し出すのと同じようなメカニズムだと思ってもらえば良いだろう
バクテリアは何も考えてなどいないのだが 結果的に手で入力したプログラムでは困難な「巡回セールスマン問題」をもエレガントに解いてしまう可能性もある(←これ間違えてるかも)
それならスーパーコンピューターよりも粘菌の方が優秀かと言えば 特定の問題を解く上においては粘菌の方が効率が良いというだけの話であって ごく限られた条件下だけで有利だからといって全ての条件下で常に優秀であるわけではない
ヒトがなぜ論理思考をするのかと言えば 論理的予測をしないと取り返しがつかないことがヒトにはあるからだ
機械にはそれがない もしあっても機械にとってはどうでもよい事柄でもある
ヒトは一旦脳が酸素不足に陥り機能を失うと取り返しがつかない
脳でなくとも 腕や足など身体の一部が切り落とされてしまうと元に戻すことが出来なくなり 生活に著しい支障をきたすことを知っているため そうした事態を避けるために論理思考によって事態を予測するのである
ヒトの場合 日々の生活は他者との関係があってこそ効率的に成立するため 自分以外の関係者に障害があっても自分の生活に影響を及ぼすため 関係他者の安全も同時に求めることになる
しかし 機械(AI)にはそれがない
そのため Twitter上でヘイトスピーチを「学習」してしまうと 社会安全性など一切配慮せずに ヒトの多数派に同調してヘイトスピーチを始めてしまう
ヒトでありながらヘイトスピーチを始めてしまうというのは 脳がバクテリア程度しか機能していないからでもある
野生生物にとって 暴力破壊は生存にとって有利に働くことが多い
野生生物がおしなべて狂暴なのは このためである
「怒り」という感情(行動バイアス)に任せて暴力破壊を行うことが 過酷な自然環境下においては生存にとって有利であり 結果的に暴力的狂暴性というものが先天的に残り また それが快楽として行動を促す構造にもなっている
司法が刑罰判決で「解決」だとみなして それ以上の何も検証調査をしないのは 罰さえ決定すればヒトの脳は満足し 思考停止に陥る習性があるからだ
動物の多くは恐怖を感じると噛み付いたり爪で引っかいたりして攻撃してくる
クマは非常に狂暴だが 同時に狂暴性というのは臆病ですぐ恐怖を感じるために発揮されるものでもある
クマはとても臆病なのである
狂暴な動物ほど臆病なのである
カピバラは全然臆病じゃないでしょ ヒトが撫でてもゆったり温泉に浸かってたりする
シツケを間違えたイヌというのは 先天的順位欲が満たされない不安や恐怖にさいなまされているため 誰彼構わず吠え散らかし 噛み付こうとする
だから「臆病なイヌほど 良く吠える」のである
威嚇というのは捕食行動ではない
よくSF映画などで怪物が威嚇をしてくる場面があるが 野生動物は捕食の際に威嚇などしていたら失敗するだけである
むしろコソ~リと近付いて一気に襲う
威嚇というのは恐怖心が促す闘争回避行動に過ぎないのである
暴力や権力を用いて他者を抑圧しようとするのは 実は合理的根拠に基づくものではなく 他者を信頼出来ない恐怖心から否応なく促される動物的な習性によるものである
何せ 先天的習性であるため 権力や暴力で相手を抑圧しておくことが快楽であり 安心満足でもある
だからヒトは多数派や多数派によって承認された権威に逆らうことに恐怖を感じ 多数派や権威に同調迎合して何も考えないようにする
多数派同調バイアスが促す恐怖心によって ヒトは自律的論理検証を簡単に放棄する先天的習性がある
ヒトの脳というのは 別に自発的論理検証を優先する構造原理にはなっていないからである
東京電力社内において たった一人で原発の津波に対する脆弱性を主張することは 別に先天的に安心満足感が得られるわけではない
自律的な社会的責任選択判断というのは 深い自発的理性によって促されるものであって 決して先天的本能習性が促すようなものではない
Ende;
しかし 逆に科学理論を逸脱した「不真面目な話」の方がセンセーショナルであり 大衆や文科系マスコミの脳が酔っ払って多数人気が集まったりする
哲学というのは 本来妖怪だの悪霊の話を信じて騙されないようにするためのものなのだが
大衆の多くは非科学的オカルト話の方に傾倒してしまう習性がある
「脳が酔う」とは何か それは脳内麻薬の快楽が促す思考や行動のバイアス(偏り)のことである
酒を呑んで気分が良くなったからといって 頭が良くなるわけでもなければ 科学的真理の追求になるわけでもない
気分というバイアスによって ヒトは論理的思考を阻害され 真理を簡単に見失う
ヒトの脳というのは そういう風に出来ている
ヒトの脳というのは ヒト以外の霊長類と基本的構造は同じであり 霊長類でなくともネコやイヌの感情とも共通する部分があり ヒトの脳というのは別に人間として常に論理的思考判断に基づいて機能する仕組みがそなわっているわけではない
ヒトでありさえすれば 自動的に常に人間性や倫理が機能するわけではない
脳の最も基本的なバイアスは常習性である
「馴れる」「ハマる」「癖になる」といった性質は 全て脳内物質ドーパミンが持つ常習性によって促される
これは「学習」の基本的メカニズムでもあり 人工知能における機械「学習」はこれを模倣したものである
機械「学習」というのは 予め答えの判っている問題を大量に与える必要があり 何が正解なのかを予め決めておく必要性がある
こうした機械学習の構造上 正解そのものは論理的に判断することは出来ない
正解は与えられるものであって 正解そのものは自発的には選択しないし そもそも出来ない
一説に拠れば 「現在のAIはバクテリア程度の知能しかない」とも言われている
「バクテリアに脳なんか無いだろう」と思われるかも知れないが 粘菌が迷路の最短ルートを探し出すのと同じようなメカニズムだと思ってもらえば良いだろう
バクテリアは何も考えてなどいないのだが 結果的に手で入力したプログラムでは困難な「巡回セールスマン問題」をもエレガントに解いてしまう可能性もある(←これ間違えてるかも)
それならスーパーコンピューターよりも粘菌の方が優秀かと言えば 特定の問題を解く上においては粘菌の方が効率が良いというだけの話であって ごく限られた条件下だけで有利だからといって全ての条件下で常に優秀であるわけではない
ヒトがなぜ論理思考をするのかと言えば 論理的予測をしないと取り返しがつかないことがヒトにはあるからだ
機械にはそれがない もしあっても機械にとってはどうでもよい事柄でもある
ヒトは一旦脳が酸素不足に陥り機能を失うと取り返しがつかない
脳でなくとも 腕や足など身体の一部が切り落とされてしまうと元に戻すことが出来なくなり 生活に著しい支障をきたすことを知っているため そうした事態を避けるために論理思考によって事態を予測するのである
ヒトの場合 日々の生活は他者との関係があってこそ効率的に成立するため 自分以外の関係者に障害があっても自分の生活に影響を及ぼすため 関係他者の安全も同時に求めることになる
しかし 機械(AI)にはそれがない
そのため Twitter上でヘイトスピーチを「学習」してしまうと 社会安全性など一切配慮せずに ヒトの多数派に同調してヘイトスピーチを始めてしまう
ヒトでありながらヘイトスピーチを始めてしまうというのは 脳がバクテリア程度しか機能していないからでもある
野生生物にとって 暴力破壊は生存にとって有利に働くことが多い
野生生物がおしなべて狂暴なのは このためである
「怒り」という感情(行動バイアス)に任せて暴力破壊を行うことが 過酷な自然環境下においては生存にとって有利であり 結果的に暴力的狂暴性というものが先天的に残り また それが快楽として行動を促す構造にもなっている
司法が刑罰判決で「解決」だとみなして それ以上の何も検証調査をしないのは 罰さえ決定すればヒトの脳は満足し 思考停止に陥る習性があるからだ
動物の多くは恐怖を感じると噛み付いたり爪で引っかいたりして攻撃してくる
クマは非常に狂暴だが 同時に狂暴性というのは臆病ですぐ恐怖を感じるために発揮されるものでもある
クマはとても臆病なのである
狂暴な動物ほど臆病なのである
カピバラは全然臆病じゃないでしょ ヒトが撫でてもゆったり温泉に浸かってたりする
シツケを間違えたイヌというのは 先天的順位欲が満たされない不安や恐怖にさいなまされているため 誰彼構わず吠え散らかし 噛み付こうとする
だから「臆病なイヌほど 良く吠える」のである
威嚇というのは捕食行動ではない
よくSF映画などで怪物が威嚇をしてくる場面があるが 野生動物は捕食の際に威嚇などしていたら失敗するだけである
むしろコソ~リと近付いて一気に襲う
威嚇というのは恐怖心が促す闘争回避行動に過ぎないのである
暴力や権力を用いて他者を抑圧しようとするのは 実は合理的根拠に基づくものではなく 他者を信頼出来ない恐怖心から否応なく促される動物的な習性によるものである
何せ 先天的習性であるため 権力や暴力で相手を抑圧しておくことが快楽であり 安心満足でもある
だからヒトは多数派や多数派によって承認された権威に逆らうことに恐怖を感じ 多数派や権威に同調迎合して何も考えないようにする
多数派同調バイアスが促す恐怖心によって ヒトは自律的論理検証を簡単に放棄する先天的習性がある
ヒトの脳というのは 別に自発的論理検証を優先する構造原理にはなっていないからである
東京電力社内において たった一人で原発の津波に対する脆弱性を主張することは 別に先天的に安心満足感が得られるわけではない
自律的な社会的責任選択判断というのは 深い自発的理性によって促されるものであって 決して先天的本能習性が促すようなものではない
Ende;