書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ロボット放火犯。

2019年02月08日 19時02分45秒 | 日記
ロボット掃除機が電気ストーブを移動させちゃって

ソファーなどが燃える事故があるそうな


 -朝日新聞

ってか障害物を避けたりしないのかよ



 ◇追記:そういやブラーバジェットって液体吐き出すけど

コンセントや家電製品にぶっかけてショート炎上とか起きないのかしら

ブラーバがルンバ壊したらオモロいんだが(悪趣味)



 ◇追記2:センサーで障害物を避けることは当然としても 車輪が電気製品のコードを巻き込んじゃったりするのを避けるためには 車輪駆動モーターにかかる電流負荷を測定していればAIで異常検出出来るんじゃなかろうか

ヒトの場合は何かが足に絡めば大抵気付くわけで ヒトって物凄いセンサーの塊みたいなものだと言えるので 今のロボットと較べたら圧倒的に高性能だと言える

そのヒトの性能を有効に活用出来ないのは勿体ないな

あらゆるヒトの性能を有効活用できれば 本当の意味(利己的儲けではない意味)での効率につながるんだと思う



Ende;

○見えていないということ。

2019年02月08日 14時38分28秒 | 意識論関連
犯罪者が刑務所で罰を受けるだけではなく 犯罪者の家族親類までもが社会的な排除を受けることが非常に多いという

これは ヒトに普遍的に見られる懲罰感情という先天的習性が促す行動結果なのだが

真の意味での社会防衛の観点からは むしろ犯罪者を育ててしまった親がどのような育て方をしたのかは犯罪の再発防止において極めて重要な情報になるはずであり

社会的排除などの「私刑」はこれを阻害することにしかならないのである

犯罪者が育つ環境に共通点が見つけられれば 犯罪者が発生する可能性を大幅に下げられる可能性が出て来る

こうした合理的対策というものを ヒトという種の生物は先天的に嫌う性質がある

これもまた ヒトという種の生物における「人間としての欠陥」なのである

ヒトという種の生物は 先天的には「人間」ではない

先天的本能習性だけでは人間としての社会性 人間としての自律的な社会的責任判断が一切保証されていないからである

ヒトという種の生物は 先天的に権威などの誰かを盲目的に信頼することで 安心して統率的協調行動を採る習性がある

こうした先天的な社会形成習性というものは ヒトに限らずイヌにもハダカデバネズミにも 鳥類やハチやアリなどの哺乳類以外の生物にも見られる性質であり これらは別に個体が意図目的のために能動的に選択した性質ではなく あくまで偶発的に獲得した性質が生存にとって有利に働いたという「結果」以上の意味はない

ヒトが統率協調的に深夜の渋谷で軽トラを転覆させられるからといって これが短絡的に人間性の論証になどなるわけがないのである

ましてや チンパンジーが酒を盗み呑みしたことを「業績」であるかのように言い張るのは もはや松沢哲郎の頭がイカレているだけであり そんな話を鵜呑みにしている生物学者達もマスコミも同罪である

「どこそこの名門大学のお受験に合格する育て方」だの「世間的成功をするための育て方」には大衆は飛びつきたがるが これは利己的な欲求を基準にした誘導に引っ掛かっているだけであって それが人間性に基づく社会安全性につながるわけではない

社会が安全でないことには あらゆる欲望は意味を為さない

社会安全性というのは あらゆる欲求の最もベースにあるべきものであって 安全性を後回しにして目先の利益や快楽幸福ばかりを利己的に追求しているからこそ 社会安全性が失われることになるのである

社会安全性の観点から見れば 子供の育て方において最も重要なのは「犯罪者にならない育て方」である

たとえ法的に違法でないとしても 自律的な社会的責任判断を出来る人間性なくして社会安全性など成立するわけがないのである

犯罪者を育てない社会を作り出すためには 懲罰感情という目先の先天的欲望に惑わされず あくまで科学的検証を優先する理性こそが重要なのであり

「犯罪者や親族は社会から排除してしまえ」という短絡的行動もまた社会的無責任行動なのである

自分が何をしているのかを認識していなければ 何が本当に無責任なのかを認識することも出来ない



Ende;

○タイトルとか考えるの面倒臭い。

2019年02月08日 13時45分54秒 | 意識論関連
例えば 草食動物の逃げ足が速く進化する過程とは

とにかく天敵に襲われたら逃げ回ることで 逃げ足の遅い個体から喰われていなくなるという淘汰圧力が数千万年かかり続けることで 足の速い個体だけが生き残ることになる

この進化過程においては 個体の意図目的は何ら影響を及ぼすことはない

逃げる個体の恐怖心というのは 意図目的ではなく 単なる行動バイアスであって 恐怖心の強度程度と足の速さは直接関係がなく どんなに強く「逃げたい」と思ったところで先天的に足が遅ければ喰われ それほど強い感情を伴わなくても先天的に足が速ければ逃げ切れるわけで スポーツにおいても恐怖心や焦りを伴わずに冷静になることの方がより高い能力を発揮することが知られている

感情的ヒステリックに怒鳴り散らしても 具体的な効果は何もないのである

情動が促す恐怖心のままに逃げ回りさえすれば進化は促されるのであって 「子供の逃げ足が遅いからナントカしよう」とかいう合理的考えなんぞ介在する余地はない

進化というのは合理性に基づいた意図意識的能動選択が介在する必要性も また 介在する余地もない

遺伝的進化によって残された性質が特定の結果において有利であるとしても その性質が常に永久に有利な結果をもたらす保証は何もなく むしろ環境変化に対応出来なくなる原因となることも充分にある 

 ◇

ヒトの脳が肥大化したのは 幼形成熟が進んだためだと言われているが

ヒトの祖先のサルが「脳を大きくしよう」として外見の幼い配偶者を選択したわけではなく たまたまロリコンのサルが見た目の幼い個体に性的興奮をして繁殖した結果 偶発的に脳の肥大という結果に結びついただけである

ロリコンとは言っても 本当に年齢の幼い個体との配偶関係を結んでも脳の肥大化は起こらず あくまで充分に成熟して繁殖能力を持った大人になっても見た目が幼く頭が大きい個体との配偶関係が必要となる

しかし 本能習性としての外見的幼児に対する性的欲求自体には目的がないので 「繁殖能力もない幼女を犯して殺害する」などという訳のわからぬ行動をも引き起こすことが結構ある

繁殖行動バイアスというのは とにかく「ヤリたいだけ」なので 合理的目的などどうでも良いのである

「幼い女子に食べられたい」などという ド変態漫画家も時折いるが 欲求自体は自己選択不可能なものなので 漫画などの芸術表現分野であれば社会的には問題はなく 判断力の未熟な子供の目に触れないような制限さえあれば良いのである

むしろ 「男ってそういうド変態性もあるのね」っていう事実は 女子全般にも周知しておいた方が危険性回避の観点からは必要でもあろう

アグネス:チャン女史のように 頭ごなしに毛嫌いして表現の自由までも制限することは 逆に危険性の隠蔽にもなりかねない

 話が逸れた

とにかく 先天的本能習性というのは合理的目的に基づいて能動意識的に選択したものではなく あくまで結果的に生存にとって有利に働いた性質が残っただけに過ぎない

これは つまり 理論的には先天的に組み込まれた本能習性自体には合理性はなく あくまで無意識な行動バイアス以上の意味がないのである

進化万能論者であれば 「無意識な行動バイアスであろうとも 淘汰圧力によって無駄な行動を採る個体種がいなくなれば遺伝的進化は促される」などと言うかも知れないが それは大量の死を伴う膨大な無駄の上に成り立つものであり合理性もヘッタクレもあったものではない

だからこそ優生学を鵜呑みにすると600万人ものユダヤ人殺害という野蛮行為をも生み出してしまうのである

遺伝的進化というものは あくまで自然界における過酷な生存競争の「結果」であって 別に合理的に「目的」選択したものではない



 ◇ ◇ ◇



ムスリム(イスラム教徒)は「私は神以外の何者も怖れない」と主張することがある

恐怖心に随(したが)ってしまうと暴力者への服従独裁に陥るヒトの習性に基づいた預言者ムハンマドの方針であろう

暴力者に服従してしまうと恐怖を用いた一方的独裁に陥る

すると 順位序列という名の差別格差が正当化され個人の人権が蔑(ないがし)ろにされてしまう

学校でのイジメというのは 先天的な統率服従の習性が作り出す封建的服従システムの結果である

ヒステリックに怒鳴り散らし 複数で同調して個人を暴力的に攻撃している集団に対し それ以外の大多数の他者は「関わりたくない」ので傍観放置することに陥りがちである

差別イジメに対して異議なんぞ唱えようものなら 今度は自分が標的にされることは明らかであるため 大多数の傍観者は沈黙するのである

こうした沈黙によって 暴力的集団の方は全能感覚を錯覚し 暴力的組織こそが自分の欲望の全てを叶えられる自由だと勘違いし より暴力的組織を追求して暴力団やISILに憧れるようになる

暴力的独裁が支配する社会というのは 持続可能性が極めて低い

イジメがエスカレートすれば殺人にまで発展することもあるように 暴力的独裁状態というのは 実は独裁をしている側も恐怖心で独裁をしているため 歯止めがかからないのである

チェ:ゲバラのように暴力的独裁に疑問を抱き 民衆の自由を目的とした独裁であれば暴力的支配にはならないが こうした独裁というのは極めて稀であり また 世代が代わってしまうと変質を招くことも多い



暴走というものが なぜ起きるのかと言えば 先天的に脳に組み込まれた行動バイアスによって促される感情 恐怖や不安といった無意識によって 人間本来が持っているはずの本質的な意識である自発的論理検証性という歯止めブレーキが効かなくなるからである

これは一種の病である

「ヒトという種の生物」としては先天的本能習性が機能している点において ある意味「正常」であるとも言えるのだが 社会安全性への配慮を伴う「人間」としては著しい欠陥であり 病気である

イジメというのは 学級内では普遍的に発生するものであり 「ヒトの習性」と言って差し支えないのだが それなら科学的には「ヒトという種の生物は先天的に人間性が欠落しているものである」という帰結に至る方が正しい判断である

TwitterなどのSNS上では マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを「学習」してしまう程に差別というものが蔓延していることからも ヒトという種の生物は大多数が差別をする習性の証明である

ヒトという種の生物は 中東由来の一神教の神が作ったものでもなければ 現在の進化生物学における進化万能論の神による合理的なものでもない

ただの「結果」に過ぎない

ただの結果に過ぎない先天的本能習性のままに行動していれば 深夜の渋谷で泥酔して軽トラ転覆させて喜んだりするだけである

それを「社会が悪い」「時代が悪い」などと言い出すのは論理的には嘘に過ぎず 人間としての「自律」的な社会的責任判断選択の放棄を正当化するための言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかし開き直りにしかならない

時折「先天的本能習性には逆らえない」などと言い出すバカもいるが 論外である

子供の前にケーキを置いて 「食べてはいけませんよ」と約束しておいて部屋に一人で放置した場合に 子供が欲望を抑え切れなかったことを正当化しているようなものである

幼稚過ぎて話にならん

殺意しかわかない 幼児なら致し方ないが 大の大人が言うことではない



では 目的とは何か それは社会的には安全性の追求であるが

なぜ安全性を追求するのか その動機としては個人が主体的に選択した純粋行為に基づくものである

自分が主体的に好きで 楽しみとして続けたいと思っていることがあれば 自ずから社会が安全であることを望むのは必然だからである

本当の純粋行為には 他人からの評価や報酬は必要がないため「自分の生活のために原発の津波に対する脆弱性を無視する」ような無責任な行為もしなくなるのである

外見上禁欲的に見えるとしても 当人的には純粋行為だけで充分満足しているので 他人からの評価報酬は特に必要がないのである



大多数の大衆は「人間性というものは他者との関係性における抑圧によって形成されるものである」という錯覚をしているフシがあるのだが 他者の顔色を窺っている時点で「自律」ではない

自律を伴わないものに人間性など成立しないのである

動物的習性のように環境条件によってフラフラ影響されてしまっていたのでは人間性も倫理もスッタクレもありゃしない

大多数に同調したからこそナチス政権は暴走したのであり 帝国日本軍は明らかに勝算のない戦争を始めてしまったのであり 多数派同調や超自我のような無意識的抑圧は多数派の前では役に立たない

「多数派」とは言っても 学級内でのイジメ同様に 実際に暴力的独裁を実行しているのは本当は少数派であるのだが 暴力的少数派というのは個人を個別に攻撃することで個人の観点から感情的ヒステリックな強要により多数の傍観者を生み出し 事実上多数派の傍観者も含めた結果的「多数派」となるのであり

泥酔して軽トラ転覆させるような集団に対して 多数の人は止めるのが面倒臭いので放置する 下手にマトモな主張などしても泥酔したバカ集団は警察にでも任せておいた方が賢明だと言えるだろうが

だが 原発の津波に対する脆弱性放置に関しては話が違う 自分の生活を犠牲にしてでも自律的に社会的責任判断を行う必要があるからだ

学生時代にイジメなどのヒトの先天的欠陥を傍観放置することに馴れて「学習」してしまえば 権威や多数派には逆らわない方が賢明であるという価値観を植え付けられてしまうことになり これが多数派迎合性や同調圧力を醸成し 権威への服従性をも作り出してしまうのである

こうした子供時代の成育環境によって植え付けられた行動バイアスを 大衆観念上では日本人の「文化」と形容するのである

実際には理論的には明文化されていなかったので 理論的には「文化」ではなく 単なる因習連鎖でしかないものを 文科系大衆観念上では「文化」と分類するのである

こうした大衆観念上の言葉の不適切な用法というのは他にも山ほどあり 他人からの見た目を「自意識」というものが本質的な人間としての意識を意味していないというのも一例である

精密に検証するという「考え」が働いていれば 論理的根拠のない実証不能の観念に囚われることもないはずなのだが 幼少期から馴れて「学習」してしまった価値観というのは強力な安心と同時に不安や恐怖も植え付けられているため 精神的ヒステリー(心理拘束)によって自律的判断能力を喪失することにもなる



Ende;

○盲目の構造。

2019年02月08日 12時29分02秒 | 意識論関連
最高裁判所の建物ってキリスト教の教会に似ているなって思ったのさ

どちらも合理的根拠がないことを正当化するために 非日常的な空間をこさえて尊大風味な演出をしてヒトの脳を思考停止に陥れるための舞台演出装置が必要になる

「神に祈ってさえおきゃ全ては解決」的に「罰さえ与えりゃ全ては解決」だってことにしておくためには 過剰なまでの演出によって大衆の思考を停止させておかにゃならんわけだ

大衆の多く ヒトという種の生物の多くは 平和な日常に「慣れて」しまって普通であることの大切さを簡単に忘れてしまう

道端に咲く小さな名も知らぬ花が咲いていることの素晴らしさを忘れ

平和であるという普通で平凡であることの尊大さを忘れてしまい

裁判所だの教会といった人工的演出に脳を酔わされることだけでしか感情が動かなくなる

それは 脳の常習性が作り出される「学習」能力によって 目の前の平穏の尊さを「感じ」なくなるからである



ヒトの多くは 無意識にも「自分は神的なものによって作り出された偉大な存在か何か」だと勝手に勘違いしているため 自分が「感じ」ないものには意味がないと錯覚するようになる

自己の脳に先天的に組み込まれた感覚的感情を絶対的な価値観であると妄想しているのである

それこそが世界の全てだと勘違いしているのである

だから「司法による刑罰判決さえ下されれば全ては解決した」と思考停止し

実質的には犯罪の再発防止に対する合理的且つ有効な対策が社会制度として存在していないという現実すらも見失う



脳の視覚野を脳梗塞などで損傷した患者の中には 半側無視という症状が現れることがある

視界の片側が見えていないことを認識できず あたかも全ての視界が見えているかのような錯覚を生じているために 目の前の食事を半分だけ食べると「全て食べ終わった」と勘違いするようになることがある

「見えていないことを認識出来ない」のはなぜか

それは「自分は全ては見えているはずだ」という思い込み 正常性バイアスによって作り出されるのである

正常性バイアスというのは 振り込め詐欺に騙される場合にも働く脳の先天的習性であり ヒトの脳に普遍的に見られる一種の欠陥である

振り込め詐欺に騙される被害者の大半は 「自分だけは絶対に騙されない」という論理的根拠のない確信があると言われる

「自分は もしかしたら見えるはずのものが見えていないのではないか」と思い始めると 気分的に不安に陥るため この不安を解消する形で「いや 自分は全て見えているんだ」という決めてしまうことで 見えていないものの存在を「無かったこと」にしてしまうのである

「自分の気分が良くなること」=「絶対的に正しいこと」という方程式は 自己の存在の全てを自己自身で全て把握できているという全能感覚に基づく身勝手な思い込みである

主観的に気分が良いことと 論理客観的真理は同じではない

その区別が出来ないから 「自分は全て見えているはずだ」という慢心に陥るのである



自己の脳の構造は 自己で選択したものではない

脳の構造を決定している遺伝子は自分では選択していないからだ

自分の脳の構造というのは 祖先(ヒトとは限らない)がどのような行動を採ることで結果的に生存に至ったのかすら もはや闇の中であり 如何に無責任で乱暴な行動によって生存に至ったのかはもはや検証のしようがないのである

誰彼構わずヤリまくることが結果的に「遺伝子を残す」ことに至った可能性は充分にあるが それは「結果」的なものであって 「結果」に過ぎない先天的習性を合理的「目的」行動選択だと言い張るのは 科学を逸脱した宗教的妄想に過ぎない

ボノボが興奮して誰彼構わずケツを振ることで感情的に満足し 暴力性を抑えることが出来るからといっても ボノボ自身が「自分の暴力性を抑えるために選択した」行動ではなく たまたま暴力性を抑える行動に結び付く習性を持ったことが生存にとって有利に働いただけに過ぎず 先天的習性が偶発的に生存や種の保存にとって有利に働いたとしても その生物種が意識的に合理性に基づいて目的行動選択したことの証明には一切ならないのである

先天的本能習性によって促される行動が特定の結果において有効だからといっても 先天的本能習性の全てが常にあらゆる正しい行動に導いてくれる論理客観的保証など何もないのである

それは認識の段階から言えることであり ヒトの脳には先天的盲目性があるために意味のない因習や論理的根拠のないオカルト観念を信じ込んで疑わなくなることで

ヒトは様々な「暴走」を引き起こすのである



ヒトの身体が どんなに生存にとって有利なメカニズムを持っているとしても その全てが常に生存にとって有利であることの論理的証明にはならない

実際塩分や脂質や糖を過剰摂取してしまう先天的習性故に 多くのヒトは生活習慣病に陥るのであって 特定の効用だけをどんなに大量に抽出してきても 先天的性質の全てが常に絶対に正しい結果をもたらす論証には全くならないのである

だから「白いスワン(カール:ライムンド:ポパー)」の例えというのは 科学的に非常に重要なのである



Ende;