書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○無駄な努力。

2019年02月19日 14時50分38秒 | 意識論関連
遺伝的な進化の過程というのは のべつまくなし突然変異を繰り返すことで偶発的に起こるものだが

突然変異というものには方向性も目的もない それは同時に変異が常に進化にとって有利に働く保証もない

暴力的集団組織による虐殺というのは十字軍 ナチズム ポルポト ISIL 挙げればキリがないが 何度大量虐殺を漫然と繰り返しても理論的な原因究明による再発防止策を立てなければ 何度でも似たような「失敗」は歯止めが効かないのである

集団暴力というのはヒトの先天的習性であり 子供だけで放置しておけばイジメ差別は自然発生するものでもある

遺伝的進化をしない前提において 社会進歩に必要なのは のべつまくなし「失敗」を繰り返すようなドーキンスの妄想ではなく 「失敗」の原因を論理的且つ科学的に検証し 具体性のある再発防止策にまで辿りつく必要がある

それは決して自動的自然に起きるのではなく あくまで意識的(自律的論理検証的)目的行動選択が伴わないことにはどうにもならない

ヒトの多くはオーガニック幻想のように 自然に 自動的に 先天的に気分感情の赴くままに行動しておけば 何も考えなくとも全ては解決するかのような錯覚に陥れば安心し 満足して思考を停止する

ヒトという種の生物は このように先天的に「人間としては出来損ない」なのである

遺伝的には進化しない前提であれば 必要なのは先天的欠陥というハードウェアレベルのバグを 後天的な知識というソフトウェアレベルのパッチを充てることで人間社会の進歩に結び付けることが可能となるのである

 ◇

生物には目的がない

それは ヒトという種の生物自体にも当てはまることであり 犯罪者の多くは糞の役にも立たない不毛な行動で他人に多大な迷惑をかけることに邁進する

たとえ犯罪者でなくとも 無駄に温室効果ガスを撒き散らしたり 持続可能性のない無意味な異常執着に囚われ原発を暴走させたりする

ヒトとは そういうものである」と養老孟司は考える

それを大衆愚民は鵜呑みにして同調するだけである

ヒトとは そういうものである」というのは「考え」ではない

ただの「結果」を述べたに過ぎない

どんなに大量の「結果」を抽出枚挙したところで それが「目的」や「考え」になるわけではない

ヒトとは そういうものである」という結果に対して 何を目的としてどのような対策を施すのか それが「考え」なのである

ヒトの多く 大衆の多くは何も考えずに呆然と権威や多数派に同調して満足するだけである

こうした いわば客観的事実を突き付ければ大衆多数派からの人気は得られないことはわかっている

「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」的な嘘でも垂れ流しておいた方が金儲けにはなることも充分承知している

無責任な脳科学者のように「アレが脳に良い」「コレが脳に効く」的な嘘でも垂れ流しておけば大衆は満足するが 茂木健一郎の嘘で振り込め詐欺にカモられなくなるわけではないことも 既に充分立証されている

むしろ詐欺被害が拡大しているのは 脳科学者達が大衆を丸め込んで騙して金儲けをしているに過ぎないからである

澤口俊之は「養老先生は素晴らしい」などと形容したが 養老の著作に意味があると思っている時点で充分に科学者としてはポンコツ甚だしい

澤口は大量の学術論文を「知っている」だけであって その「質」については全く検証していないのである



ヒトの多くは 大量の知識をひけらかされると簡単に「この人は頭が良い」と勘違いする

クイズの正解率や学力偏差値を短絡的に知能だと錯覚する

クイズや学力試験というのは既に答えのわかっている問題を答えるだけであり 誰も気付かなかった間違いを指摘出来る能力の論証には全くならない

逆に ガリレオの地動説のように誰も気付かなかった間違いを指摘すれば火炙りにされかねないものでもある

養老の著作に人気があった理由とは 日本人大衆の固定観念にとって都合の良い精神論が正当化されたかのような錯覚を与える内容だったからである

安心して同じを求めれば良い

結局「安心」という気分の問題にすり替えただけである

のべつまくなしトンチンカンな観念を鵜呑みにしておけば 自動的(自然)に社会が進歩して安全性が高まるわけではない

ヒトという生物の天然由来の頭の悪さを認識し 欠陥に起因する間違いに陥らないようにする本質的な目的意識がないことには 社会の進歩など有り得ない

通り魔が出る度に死刑にしたからといって 通り魔が事件が起きなくなるわけではないし

テロが発生する度に軍事力で制圧しても同じである

バカなら何度失敗しても同じ間違いを死ぬまで繰り返すだけである

なぜ虐殺が何度も繰り返すのか それは ナチズムが形成されるメカニズムを正確に「理解」しておらず 本当の原因究明になっていないために 有効な再発防止策が全く立っていないからである

アウシュビッツ絶滅収容所の吏官を国際法廷で死刑にしても 虐殺の根本原因の究明と再発防止策には全くなっていないからこそ ヒトは虐殺を漫然と繰り返すのである

必死になって漫然と繰り返すのである

一生懸命ボーッと生きているのである

そういうのを「無駄な努力」というのである

「無駄な努力」というと 大衆の多くは「爬虫類研究者が砂漠の真ん中で一日中穴掘りをしても何も出てこない」ことだと勘違いしているが 「そこに目当てのトカゲがいないことがわかった」という科学的収穫はある

本当に「無駄な努力」というのは 理論的根拠もないのに気分的安心感だけを頼りに因習を漫然と繰り返すことを指すのである

「やってみないことには 出来るかどうかわからない」ことは やってみる価値は存在するが

「出来そうにないことは やらない方が良い」というのは 単なる怠慢や逃避に過ぎない

「出来そうかどうか」というのは主観であって 客観的論証には全くならないからだ

ヒトの多くは怠慢や逃避による思考停止の満足を「救い」だと錯覚する

諦めという安易な絶望によって 真理を放棄するのである

そういう どうしようもない残念な生き物なのである



Ende;
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