ミーム(MEME)というのはリチャード:ドーキンスが提唱した遺伝子以外の情報保存や進化を示す概念なのだが この分類では非科学的オカルト大衆観念まで含まれてしまうことになる
「のべつまくなし変異しておけば自動的に有効な進化が起きる」という進化万能論に基づいた「お伽話」の延長であることに違いはない
淘汰圧力による膨大な屍の上に成立する過酷な「進化」を正当化することは出来ない
遺伝的進化のメカニズムを遺伝的進化以外に適用したからといって そこに人間性や倫理が自動的に組み込まれるわけではなく あくまで「生存にとって有利」という結果しかもたらさないからだ
社会共産主義よりも資本主義の方が金儲けに長けて強大な軍備によって世界を支配したからといって それが短絡的に「資本主義の方が人間として優れている」ことの論証にはならない
◇追記:
遺伝的進化の過程については既に何度か説明しているが
突然変異と淘汰圧力による自然現象の結果に過ぎず 合理的な目的があるわけではない
遺伝的進化の過程というのは大量の犠牲(死滅による「失敗」)を伴うものであり
また 必ずしも進化に成功する保障もない
進化が成功するのも偶発的な結果であって 全てが失敗に終わる可能性も非常に高い「綱渡り」でしかないのである
こうした遺伝的進化のメカニズム構造は 単なる「生存」という結果以上の何ももたらすことはない
ほぼ人類が絶滅して わずかでも生き残った個体が進化しているのかどうかも何の保障もなく 単なる偶発的結果に過ぎなくても 誰も何の補償も担保してくれないのである
リチャード:ドーキンスによる「ミーム」という概念は「遺伝子以外の社会的進歩であっても自然現象に任せておけば自動的に進化する」という 何とも都合の良い妄想でしかなく 到底科学的真理とは言えないものである
のべつまくなし「変異」を繰り返し ナチスだのポルポトだのISILだのボコハラムだのといった暴走を繰り返しておけば自動的に人間性や倫理が成立するわけではない
「人間」社会の進化というのは 遺伝的進化のような自然現象ではなく あくまで本質的な意識的(自律的論理検証)「目的」行動選択によってのみ成立するものであって 先天的習性によって自動的に無意識に成立するような安易で短絡的でバカが満足するような簡単なものではない
ヒトという種の生物は遺伝的進化をしない前提においては 差別や暴力という先天的習性は永遠になくなることはなく 合理的根拠に乏しい宗教やイデオロギーを次々と変異させたところで人間としての進歩には至らないのである
ヒトという種の生物は 先天的本能習性という動物的行動バイアスが優先し 個人が自律的に論理的に検証するという理性が働かなくなるという「習性」自体は変わらないのである
人間社会としての進化が成立するためには 無意識な自然現象による「結果」任せで成立するような安易で簡単なものでは決してない
人間として 意識的 自律的な論理検証による「目的」行動選択が伴わないことには 人間性や倫理に基づいた社会的進化は有り得ないのである
生物学者達は「ミーム」などというドーキンスの妄想を持ち出すことで あたかも哲学的理解をしているかのように装っているが ドーキンスの妄想観念が40年の間に何かの役に立ったことなどなく 優生学の論理反証すらしていないのである
文科系大衆の多くはドーキンスの妄想観念程度で満足し その具体的内容に意味がないことまでは理解することが出来ない
何と残念な生き物であろうか!
Ende;
「のべつまくなし変異しておけば自動的に有効な進化が起きる」という進化万能論に基づいた「お伽話」の延長であることに違いはない
淘汰圧力による膨大な屍の上に成立する過酷な「進化」を正当化することは出来ない
遺伝的進化のメカニズムを遺伝的進化以外に適用したからといって そこに人間性や倫理が自動的に組み込まれるわけではなく あくまで「生存にとって有利」という結果しかもたらさないからだ
社会共産主義よりも資本主義の方が金儲けに長けて強大な軍備によって世界を支配したからといって それが短絡的に「資本主義の方が人間として優れている」ことの論証にはならない
◇追記:
遺伝的進化の過程については既に何度か説明しているが
突然変異と淘汰圧力による自然現象の結果に過ぎず 合理的な目的があるわけではない
遺伝的進化の過程というのは大量の犠牲(死滅による「失敗」)を伴うものであり
また 必ずしも進化に成功する保障もない
進化が成功するのも偶発的な結果であって 全てが失敗に終わる可能性も非常に高い「綱渡り」でしかないのである
こうした遺伝的進化のメカニズム構造は 単なる「生存」という結果以上の何ももたらすことはない
ほぼ人類が絶滅して わずかでも生き残った個体が進化しているのかどうかも何の保障もなく 単なる偶発的結果に過ぎなくても 誰も何の補償も担保してくれないのである
リチャード:ドーキンスによる「ミーム」という概念は「遺伝子以外の社会的進歩であっても自然現象に任せておけば自動的に進化する」という 何とも都合の良い妄想でしかなく 到底科学的真理とは言えないものである
のべつまくなし「変異」を繰り返し ナチスだのポルポトだのISILだのボコハラムだのといった暴走を繰り返しておけば自動的に人間性や倫理が成立するわけではない
「人間」社会の進化というのは 遺伝的進化のような自然現象ではなく あくまで本質的な意識的(自律的論理検証)「目的」行動選択によってのみ成立するものであって 先天的習性によって自動的に無意識に成立するような安易で短絡的でバカが満足するような簡単なものではない
ヒトという種の生物は遺伝的進化をしない前提においては 差別や暴力という先天的習性は永遠になくなることはなく 合理的根拠に乏しい宗教やイデオロギーを次々と変異させたところで人間としての進歩には至らないのである
ヒトという種の生物は 先天的本能習性という動物的行動バイアスが優先し 個人が自律的に論理的に検証するという理性が働かなくなるという「習性」自体は変わらないのである
人間社会としての進化が成立するためには 無意識な自然現象による「結果」任せで成立するような安易で簡単なものでは決してない
人間として 意識的 自律的な論理検証による「目的」行動選択が伴わないことには 人間性や倫理に基づいた社会的進化は有り得ないのである
生物学者達は「ミーム」などというドーキンスの妄想を持ち出すことで あたかも哲学的理解をしているかのように装っているが ドーキンスの妄想観念が40年の間に何かの役に立ったことなどなく 優生学の論理反証すらしていないのである
文科系大衆の多くはドーキンスの妄想観念程度で満足し その具体的内容に意味がないことまでは理解することが出来ない
何と残念な生き物であろうか!
Ende;