そこら辺にいる野良猫も 同じ猫科のライオン同様に他のオスの子供を殺すことがあるそうな
猫の研究者が言うには 「オスは自分の遺伝子を遺すために他人の子を殺す」というのだが
猫が「自分の遺伝子を遺そう」などと考えて行動しているわけではなく 考えて行動している証明もなく
あくまで結果的に自分の遺伝子が遺るような習性を持った個体への淘汰の結果に過ぎない
ヒトであってもメンデル以前には遺伝子という概念すらなかったにも関わらず ネコごときが「自己の遺伝子を遺そう」などという目的行動選択をするわけがないのである
ヒトの祖先のサルが 「脳を大きくしよう」という目的意識に基づいて配偶相手を選択して脳が肥大したと考えるのは無理がある
遺伝的進化というのは 別に合理的意図目的に基づいたものではなく のべつまくなし様々な性質に変異した後に生存にとって適していれば生き残るし 適していなければ死滅するだけである
死滅さえしなければ無駄であろうと残虐であろうと構わないのが遺伝的進化の過程であり 先天的行動習性が合理的意図目的に基づいたものである論理的証明はない
遺伝的進化の過程で生存に適さない変異が起きて死滅することがあっても 何の不思議もないのである
結果的に生存や種の保存に適した行動習性であろうと その行動を促しているのは合理的目的に基づいて選択しているわけではなく あくまで行動バイアスに促されて無意識に行っているだけである
ヒトは結果的に脳が肥大したことで合理的目的行動選択も可能になったが 必ずしも自律的論理検証に基づいた目的行動が伴わなくてもとりあえず先天的行動バイアスだけでも社会生活が可能であるため 先天的本能習性にも合理的目的が存在する意識の本質だと錯覚することが可能なのである
先天的行動バイアスだけでも とりあえずは習性としての社会形成習性だけで「社会的」行動は可能であり それはヒト以外のイヌでもネコでもハダカデバネズミでも可能な「社会形成習性」に過ぎない
だが 先天的本能習性としての「社会性」というのは決して合理的でも倫理的でもないので ネコによる子殺しも平気で起こるのである
イヌにおいても群れの中では子供が危険であるため メスは出産後暫くの期間群れから離れて単独で子育てをするという
先天的な習性というのは必ずしも合理的だったり倫理的に働く保証はなく 概ね生存や種の保存にとって結果的に有利に働きさえすれば良いだけであって 遺伝的進化によって絶対的最適化が成立しているわけでもないのである
寄生生物のロイコクロリデュームは宿主となるカタツムリと運命共同体であり カタツムリという宿主にとって不利な行動習性を採りながらもカタツムリが死滅すれば一緒に絶滅する自己矛盾な行動習性でもある
それでもカタツムリというのは充分に数が多いためにロイコクロリデュームが一定数以上殖えなければ絶滅を免れることが出来る
そもそも食物連鎖のピラミッドにおける頂点の肉食動物も 一定数以下の繁殖力しか持たないからこそ生態系が維持されるのであって 生態系というのは全てバランスの上に成り立つものであり
そもそも地上の生物の全ては地球環境下に依存したものであり それは見方を変えれば「地球に寄生している」と言っても間違いではない
生物学における生物の定義には「自立的に個体を維持出来る」というものがあるが 地球上のあらゆる生物は地球環境なくして自立的に個体を維持することは出来ないのであって 決して宇宙空間でも単独で個体を維持することなど出来ず 定義自体が理論的には成立していないのである
寄生生物というのは宿主も生存環境の一部として利用しているわけだが 寄生生物以外においても生物以外の環境なくしては存続不可能であることに違いはない
ウイルスも寄生だが 適さない宿主に寄生してしまえば宿主ごと自滅することもあり 変異が存続に適するかどうかを合理的に選択するメカニズムはなく あくまでのべつまくなし機械的に変異をするだけで 変異によって宿主と共存できるかどうかは偶発的「結果」だけに依存しているのである
配偶によって子孫に変異をもたらすメカニズムであっても全てが生存にとって有利に働くメカニズムがあるわけではなく 遺伝子の組み合わせは極めてランダムで機械的なものであり 何の意図目的も 合理性も存在しないのである
配偶というのは遺伝子のバリエーションを増やす結果をもたらすが そのバリエーションには合理性も倫理も介在することはないため 先天的疾患も生ずることがある
変異は遺伝的進化の過程において必要ではあるが 遺伝的進化にはそもそも合理的「目的」など存在しておらず あくまで「結果的に死ななかった」という結果以上の意味は存在していないのである
にも関わらず「遺伝的進化によって自動的(自然)に人間性や倫理が組み込まれる」などと生物学者達は言い張るが これは論理が飛躍しており 到底科学的論証には一切なっていない
大衆の多くは自然というものは常に安全で万能なものだという観念を抱いており オーガニックでありさえすれば絶対安全だと勝手に妄想し 気分的に安心する傾向があるため 遺伝的進化に対しても盲目的に信奉してしまうことになる
科学技術というのは生物進化の歴史からくらべれば失敗の経験数が圧倒的に少ないために 時折未知の危険性も知らずに「放射性物質のラヂウムをパンに練り込んで焼いて食う」という大失態をやらかすこともあるため「科学は危険」という観念を動物行動的に「学習」してしまいがちではあるが
天然鉱物であるアスベストもフグ毒のテトロドトキシンも天然自然の物質であって 科学物質だけが危険なわけではない
何が危険で何が安全なのかを検証するのは科学分析であって 観念的恐怖心だけでは本当の原因もわからず呪術や占いでどうにかなると本気で思い込んでしまうことになる
犯罪捜査に科学分析が用いられるのは 真実を見極めるために最も有効だからであり ヒトの勝手な思い込み観念こそが冤罪を生み出す最大の要因でもある
◇
それにしても猫って岩合光昭だけはなぜか警戒しないのね
どっちかっつうと むしろそれが一番の不思議
Ende;
猫の研究者が言うには 「オスは自分の遺伝子を遺すために他人の子を殺す」というのだが
猫が「自分の遺伝子を遺そう」などと考えて行動しているわけではなく 考えて行動している証明もなく
あくまで結果的に自分の遺伝子が遺るような習性を持った個体への淘汰の結果に過ぎない
ヒトであってもメンデル以前には遺伝子という概念すらなかったにも関わらず ネコごときが「自己の遺伝子を遺そう」などという目的行動選択をするわけがないのである
ヒトの祖先のサルが 「脳を大きくしよう」という目的意識に基づいて配偶相手を選択して脳が肥大したと考えるのは無理がある
遺伝的進化というのは 別に合理的意図目的に基づいたものではなく のべつまくなし様々な性質に変異した後に生存にとって適していれば生き残るし 適していなければ死滅するだけである
死滅さえしなければ無駄であろうと残虐であろうと構わないのが遺伝的進化の過程であり 先天的行動習性が合理的意図目的に基づいたものである論理的証明はない
遺伝的進化の過程で生存に適さない変異が起きて死滅することがあっても 何の不思議もないのである
結果的に生存や種の保存に適した行動習性であろうと その行動を促しているのは合理的目的に基づいて選択しているわけではなく あくまで行動バイアスに促されて無意識に行っているだけである
ヒトは結果的に脳が肥大したことで合理的目的行動選択も可能になったが 必ずしも自律的論理検証に基づいた目的行動が伴わなくてもとりあえず先天的行動バイアスだけでも社会生活が可能であるため 先天的本能習性にも合理的目的が存在する意識の本質だと錯覚することが可能なのである
先天的行動バイアスだけでも とりあえずは習性としての社会形成習性だけで「社会的」行動は可能であり それはヒト以外のイヌでもネコでもハダカデバネズミでも可能な「社会形成習性」に過ぎない
だが 先天的本能習性としての「社会性」というのは決して合理的でも倫理的でもないので ネコによる子殺しも平気で起こるのである
イヌにおいても群れの中では子供が危険であるため メスは出産後暫くの期間群れから離れて単独で子育てをするという
先天的な習性というのは必ずしも合理的だったり倫理的に働く保証はなく 概ね生存や種の保存にとって結果的に有利に働きさえすれば良いだけであって 遺伝的進化によって絶対的最適化が成立しているわけでもないのである
寄生生物のロイコクロリデュームは宿主となるカタツムリと運命共同体であり カタツムリという宿主にとって不利な行動習性を採りながらもカタツムリが死滅すれば一緒に絶滅する自己矛盾な行動習性でもある
それでもカタツムリというのは充分に数が多いためにロイコクロリデュームが一定数以上殖えなければ絶滅を免れることが出来る
そもそも食物連鎖のピラミッドにおける頂点の肉食動物も 一定数以下の繁殖力しか持たないからこそ生態系が維持されるのであって 生態系というのは全てバランスの上に成り立つものであり
そもそも地上の生物の全ては地球環境下に依存したものであり それは見方を変えれば「地球に寄生している」と言っても間違いではない
生物学における生物の定義には「自立的に個体を維持出来る」というものがあるが 地球上のあらゆる生物は地球環境なくして自立的に個体を維持することは出来ないのであって 決して宇宙空間でも単独で個体を維持することなど出来ず 定義自体が理論的には成立していないのである
寄生生物というのは宿主も生存環境の一部として利用しているわけだが 寄生生物以外においても生物以外の環境なくしては存続不可能であることに違いはない
ウイルスも寄生だが 適さない宿主に寄生してしまえば宿主ごと自滅することもあり 変異が存続に適するかどうかを合理的に選択するメカニズムはなく あくまでのべつまくなし機械的に変異をするだけで 変異によって宿主と共存できるかどうかは偶発的「結果」だけに依存しているのである
配偶によって子孫に変異をもたらすメカニズムであっても全てが生存にとって有利に働くメカニズムがあるわけではなく 遺伝子の組み合わせは極めてランダムで機械的なものであり 何の意図目的も 合理性も存在しないのである
配偶というのは遺伝子のバリエーションを増やす結果をもたらすが そのバリエーションには合理性も倫理も介在することはないため 先天的疾患も生ずることがある
変異は遺伝的進化の過程において必要ではあるが 遺伝的進化にはそもそも合理的「目的」など存在しておらず あくまで「結果的に死ななかった」という結果以上の意味は存在していないのである
にも関わらず「遺伝的進化によって自動的(自然)に人間性や倫理が組み込まれる」などと生物学者達は言い張るが これは論理が飛躍しており 到底科学的論証には一切なっていない
大衆の多くは自然というものは常に安全で万能なものだという観念を抱いており オーガニックでありさえすれば絶対安全だと勝手に妄想し 気分的に安心する傾向があるため 遺伝的進化に対しても盲目的に信奉してしまうことになる
科学技術というのは生物進化の歴史からくらべれば失敗の経験数が圧倒的に少ないために 時折未知の危険性も知らずに「放射性物質のラヂウムをパンに練り込んで焼いて食う」という大失態をやらかすこともあるため「科学は危険」という観念を動物行動的に「学習」してしまいがちではあるが
天然鉱物であるアスベストもフグ毒のテトロドトキシンも天然自然の物質であって 科学物質だけが危険なわけではない
何が危険で何が安全なのかを検証するのは科学分析であって 観念的恐怖心だけでは本当の原因もわからず呪術や占いでどうにかなると本気で思い込んでしまうことになる
犯罪捜査に科学分析が用いられるのは 真実を見極めるために最も有効だからであり ヒトの勝手な思い込み観念こそが冤罪を生み出す最大の要因でもある
◇
それにしても猫って岩合光昭だけはなぜか警戒しないのね
どっちかっつうと むしろそれが一番の不思議
Ende;