書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

無意識であるということ

2021年12月02日 14時54分24秒 | 意識論関連

「ワクチン危険」程度のレベルの低いデマを見抜くには 複数の信頼できるメディアの見解も見てみることは有効だが

そもそもデマに騙されエコーチェンバーに陥るようなバカだと自分の主観的印象の方が優先しちゃって自己客観性が抜け落ちちゃうので 他のメディアで否定的見解を多数みつけても自分が一度信用した内容の方だけが正しいという思い込みが生じてしまうので 実質的にはあまり意味を為さない

振り込め詐欺師やカルト宗教を一旦信じ込んだ者に理屈が通じないのと一緒である

低レベルなデマなら NHKや民放各社などで共通して否定されているのであれば それは「ある程度」はマスコミを信用しても良いとは言える

しかし 科学的誤謬に関してはこの限りではない

そもそも生物学界においても遺伝的進化に対する見解は一致しておらず 遠藤秀紀ら一部の生物学者は遺伝的進化には意図目的戦略「考え」「思いつき」が遺伝子に影響を及ぼすことはないと言っているのであって 他の大多数の生物学権威共が論理的に支離滅裂な「説明」をしているのは明らかである

歴史教科書が 新たな事実の発見によって書き換えられるのと同様に 生物学においても間違いが発見された以上は教科書から書き直さなければならないはずである

宇宙の始まりが何億年前なのかも 毎年のように書き換えられており 当初は確か135億年だったはずだが最近は3億年くらい延長されているらしい

天文学の場合は観測データや理論が更新されれば精度が向上するわけで 修正が常に加えられることになる

そもそもビッグバン理論が提唱される以前には宇宙の年齢なんぞ誰も考えたことすらなかったのであり 理論の更新によって138億年などといった数値が割り出されるようになったのである

 

生物学界における遺伝的進化の「説明」においても 従来は現存する生物だけを抽出してきて「進化のほとんどは成功する」という根拠のない観念に基づいた「説明」が長期に亘って行われてきた

昆虫の擬態が「思いつき」によるものだという「説明」には 科学的な根拠(収斂プロセスの説明)が全く抜け落ちているのである

最近のNHK番組においても「子宮内膜を厚くすることを考えた」などといった「説明」をしていたが 「考え」という後天的なものが遺伝子に影響を及ぼすメカニズムは何も立証されていないのである

どうも大半のマスコミや大衆は こうした科学的根拠のない「説明」が人畜無害だとでも思っているらしいが それはトンデモナイ大間違いである

長谷川眞理子はチャールズ:ダーウィンが人道主義者だったことを述べているにも関わらず 一方では「○○のために進化を選んだのよ」といった間違った「説明」を散々していたし 下手をすると今でもしている可能性はある

優生学がなぜ信じ込まれたのかと言えば 「遺伝的進化というものが常に正しい結果しかもたらさない万能のもので 遺伝的進化のプロセスを踏襲しておけばヒトという種の生物も更なる優秀な生物へと進化するはずだ」という衆愚の妄想観念による「こじつけ」がされているからである

こうした論理的反証を長谷川は全くしておらず ただ「ダーウィンは人道主義者だった」と言っているだけであり むしろダーウィンの進化論とは整合性のない遺伝的進化の「説明」をしてしまっていたのであり 訂正も修正も何もしていないのであって 支離滅裂で無責任である

 

ネズミやイワシは大量に繁殖して 大量に喰われることで生態系のピラミッドの一部としての「役割」を果たしている

ネズミやイワシがどんなに後天的に「困って」も 子供や仲間が大量に喰われることに対して抗うことはできず 生態系の安定環境下において「繁殖が継続」さえしていれば絶滅にはなっていないので「生物」として存続しているという自然現象の「結果」に過ぎない ネズミやイワシの「都合」は存続とは関係がない

ヒトが暴力を用いた統率協調性を発揮し 封建的な順位序列社会を形成しがちなのも ヒトの祖先の生息環境において「生存」や「繁殖の継続」に有利に働いた「結果」に過ぎない

ヒトが「カリスマ」だの「英雄」だの「権威」だの「神」といった特定の人物への盲目的信頼や人気を あたかも人間としての絶対的基準であるかのような印象を持ってしまうのも 統率協調性を発揮する本能習性の「名残り」である

先天的本能習性としての統率協調性というものは あくまで順位序列によるピラミッド構造でしかなく 順位序列が「下」とみなされれば暴力的抑圧によって粛正されることにしか陥らない

ヒトは先天的に平等が嫌いなのである

大多数の生物学権威や哲学権威に対して異論を唱えても 権威肩書のないただの匿名のオッサンが何を言っても誰も耳を貸さないのは 言っている内容よりも権威肩書などの主観的「印象」に操作されているからである

 

遠藤秀紀であっても ヒトが「生物として欠陥品」だと主張しているだけであって 「人間として欠陥品」だとまでは言及していないし 「先天的な認知的欠陥」についても論じたことはない それでも 遺伝的進化のアルゴリズムに意図目的戦略「考え」「思いつき」が遺伝子に影響を及ぼさないことは明確に断言しているのである

ブチハイエナの6割が死産することも「生物としては欠陥品」だと言うことは可能であり 特定環境下において「繁殖が継続」さえできていれば絶滅にはならないので 結果的に「生物」として存在しているという「結果」でしかない

絶滅さえしていなければ「生物」なのであって 「生物」にそれ以上の何らかの「目的」が存在しているわけではない

遺伝的進化の「流れ」から その「流れ」の方向性を想像や妄想で延長し 遺伝的進化の「目的」をでっち上げてしまうから優生学などというオカルト観念が温存されてしまうのである

遺伝的進化というものは あくまで自然現象であって どんなに生存や生体恒常性にとって適した形質や習性を陳列枚挙しても 「生物の目的は生存」であることの論証にはならず あくまで「結果的に生存しているものを生物と分類している」だけの話なのである

私は自殺を否定はしないが 「学校に馴染めない」程度のくだらない理由で自殺することは容認できない

当人にとっては人生の一大事だとでも「思って」いるのだろうが 「大人って長いよぉ」と言いたい

未成年の「社会」の中だけの価値観だけで簡単に自殺を選択することは むしろ軽薄で意味がない幼稚な暴走でしかない

親ガチャにハズレて気分の悪い毎日だとしても ナチスに追われてスイス山中で自決する程の絶望だとは言えないのである

「教育の義務」に対しても 多くの衆愚は間違った解釈をしており そもそも「教育の義務」というのは貧困家庭が子供を労働力として遣ってしまうことによって 子供が知りたい知識を得られないようにならないために大人の方に科されている義務であって 「学校に通わせる義務」なんぞ存在しないのである

イジメが蔓延しているような学級に馴染んでも それは「人間としての社会性」が身につくわけではなく むしろ学級内ヒエラルキーを鵜呑みにする形で「卑劣な貶め合い競争」を「学習」し SNS上での誹謗中傷や私刑やヘイトスピーチを鵜呑みにするバカが育つだけである

バカに馴染んでもバカにしかならない 当たり前の話である

子供が自殺するのは大人の方の問題であり 大人がバカだから子供を自殺に追い詰めてしまうのである

本気で子供の為を考えれば 「本当の目的」に則った行動選択をすべきであって 「皆と違うと不安だから」とか世間的体裁なんぞを優先するから子供を自殺に追い込んでしまうのである

世間的体裁を取り繕っても 世間は何も子供の人生を保証してはくれないし イジメがなくなるわけでもない

若い人が生活保護を受給したがらないのも 世間的体裁や順位序列への執着や強迫観念が働いていているからである 客観的にみて現状の社会経済システムには根本的欠陥が存在しているのであって 日本の国籍を持っているのに生活が成り立たないというのは本人の問題だけではない

「世間」という多数に迎合しても 忖度しても むしろ社会の「常識」に原因を持つ問題が温存されることになるのである

学力成績に執着しても「認知的ワクチン」として機能することもなく 実際に東大医学部の学生による毒ガステロ事件からも学力成績は知能とは無関係であることが立証されており

しかも 司法刑罰制度によって「なぜ学力偏差値が高い東大医学部の学生がテロなんぞをやるようになったのか」についての原因究明も再発防止策も具体的には何も行われていないのである

今の日本の社会には欠陥がある ヒトが作っている以上欠陥が一切存在しない社会などむしろ無いと考えるべきであって 一つ一つの欠陥や間違いを丁寧に修正し 常にバージョンアップしてゆくことが重要なのである

学力偏差値が知能の本質だと錯覚し その錯覚に基づいてバカの言いなりになっているから社会の問題の根源が見えなくなってしまうのである

 

「ウイルス弱毒化説」においても その根拠とされているのは進化生物学上の誤謬に基づいたものであり ウイルスの意図目的戦略「考え」「思いつき」「困る」といったものが変異に影響を与え 必ず弱毒共生進化に「成功」するものだという妄想観念に基づいたものである

旧来から存在している4種の弱毒鼻風邪コロナウイルスだけを例に挙げ あたかも過去にそれ以外の強毒絶滅株種が宿主ごと絶滅を引き起こした「失敗」が全く存在していないかのように「説明」する研究医がいるのも 進化生物学界が遺伝的進化における間違った「説明」を訂正も修正も周知徹底もせずに傍観放置している無責任性によるものである

大手町の医師は「毒性が強すぎると弱毒化しない」などと言っていたが 実際にはアナウサギに対するミクソーマウイルスは当初の致死率95%という圧倒的強毒性を持っており また 新型コロナウイルスとは比べ物にならない程の強毒性を持ったエボラウイルスでも弱毒化は起きているのである

宿主ごと死滅してしまうウイルスは遺ることができず 結果的に弱毒株だけへの収斂が起きることにはなるのだが ミクソーマウイルスの弱毒化も致死率50%に低下したに過ぎず 繁殖力の高いアナウサギなら共生可能なのかも知れないが ヒトがエボラウイルスと弱毒共生するために一体どれだけの「犠牲」が必要なのかは全く未知数である

実際にコロナウイルスはSARSやMARSなど 数年に一度の割合で強毒変異を引き起こしており 決して「常に弱毒化しかしない」などという都合の良いものではないことは明らかである

いつ どこで どのような変異が起こるのかは 突然変異である以上誰にも予測はつかないカオスの領域である

アルファ株に対してデルタ株は若年層での重症化リスクは上がっているのであって これから何が起きるのかは誰にも断言などできないのである

ウイルス自壊の可能性がどの程度あるのかはわからないが 遺伝子というのはATGC(RNAウイルスの場合はAUGCだそうだ)4っつの塩基による一種のデジタル情報であり 一度失った性質が偶然元通りに復元される可能性も存在はしているのである

旧来の弱毒鼻風邪ウイルスが自壊しして寿命を迎えずに何億年も感染し続けられるのは 自己修復能力があるためであって 新型コロナウイルス程の変異が起こらないことが弱毒共生性に結びついたと考えられる

宿主側もウイルス程ではないにせよ 遺伝的進化によって免疫力の高い個体への淘汰収斂は起きるからである

だが 強毒性と自己修復のどちらが先に獲得されるのかはわからない

強毒性を発揮したまま自己修復能力を獲得されたら 宿主のヒト側に甚大な「犠牲」を伴った収斂進化を余儀なくされる可能性もなくはない

地球環境全体から見た場合 ヒトという種の生物は「異常繁殖」であることは間違いなく ウイルス側から見た場合には豊富な環境資源に恵まれ繁殖し放題な状態であると言える

マグネシウムの中に火を放つようなものであるからこそ 簡単にパンデミックが起こるのである

弱毒化が起きるのは ほぼ鎮火した後の話である

「鎮火」が一体何を意味するのかと言えば 燃料となる資源(宿主)が枯渇しなければ自然鎮火にはならない

過去にどれだけの「自然鎮火」が生じたのかは 誰も知らないのである

遺伝的進化のメカニズムに則って考えれば 膨大な「犠牲」による幾度もの「失敗」の果てに偶発的に「成功」した個体種や株種が現存しているに過ぎない

遺伝的進化のアルゴリズムというのは 決してヒトなどの特定の種が絶滅せずに存続可能かどうかを一切保証してはくれないのである

どの種の生物がいつ絶滅してもおかしくはない それが遺伝的進化というものである

別に恐怖を煽っているわけではなく 遺伝的進化といものを気分が良くなるように都合よく勝手な解釈をすべきではないと言っているのである

ヒトの民族浄化バイアスも 順位序列への執着も 権威に対する盲目的服従性も 生活習慣病に陥りやすいのも 全ては遺伝的進化によって遺伝子に組み込まれた「結果」によるものである

人間としての知能を発揮できれば 自然現象の「結果」に左右されることなく 先天的欲望に流されることなく 本当に合理性のある安全で平等な社会を作ることは可能である

「完全」には無理かも知れないが 「より近付けること」は間違いなく可能である

「親ガチャ」に限らず「時代ガチャ」や「国ガチャ」「学校ガチャ」「職場ガチャ」「地域ガチャ」というのもあるかも知れない それは確かに不公平ではあるが 不公平を解消するために必要なのは泥酔して騒いだり暴れたりすることではなく 論理客観的に原因を徹底究明して再発防止の対策を創出することである

多数世間に迎合同調しておいた方が生活は楽ではあろうが 居酒屋が泥酔者を量産して社会的負担になることを「仕事だから仕方ない」で済まされる話ではない

温室効果ガスを削減するために自動車メーカーが開発を負担するように 居酒屋にも「一人の客に一定以上のアルコールを提供しない」などの制限は必要であろう

日本では泥酔して街を歩き回っても 用もないの一人で大型乗用車でに走り回っても 温水シャワーを出しっぱなしにしても それだけで逮捕されることはないが 合法なら何をしても許されるわけではないのである

「個人が自律的な社会的責任を負うこと」なしに 社会持続可能性は担保されることはない

社会持続可能性を求めないのであれば もはや生き続ける必要性もないのである

「生存自体に意味がない」というのは 人間として生きるのが嫌ならヒトであること自体を放棄(死ね)すれば良いという意味である

他人に迷惑をかけて優越感に浸っても その「優越感に浸っている者」を尊敬できず 肯定できないなら それは自分も肯定することはできないのである

糞DQN同士で共感していれば 仲間同士で共感している間だけは安心満足感が得られるだろうが むしろ仲間との共感共鳴だけでしか満足感が得られないことから 他人への迷惑を競うようにヤクザや暴力団は暴走するのである

虚無主義などの「暗黒面」とは 光(希望や理想)への歩みに安易に絶望することで安易に流される精神的怠惰によるものである

 ◇

学生時代にイジメを止めた時 イジメをしていた奴から「格好つけてんじゃねぇよ」と言われたことがある

「は? 何? お前はイジメが格好悪いって自覚があんのか?」と聞き返したことがある

そいつはヘラヘラと笑って何も答えなかったが 目先の快楽しか行動動機になっていない奴というのは自己客観性というものが全くないのである

欲望のままに行動していることが「自由」だと勘違いしているのであろう

そういう奴を「バカ」というのである

学習障害などとは無関係である

盲目であっても得意で好きなら世界的ピアニストになることもある

もちろん好きで得意なら何でも世間的に成功できるわけではないが 少なくとも好きなら楽しいのであって 他人を貶めて優越感に浸るようなバカげた迷惑行為よりも遥かに建設的な人生である

個人的に好きなことを続けるためには 社会安全性や公平性にも配慮は働くようになる

どんなに会社内での地位や世間的格付けや資産の量や納税額を自慢しても 人間としての自律的な社会的責任が負えないのでは 人間としての存在価値はないのである

私は大体いつも当たり前のことしか言っていない

その当たり前のことすら自分では考えずに 目先の評価や多数派迎合ばかりに意識を奪われているから「無意識」だと言っているのである

 

 

Ende;

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